第七章 予選【ジャパン・カップ】
第28話 才能
「あ、先輩。動かないで下さい」
「い、いいよ。華、じ、自分でするから……」
「ダメです‼ 先輩の晴れ舞台ですよ‼ ちゃんと残しが無いようにお化粧しとかないと‼ 」
「だから、自分でできるって~……それに、予選自体は明日だろ? 今日化粧しても無駄だよ……」
2人は、顔がぶつかりそうな距離でまるで爆弾処理の様に緊張感満載の化粧を行っている。
――それに華、手が震えててこわいよ~~
そんな時――部屋の戸が開き。
「おい、そろそろ準備は……
お前等、なにイチャついてんだ、こら。準備しとけって言ったろ」
谷寺がうんざりと言った感じでそう悪態をつくと、華が「もう少しだけ‼ 」と退かないものだから、困った様に後ろ頭を掻く。
「とりあえず、2人とも親御さんには、きちんと1泊するって言ってるよな? 」
車に荷物を運びながら、谷寺は2人にそう言うと順々に「はい」という返事が返ってくる。
「なあ、やっぱり一花の親御さんにはわたしが直接……」
少し考えた後、谷寺はそう言うが一花は首を横に振るった。
「両親は、谷寺先生の事を信じてるし。
私も、重々に注意を払います。むしろ変に気を遣われる方が辛いんじゃないでしょうか? 両親も、先生も」
それを聞くと「そう言ってもらえると救われるよ」と、自分だけに聴こえる様に谷寺は溢した。
「日本大会となると――やっぱりライバルは野村さんでしょうか‼ 」
歌謡曲が流れる車内で、華が出る前に作って来たおむすびを口にしながら前座席の2人に尋ねる。
谷寺は、ナビを片手で操作しながら音楽をPOPな物に変えると。
「いや~予選に野村はでてこね~よ~? 予選は来年の2月に行われる本戦の空いている6枠を争うんだ~昨年の大会の入賞者とか、他の公式大会で実績を挙げている奴ら上位6名は既に本戦の準決勝に出場が決まってる~。
だから、明日の予選で決まるの本戦で出る事実上7~12位の選手だな~」
華が衝撃を受けていると「ん? 」と谷寺は思い出したように付け加えた。
「ツグの分が繰り上がってるから、8~13位の奴らだったな~」と。
それを聞いた一花の反応を心配し、華は助手席の彼女を窺ったが……もう心配など必要ない。
あの一件以降――一花は無茶なトレーニングを止め、家にも帰る様になりその顔色もやつれた身体もすぐに回復した。
それどころか、谷寺に教えを乞う様になった一花は、以前より断然に効率的な鍛錬を積んで、たったこの数日で見違える程の実力をつけたのが華の眼にも解った。
だから、実は先日華は谷寺に尋ねていた。一花の実力ならば予選通過は確実なんじゃないかと。
だが――谷寺は冷静に。
「むしろ、勝ち抜ける可能性の方が少ないだろう」と当然の様に言った。
それは、華には意外な返答だった。
「でも、肉体的にも精神的にも万全となった一花先輩の才能なら、継葉先輩にだって負けないんじゃ」
すると、谷寺は頭を掻き何かを考えながら言葉を選び、華に伝える。
「華、お前の言う才能ってのがどういうものなんかわたしには解らんが。
もし……もし、クライミングの強さを才能、という言葉で表すのならば……
一花のそれは――継葉や野村とは比較にならない。
比べる事も出来ない程――一花のそれは、2人のそれより遥かに低いんだ」
華が、目を見開いて谷寺を見つめ続ける。
「まず、オブザベーション1つとってもそうだ。
5月の世界大会の予選を憶えているか?
あの時あの2人はほとんどオブザべを行わずに登っていたよな?
その結果――野村は全一撃。継葉は1アテンプト、7一撃だ。
これが、もう
でもその実、理由は簡単な話しでな?
まず、継葉は――あいつは、見た瞬間に勘としか言えないそれでトライしながら自動でオブザべを行ってしまうんだ。正に感性のクライミングだな」
そして、華の方に向き直るとハッキリと言う。
「だが、本当に恐ろしいのはもう1人の野村の方だ。
奴は継葉とは違う。野性的な勘なんて不確かな物でオブザべを決して行わない」
華は「では何故、継葉先輩と同等……」と我慢出来ずに解答を急ぐ。
「早いんだよ。ただ単純にな。
オブザべの計算、その算出が他の選手の10いや、20倍……30倍かもしれないな。
他の選手が30秒かかるその解答を野村は1秒で解読してしまう。
これは、継葉の様に先天的に得た能力ではない。
天才だった野村が更に他者の何百、何千倍と経験を積んで得た後天的能力。
故にあいつの頭の中のノートの厚さは……。
ひょっとしたらスポーツクライミングのそれと同等かもしれないな」
そして、2人は鍛錬に励む一花の背中に再び視線を合わせる。
「あの2人を並べて考えてはだめだ。一花にとっては酷な事だがな。
だが、一花が今の気持ちを忘れずに向き合う限り――永遠にその差が縮まらない事は無い。後は一花次第なんだよ。いや、そもそも
そこで、嬉しそうにこちらを見ている華に気付いたので「ど~した? 」とその表情の真意を尋ねる。
「……だって、先生もすごく一花先輩の事、見てくれてるから。ここに来た時は、2人とも何故かケンカ中だったし」
谷寺は「ハッ」と笑う。
「あれは、一花の頭を冷やさせる為だ。
誰かの想いなんかを背負って登るクライミングなんて、誰も
そう言うと、谷寺は寂しそうにそのボルダリング設備を眺める。
「でも……じゃあ、どうして今はこんなに助けてあげてるんですか? クライミングへの向かう思いは変わったけど、一花先輩の目標は初めから変わってないですよね? 」
その言葉に「ふ~」と谷寺は困った様に息を吐いた。
「随分、聴きたがりなんだな。華は。
まあいい――じゃあ一花が予選を通ったら、話してやるよ」
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