第八章 準決勝【ジャパン・カップ】
第32話 一花警護大作戦
窓から見える雪化粧にいちごシロップをかけると、これまたお腹がこわれる位のかき氷が作れるだろうな。と華は思った。
季節は真冬の2月。
3カ月前よりも遥かに身を切る様な寒さの中、華は両手を白湯を入れた茶碗で温めて窓を眺め続けた。
あと、数時間後には一花が出場するボルダリング日本大会の本戦が始まる。
白湯を口に入れる。僅かの間にもう冷め始めているが身体の芯を少し暖めてくれる感覚が心地良い。
そうしていると、ドアが軽くノックされる。
「はい」そう言ってドアを開けると、そこには見慣れた少女の姿が在った。
「一花先輩。大丈夫ですか? もう少し時間にも余裕があるから休まれていた方がいいんじゃ……」
それを聞いて、ドアの向こうに居た一花は難しそうに人差し指で頬を掻いた。
「ねぇ、華。少し外を散歩しない? 」
外に出ると、更に気温の寒さが厳しい。かなり着込んでいるが直接肌が覗いている鼻や眼が、風が吹く度に痛みを伴う程の冷感を覚える。
「だ、大丈夫ですか? 先輩。あまり長居すると大会前のお体に障るのでは……」
滑らないようにかっこわるいペンギンの様な歩き方で一花の後ろを追う。
「うん……もすこしだけ」
そう言うと、彼女はまだ朝が寝ぼけている薄色の空を見上げて何かを考えこむ様に動きを止めた。
「華の言う通りだ~。一花~。そう言った大人になった時に恥ずかしさしか残らない黒歴史的な行為はせめて大会を終えてからにしてくれ~」
やがて、いつからそこに居たのか谷寺が茶化す様にそんな言葉を掛ける。
「別に、そんなんじゃありません……」ムスッと頬を膨らませると、一花は谷寺にそっぽを向ける。そのまま谷寺は2人に近付くと半纏の袖から手を出して。
2人をまとめて抱き寄せた。
「今日は2人ともしっかりと楽しめ。
一花は楽しんで挑め。華は楽しんで
その言葉には続きがあった。しかし、それこそ大会の前に言うのは無粋だと谷寺は思っていたから、決めていた。その言葉は大会の後に必ず伝えようと。
「さっ、部屋に戻るぞ。
もう少ししたら、華のお楽しみの朝食の時間だ」
「わぁ……」
会場の入り口からもう蔓延る様に車が並んでおり、一花達は仕方なく会場の少し前でタクシーを降りる事を余儀なくされる。
そして、その様子を見て滅多に変わらない谷寺の表情が厳しくなったのを華が気付いた。
「華……」
その話を谷寺から聴いたのは昨夜の事だった。
「大会会場に、一花先輩目当てのマスコミが押し寄せる? 」
一花を外して、自分だけが谷寺の部屋に呼ばれた理由が分かった。
「あぁ、ああいう連中は話題になりそうな物なら何でも喰い付くし。何より世間が忘れかけている継葉の事故で、今その姉である凪海一花という選手への注目はかなり集まっている。
――勿論、これは悪い意味でだ」
その言葉を聴いて華は継葉の事故直後に学校の校門にたむろしていたテレビ関係者を思い出した。
「下手をすれば、一花に何らかの影響をもたらすかもしれん。無論、これも悪い意味で……だ」
「そんなの、ダメです‼ 」
華の竹を割る様な声が響く。
谷寺は「華」と小さく呟き、人差し指を口元に当てる。
――ホテル内で大声は出してはいけないよ。という意味だろうか。
「憶えているか?
世界大会の時――囲んでくる外国人ファンからわたしと一花がどうやって継葉を会場まで連れて行ったか……」
華の脳裏に、鮮明にその日の記憶が蘇る。
そう――。今度は。
「いくぞ、華‼ 」
「――はい‼ 」
その合図と同時に、2人は一花を隠す様に彼女を挟み込むと、周囲を警戒しながら会場へと進んでいく。
「おい……‼ アレ‼ 」
だが、谷寺も華も一花より身体が小さい上に一花自身2人ががまさか自分を密に入場させようとしているなど思いもしていなかった為、あっさりとマスコミに気付かれる。
「先輩――‼ 」
「走るぞ、一花‼ 」
「へ? 」
右手を華に。左手を谷寺に掴まれると一気にその身体が引かれる。
「ちょっ‼ ふ、2人とも‼ 危ない‼ 」
と――言いながらも、その反応は素早く直ぐに手を引く2人に追いつくと「どういう事? 」と尋ねる。
「はっはっは、ちょっと入り口まで競争がしたくなっただけさ」
「……先輩、今日の前哨戦ですよ」と、走るのに必死な顔のくせに誤魔化す様な意味不明な返答があるだけ。
ふと、後ろを振り向くと。
――ああ、そういう事か。と。
妹の事故から暫く自宅の前にも彼らは来ていた。
両親は「お姉ちゃんは出なくていいから」と言って、その対応を全て引き受けてくれた。
「うん……」ありがとう。ふたりとも。
2分後――。谷寺が力尽きて途中で置き去りになるだなんて、この時の3人は思ってもみなかった。
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