第34話 入場
3ヵ月ぶりにその会場へ再び訪れた華は、その変化に気付いた。
外気温は、あの時より5度以上低い筈なのに室内に身を切る様な冷たさがない。
空調の管理?
いや、それもあるだろうが、圧倒的な変化がある。
「すごい観客……」華が驚く様に呟くと谷寺が続く。
「……これもメディアの効果か……一花に影響しない事を願うしかないな」
その年、ボルダリング日本大会は史上最高の観客動員977人を達成したと後に発表されている。
スポーツクライミング浸透がマイナーな日本という国での国内大会において、これは異例中の異例と言って差し支えない。
無論、全員が全員一花目当てではないだろうが。
やがて会場の照明が薄暗くなると共に、舞台にスポットライトが浴びせられ軽快な音楽が流れ始めた。
「よ、予選と全然違うんですね」
華の戸惑いに、谷寺は言葉は発さず静かに頷く。
舞台には左右に分かれて5つずつの課題がセットされている。
この本戦準決勝は、男子と女子のトライが同時に行われることになる。
順位決定に優先なのは世界大会と同じ様に完登数、一撃数。そして課題内に設置されているボーナスホールドの到達数の順で決められる。
そして、ここで男子女子共に選ばれた12名ずつの選手は、上位6名ずつ迄にふるい落とされる。
「レディースアンドジェントルメン‼
これよりーー、ボルダリングジャパンカップを開幕します‼
まずは、これから熱い登頂を見せてくれる24名の選手達を紹介させていたーーだきます‼ 」
「ひゃっ」突如スピーカーから響いてきたMCの軽快な声に華が驚きで悲鳴の様に声をあげた。
「ははは、ここら辺は日本特有のお祭り感覚だよな。くっだらなねぇ……」
吐き捨てる様にそう言う谷寺の表情は裏腹に楽しそうに見えるが。
「ゼッケンナンバーー‼
24、23‼
その声と同時に、ボルダリング設備がそのままスクリーンとなり、呼ばれた男女の選手の顔写真と名前が映し出された。
「あばばばばばば……」
慌てふためいている華を見て「ぷっ」と谷寺は吹き出した。
「やれやれ、会場の空気にやられて昔の天塚はにゃに逆戻りだな」
ムッと、首を向けると心底嬉しそうに谷寺は口角を上げた。
「先生って……一花先輩の特訓の時も思いましたけど……時々本気でいじわる言いません? 」
「お前と、一花はからかうと反応が可愛くて仕方ないからな」
「はぁ? 」
困惑する華に谷寺はズイッと顔を近づける。
「特に2人とも怒った顔が格別だ」
華は、素早く両手で思いっきり頬を挟んだ。
「ふべぇ……」「パチン」と小気味いい音が響いて、谷寺が押しつぶされて唇を不細工に突き出した。
「そういうの、教師としても女性としてもいけないと思います」
「華は、しっかりさんだな。ひょっとしなくてもわたしより教師にむいているんじゃないか? 」頬を擦りながら谷寺は背もたれにドカッと身体を預けた。
華は気付いていた。その普段通りに飄々としていた谷寺の足が小刻みに震えていた事を。だけどそんな時はこうやってお道化るんじゃなくて……。
華の温かな右手が、谷寺の左手を包みこむ。
「‼ ……華……」
こうすればいいのだ。
臆病な2人でも。こうすれば――きっと見届けれる。いや、見届ける義務がある。
彼女の覚悟にも近い決意の結果を。
「ナンバーー‼ 18、17‼
凪海一花‼ 」
――その名が呼ばれた途端だった。
「うおおおおおおおーーー」と会場に地鳴りの様な歓声が起こった。
「きゃあーーーおねえちゃーーん‼ 頑張ってぇええぇ‼ 」
その歓声の殆ど。
その殆どが、一花に向けられたもの。
「ちっ‼ 」
腹立たしさを隠しもせずに谷寺が舌打ちを入れる。
「勝手に一花を悲劇のヒロイン扱いしやがって……」
その歓声を受けた一花は一瞬、一歩後ずさる様にたじろぐがすぐに観客に向けて大きい動作で大袈裟に頭を下げて、列に駆け足で向かう。
「……先輩が応援されているのを素直に嬉しく思いたいけど、複雑ですね」
「一花の事だ。無理に気にせまいとし過ぎて、それが逆にトライに影響が出ないかが心配だよ」
2人は色々な感情を織り交ぜながら、少し固い表情で舞台で並ぶ彼女を見つめる。
「ナンバー12、11……
真土里茶々~~‼ 」
その名が呼ばれた時。
「せ~~~の‼ 」
大きな掛け声の後、間もなく。
「ちゃっちゃっちゃ~~~ん‼
ガンバーーーーー‼ 」
その少女の家族とその親戚か? 数名の親世代の人達が法被にハチマキという場違いに揃った格好で一斉に女子選手の名を叫んだ。
舞台の彼女は澄ました表情でそれを受け取ると、彼等に涼やかに右手を振った。
「ほえ~……な、なんかすごい子ですね~
なんというか……野村さんや継葉先輩と違って、アイドルみたいに可愛らしいけど不思議な雰囲気をもってるというか……」
それを聞いて、無表情のまま谷寺が付け加える。
「真土里か。
継葉、一花と同年代の筈だ。
筋力が少し心細いが、その分小柄な軽さで勝負するクライマーだ。継葉が出ていたコンペで何度か観たがテクニックがいいセンしてた気がするな。
……華、わりとお前に近いタイプと言えるかもしれん」
それを聞いて、少し嬉しそうにも見える瞳で華は真土里を見た。
そして、選手入場も佳境に迫ると会場に異様な空気が流れる。
「では、いよいよ……最後の選手紹介に、なります‼
ナンバー2‼ エ~~ンドナンバー1‼
野村晶~~‼ 」
MCの一層の高らかな声の後、奥から2人の男女がその姿をゆっくりと見せた。
その2人がライトに照らされる場所に辿り着き、まるで示し合わせたかのように同時に右手を高々と挙げた時。
どわーーーーーーーーっと会場が地鳴りを響かせる。
「タオーーーーーーー‼ 」
「のむらーーーーー‼ 」
それは、一花の時よりも真土里の時よりも遥かに桁、そして質の違う歓声。
それもその筈。
かつて谷寺も発言した事がある。
「日本のボルダリングは即ち世界のボルダリングと言っても過言では無い」
片や、18歳の成長過程ながら昨年のスポーツクライミング世界大会でも銀メダルを獲得、オリンピック男子でメダル最有力候補の現役高校生の垰。
片や、女子ボルダリング世界大会4連覇継続中。
女子ボルダリング日本大会7連覇継続中。
その前代未聞の立ち位置は既にスポーツクライミング女子の到達点とまで言われている野村。
まさに、現在のスポーツクライミング界の生きる伝説の様な2選手の登場。
最も大きな歓声を受けるのは正しい。いや、彼等はそれを受けなければいけないのだ。
垰と野村はやがて眼を合わせて頷くと、左右に分かれてそれぞれの選手達が待つ場所へ向かう。
「以上――男女総勢24名による……夢の祭典の開幕となります‼ 皆様、今暫くそのままでお待ち下さい‼ 」
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