第33話 認知

「しょ、しょもしょもこ……この……作っ戦って……は、破綻っしてたんじゃ、あいんですか? 」

 華が切れ切れの息を抑えながら、結論を述べる。

 確かに――一花の身体能力なら彼女単身でも容易に振り切れた事だろう。なにも谷寺と華が彼女の手を引く意味はなかったのだ。


 会場の入り口にはその事情から警備員が配置されており、彼らによってマスコミ関係者は完全に封鎖されていた。


「わ、わたしは違うぞ~いれてくれ~」

 聞き覚えのある声に2人は顔を見合わせて、その声の主を捜した。


「先生‼ 」

 少し離れた先でマスコミの人混みからまるで波の満ち引きの様に、谷寺がにゅっこらにゅっこら顔を見せたり、隠れたりしていた。

「華ぁ~、その警備員のお兄さんに説明してくれぇ~」


 その声を聴いて華が少しおどおどと警備員の男性に近付いた時だった。


「その人、関係者ですよ」

 ずい――とその間に黒のベンチコートを着た人物が割り込んでそんな事を言う。


「……貴方は……」

 警備員が驚くと、もう一度詳細を聴いてその女性が親指を谷寺に向けて一言二言伝えすぐに警備員は谷寺の手を掴んで、マスコミの人混みから彼女を引き入れた。


「いででで……女性のエスコートはもっと優しくお願いしますよ……」

 谷寺がそう言うと、警備員の男性は手を離して「失礼しました」とだけ頭を下げた。


「まぁ、何はともあれ」

 谷寺と華がそのベンチコートの女性の方へ視線を移す。

「助かったよ。ありがとう野村」

 その女性は5月の時より、若干肌を更に焦がした野村晶だった。


「どういたしまして。

 継葉のお姉ちゃんがこの度は本戦に出場するって聞いて、真っ先に谷寺さんの顔が浮かびましたよ。やはりそうでしたか」

 そう言って、微笑む彼女に谷寺は首を横に振った。


「いや、わたしの想像以上の力を付けたのは、何を置いてもあの子自身の力だよ。ツグがそうだったようにね」

 「はは、ご謙遜を――ところで、そのお姉ちゃんはどちらに? 」

 その問い掛けに、谷寺はボサボサになった髪を掻きながら「お前の後ろ」と言った。その瞬間だった。


 大きな何かに身体が圧し潰される様な感覚を野村は感じ振り向いた。


「おはようございます。野村さん」

 振り向くと同時に会釈を入れる少女のその顔には見覚えがあった。つい最近まで自分の背中へ肉薄していた少女に瓜二つなその表情。


 ――思い出した。

 そして、記憶に戻る、5月の出逢いの瞬間。それ以前に継葉と関わった時にジムの職員に言われトライを視た彼女の幼いあの日も。


 だが――。

 だが、野村にはその事実に疑問がある。


「それじゃ、そろそろ行こうか。一花。華」

 谷寺は、何かを急ぐように2人の肩を掴むと野村から離れる様に距離をとった。


「待って‼ 」

 だが、その歩はまるでそこに居た誰もが振り向く様な大声で止められた。


 振り向く3人。その先に居た野村はまるで呆けた様な表情でそう言う。


「あなた――本当にお姉ちゃん? 」


 その問いの真意を読み取れたのは、受けた一花本人ではなく谷寺だった。

 だから、一花本人は狼狽える様にその問いに答えられない。何が解答なのか理解が追い付かない。


「……ごめん、忘れて」

 言葉短に自分でその問いを無理やり断ち切ると、野村はベンチコートを靡かせながら3人の間を越えて、会場の奥へと入っていった。

 その様子を見て谷寺は目を細めて眉間に皺を寄せる。


 ――出来れば……もう少し……気付かせたくなかった……か。





 会場の奥、選手控室への廊下を足早に進む野村に軽くも喧しい足音が近づいてくる。

「アキラさ~~ん。控室までご一緒してよろしいですか~? 」

 横目で見ると、どうやら先日凪海姉の事を何やら言っていた少女の様だ。


「構わないけど、集中したいから話さないわよ? 」

 その返事にも嬉しそうに少女は歯を見せると、一生懸命短い歩幅を素早く動かして彼女の後に必死で付いていく。


 野村が言葉を発しないのは、大会に向けての集中力を高める為。というのは建前だった。


 彼女の心中を今激しくかき乱していくのは、あの感覚。


 クライミングに出逢い、そしてそれを極める事が自分の人生の意味だと野村が気付いたのは5歳に満たない時だった。

 どんなルールでも。

 誰が相手でも。

 彼女がクライミング中に他者に興味を抱く事など、まずなかった。


 何故か?

 クライミングの主は個人競技だ。その言葉の意味は相手と技を競い合うというそれであっても、結局は自分が出来なければそれまでという事。

 スポーツクライミングでは順位を競う事で他者との対戦を意味しているが。とどのつまりそれは相手ではなくその結果を左右するのは自分の実力である。野村が最善を尽くせば誰かが上にいる事等これまでになかった。


 初めて――。

 初めて、それを覚えたのは確か3年前。

 小学生だった凪海継葉と共にボルダリング日本大会予選に出場した時の事だ。

 あの頃はまだシード制などがなく、選手は誰もが予選から勝ち上がらなくてはならなかった。


 それはきっと野村程の実力者だから気付けたのかもしれない。彼女の眼にはハッキリと凪海継葉の背中に純白の翼が映っていたのだ。


 ――すごい。


 クライミングを呼吸と同じ様に思っていた野村の心が身体を突き破りそうな程高鳴った。だって、それは――自分もまだまだスポーツクライミングの高みに向かえるという証明だったから。

 だからこそ――。

 野村は初めて、他選手を相手と認識し。

 決着の本戦で彼女に勝つ為に――初めて、クライミングに嘘を吐いた。初めて自分のクライミングの力以外の作戦という小細工を用いた。


 それ程までに彼女は凪海継葉に勝ちたかった。

 勝ち続ければ――きっと継葉はまた驚く様な進化を遂げて自分に挑み続けてくれるだろうから。

 そうすれば――。

 自分は、更なるクライミングの到達点へと近づけるから。


「ねぇ、貴女……」

 話さない、と言っていた筈の野村から声を掛けられた事で大きく驚いた後、その少女――真土里茶々さなどりちゃちゃは誰が見ても解る程に喜びの表情を浮かべて「ハイッッ」と甲高く返事する。




「凪海継葉の姉の名前って……何て言うか知ってる? 」

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