第23話 冬色
学校の周囲の樹木が寂しい冬色に染まる頃、体育館にあったボルダリング設備はもう嘘のように消えていた。まるで、初めからそうだったように。
それを朝の集会の時に眺めながら、華の脳裏にこの数カ月がフラッシュバックする。
驚く事ばかりだった。
まるで、何年間もの出来事が詰まった数カ月だったと思う。
今でも信じられないし、これは一生の内で最も大きな数カ月だったと言えるだろう。あの日々がもうどこにもないだなんて。
今一度……華は、夏に放課後の度、向かったその壁を眺める。
すっきりとバスケットボールのコートを見せるその場所を見て――無くなったのはそれだけでない事を思い出す。
もうすぐ、冬休みに入る学校は年末に向けて、皆せわしなく教室で予定の話に夢中だ。
石油ストーブの臭いに包まれた教室は、上空に凍りそうな空気を漂わせてそんな彼等を眺めているのか。
「ねえ、天塚さんも来週の土曜、ボウリング行かない? 」
クラスのムードメーカーの
華は、驚いた様に彼女を見つめる。
「あ、ごめん。何か予定あった? 」
すぐに、両手を前に合わせて彼女はバツが悪そうな表情を浮かべてこちらを窺う。
「うん……ごめんなさい。今週末は予定があるの」
それを、聞いて「そっか……」と、尻すぼみに言葉を消して石渡は下がっていく。
少し、申し訳なさそうに華は彼女の背中を見ていた。
しかし、今週末は予定を崩す訳にはいかない。彼女は遥か遠く東京の地にどうしても行かなければいけないから。
放課後、決まった様に華は早足で学校の坂を下っていく。そして海辺の道をなぞるように進むと次は彼女を待ち構える、長い長い階段を登る。
この頃はさすがに息が弾む。が――足を止めることなく、華は頂上まで登り切る。そして、そのまま息を整える事もなく、境内に恐る恐る入ると木彫りの仏壇に一度手を合わせた。
最後に奥の戸を開く。
そこの景色は、この何か月か全く変わっていない。
何故か境内の裏の空間にあるボルダリング設備で、鬼気迫る様にそこを登り続ける少女が1人。
学校にも行かずに、少女はひたすらにここへ通いクライミングトレーニングに明け暮れている。
日に2度、谷寺が彼女の様子確認と課題を変更に来る。
その時に入浴と食事を済ませているそうだが、こないだ見ると栄養補給ゼリーを口にしているだけだった。
だから自分が付いていなくてはと華は決心した。
「先輩。一花先輩」
一心不乱にホールドを掴む少女に声を掛ける。
……聴こえていないのか、それとも聴こえているのか。
一つ確かなのは、それに以前の様に優しい応えが返ってこない事か。
華は、彼女の後を追う様に、ホールドを掴むと少しだけぎこちなく登り始めた。
「せんぱーい」
彼女と同じ高さまで行くと再度声を掛ける。
「……華」
返答する彼女は折角の美人が台無しだ。真っ青な顔色に欠けた頬。
「休憩の時間です」しかし、華はにこりと微笑むとそう言うだけだ。
「もう少し……」
「ダメです。谷寺先生に言い付けちゃいますよ」
それを聞いて、ようやっと幽霊の様な表情の一花に笑みが浮かんだ。
そして、両手を離すと地面のマットに膝から落ちて、そのままクタッと倒れ込んでしまう。
「先輩‼ 」
すぐさま傍に華も飛び降りると、直ぐに一花の頭を抱き上げた。
慣れた手つきなのは、一花が気を失うのはこれが初めてではないからだ。
むしろ――華が対応に手慣れる程の回数。これは行われている。
すぐに一花の上半身を支えて壁に寄り掛からせ呼吸を確認する。
そして、備え付けの内線電話で谷寺を呼ぶと部屋の中を見渡す。
やはり――。
華の予想通り、そこには朝食と思われる膳がそのまま手を付けられず置かれているだけだ。
「すまないな、華」
間もなく谷寺と、白衣の男性がやってきた。
「おいおい、なっちゃん。冗談じゃないよ。この子、いい加減にしないと本当にここで死ぬよ? 何回脱水でぶっ倒れれば気が済むの?
こんだけ寒くなってこのぶち寒い境内の奥で、ようこんだけ汗かけるわ。僕だったら余裕で死ねるよ? コレ」
そう言いながら、白衣の男性は点滴の準備を始める。
「そう言ってくれるな、
この礼は、後で存分にわたしがするよ」
谷寺がそう言うと、ビタミン剤を乱暴に叩いて点滴に混ぜた男性はククっと鼻を鳴らした。
「へぇ~、結婚でもしてくれるの? 」
「おう、好きにしていいぞ」
動揺して、男性は自分の手に針を刺した。
「痛って‼ ……針、変えないと……なっちゃん‼
冗談でも、言っていい事と悪い事が‼ 」
しかし、振り向いた先に居た谷寺は全くの無表情だ。
「とりあえず、冗談という訳ではないが。
教え子の治療は、完遂してくれ。事故なくな……」
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