第31話 Dust

 翌日――東京某所。


 まるで岸壁の様に複雑に突起した背部と肩回りの筋肉を見せながら、その女性はゆっくりと腕を伸ばす。

 掴む先のホールドの大きさは恐らく直径2cmにも満たない程度の物だろう。

 彼女を見守る様に集まっている他の者達が息を呑んでいたのは。

 彼女の掴むそのホールドが設置されてる場所がほぼ直角。つまり地面と水平に有るという事と。

 彼女の足が宙に浮き続けているという事実からだ。


「凄いっすね。野村さん。男子でもあんな筋力消費しながらあの距離渡れる人居ますっけ? 」

 茶色の短髪の少年が、隣の大柄な男性に尋ねる。

「男性選手なら、まぁ出来ん事はないが……

 女性選手なら、間違いなくアジア系選手では野村だけだろうな」


 そのまま野村は、グイグイと木登りでもするように進んでいくと、やがて磁石でも入っているのか先に掴んでいたゴミカチホールドにエッジを掛け天井に張り付く虫の様な体勢になった――今、このムーヴを視ている者達ならそれがどういう意味か理解る。

 凄まじい体幹の力と、そして長時間全体重を支えた筈の両腕の驚異的な腕力。

 そしてそれを正しく駆使出来る青白き脳細胞と、その経験値。

 どれか一つでも所持っていれば『一流』と呼ばれるその全ては。

 今、野村の中に……。


「アキラさん、アキラさん‼

 ボルダージャパンカップの予選結果、見ましたか⁉ 」

 人懐っこい仕草でその可愛らしい少女は、嬉しそうに駆け寄ってきた。


 タオルで汗を拭きながら野村は「見てないよ」とだけ伝える。

 すると、少女は「クフクフ」と悪戯っぽく笑った。


「なによ? 面白そうな子が居たの? 」

 あまり、関心はなさそうに野村が尋ねると。

「びっくりしますよ~」と、少女はその持っていたプリント用紙を彼女の目の前に出した。


「……特に、アテンプト数に変わった子は居ないみたいだけど? 」

 と、野村がそれを見て言うと、少女は「ちょっ、名前のとこですよ⁉ 」と指を当てる。

「……凪海? 」

 その言葉を待っていた様に少女は腰に手を当てて高らかに叫ぶ。

「そ~~です‼ なんと、コレあの凪海継葉の実姉なんですよ‼ 知ってます⁉ アキラさん‼ 」

 一応愛想笑いを浮かべると野村は尋ねる「何を? 」


「この姉の方は、妹の方と違ってあんまり大した事ないって、話だったんですよ‼ それが、今回予選を3位で通過したっていうコレ‼

 コレ、絶対運命だと思いません⁉ 」

 少し、面倒臭くなって野村は「何の? 」とストレッチを始める。


「そんなの‼ 茶々チャチャから勝ち逃げした凪海継葉への遺恨戦のチャンスですよ‼

 ふっふっふ。茶々こそは野村さんの次代を代表する女子選手なのに、いつもメディアは凪海凪海。ようやっと茶々が憎き凪海を倒して名を挙げる運命の時が来たのですよ‼ 」


 ストレッチを終えると臀部をはたきながら野村は立ち上がり、その少女の頭を撫でる。

 すれば興奮しきっていた少女は「ふぇっ⁉ 」と目を白黒させて黙ってしまった。


 そのまま、プリント用紙をその手から抜き取るとその場を後にする。


 ――継葉の姉か……そういえば……トライを視た事あったかな? まぁ、もし視てても私が憶えてないって事は、そういう事なんだろな。


 そう思い、プリント用紙を視て。

 ――あ……いけない。これ返そうにもあの娘の名前も知らないや……まぁ……いいか。


 そしてゴミ箱とすれ違う時、その紙を丸めてそこに放り込んだ。




「予選突破‼ おめでとうございまーーす‼ 一花せんぱーーーい‼ 」

 冬休みに入ったある日。

 華達は、ろくまんさんの傍の谷寺の実家に居た。


「まぁ、餅なら山ほどあるから死ぬほど食っていいぞ」

 冷や汗を浮かべる一花の眼前に山々と餅の器が並べられる。

 ――何故、餅。


「先生……こんなに炭水化物を摂取したら本戦に向けての体重管理に影響が出てしまいます……‼ 」そう言いながらも好物である餅を取る手が止まらない。


「先輩‼ 先輩‼ 」

 華の無垢な呼声に振り向く一花。

「先輩の好きなお餅へ更に先輩の好きなチーズとトマトにオムレツを乗せてみたんですけど、どうでしょう? 」


「華――バカッ‼ 」

 結局その餅山の半分ほどは一花の胃袋に収まる。


「食べちゃった……まだお正月も控えてるのに……お正月はお餅を断たなきゃ」

 深刻そうに罪悪感に満ちた表情で呟いている一花の肩を谷寺が優しく叩く。


「ま、ざっと大体4000キロカロリー程度だ。

 少し休んだ後、4時間程登って、2時間程走れば普通に消化できるよ」

 そう言うとドサッと目の前のこたつに大量の紙が置かれた。

「と――いう訳で予選でお前が失敗した部分をデータ化しておいた。

 今から復習としておくとしようか」

 先程まで緩んでいた一花の眼が鋭く変貌る。

「――はい」

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