第29話 朝ご飯

「あ~~、つかれたぁ~。

 高速ぶっ通しと言えど、東京は遠い~な~」


 半日とは言わないが、結構な時間が掛かり会場近くのホテルに到着したのは朝に広島を出てもう陽が暮れている頃だった。

「先生、お疲れ様です。今日はもう食事にして早めにホテルで休みましょう」

 一花がそう言うと、車内の荷物を一気に持ち、受付へと急いだ。



 食事を摂ると、余程疲れていたのかシャワーも浴びず谷寺は眠りにつく。

 そんな彼女を横に、一花と華は窓辺の席で月夜を眺めていた。


「華、わざわざ東京まで来てくれて……本当に迷惑じゃなかった? 」

 一花が心配そうにそう尋ねるのには理由がある。

 言わずもがな――それはここまでの費用だ。交通費は谷寺が車で負担してくれている(一応2人の親も気持ちだけの心づけは渡してはいるが)が、宿泊費など滞在費は全て自己負担である。

 何故ならば、これは学校のクラブ活動として来ていた以前の大会とは違うのだから。


「いえ。お年玉を貯めてましたし――東京も一度来てみたかったので……

 それに、一花先輩を1人に出来ませんよ。わたし達3人で、ボルダリング部なんですから」

 華の力強い言葉に一花はグッと唇を口の中に入れる。


「ありがとう。本当に、華がいてくれてよかった……」そんな言葉が出てくればよかったのに。と一花は唇から力が離せずに思う。


「先輩は1人じゃありませんよ。明日――もし、登ってる途中で不安になったら……その事を思い出して下さい……」

 そして、彼女は立ち上がると「お先にシャワー頂きます」と一花の方は視ずにその場を立ち去った。

 彼女がシャワールームに入った後。

 一花は、零れる涙を抑えきれなかった。



 翌朝。

「かぁ~っ、よく寝たなぁ起こされずに起きたのは10年ぶりくらいかもしれないぞ~」とてもご機嫌な様子で小躍りを加えながら食堂へ向かう谷寺の少し後ろを2人はついて行く。

「眠れましたか? 一花先輩」こそっと華が尋ねると。

「大丈夫。ありがとう華」と微笑みと返事がある。

 本当は、瞼を閉じて横になっているだけでハッキリと睡眠を感じてはいなかったが、それでも充分に休息の実感はある。

 一花は、バタートーストにいちごのジャムをのせ、コップ一杯のトマトジュースを飲んだ。

「……満腹は、大会までに腹を壊す要因になるからすすめんにしても……それだけだと、昼までとはいえ、ややエネルギー不足だぞ」

 谷寺の前には、コーヒーとハムエッグとトーストが並んでおり、ハムエッグを一花の方へ寄せる。


「先輩、あたしのもどうぞ」

 華も、ソーセージを2本のせた玉ねぎとトマトのサラダを一花に送る。


「あ、ありがとう。2人とも……」

 コーヒーを一口付けると、谷寺は窓を見る。

 師走に違わない、凍り付く様な気温だ。かなり会場は過酷な環境になるだろう。

 視線を一花に戻すと、彼女は必死で「ぽりぽり」と玉ねぎを咀嚼している。


 ――余計な事は言うまい。

 谷寺は、心配事をコーヒーと一緒に飲み干すと、もう二度と訪れる事は無いと思っていたその一時を名残惜しそうに噛みしめる。

 そんな時だった。


「ここの朝ご飯、かなりおいしいですね。

 本戦の時も、ここのホテルを是非とりましょう」


 華のその一言に、一花は呑み込もうとしたトマトが引っかかり咳き込んで谷寺も、コーヒーを飲む手が止まった。

 自分が出場るわけでもないのに。

 微塵もその可能性を疑っていない。無垢なその一言。


「ハハハ……」谷寺は思わず、瞳を隠して笑った。

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