第19話 始まりの終わり

 8月最後の週。始業式の日に校長から継葉の事故の事が全校生徒に知らされた。


 しかし彼女の知名度から、もうその事故は全国ニュースとなっており身を挺して子どもを守った英雄の少女とか、マスコミが囃し立てていたので校内で既に知らぬ生徒など居なかった。

 あの日の後、何度か一花にメールを送ったが、返信は一度もない。


 始業式の日は、夏休みの宿題を提出し午前中で下校となる。

 しかし、クラブ活動のある生徒はそのまま昼食を摂り、校内に残る事になる。まるでクラブ発表会があったあの日の様だ。


 ――ひょっとしたら、彼女が来ているかもしれない。

 そう思った華は、そのままの足で体育館へ向かう。


 もう体育館には食事を早く済ませた生徒が何人か活動していたが、カラフルな石が敷き詰められたその壁の前には、誰も居なかった。


「あ……そうだ……」

 その前に立てかけられていたマットの中身を見た華は、体育館裏に回ると干したままになっていた大きなラバーシーツを手に取った。

 すれば乾き過ぎて重なっていた表面が「パリパリ」と音をたてて剥がれる。


「華」

 その声に、勢いよく振り返る――待ち望んでいた人だと思ったのだ。持っていたラバーシーツの端が物干し竿に引っかかって、地面に「ガラガラ」と大きな音を立てた。


「……谷寺先生……」

 少しだけ華の胸がホッとなでおりる。


 そんな華を、無言で谷寺はただ、見つめ続けていた。

 華は、持っていたラバーシーツを両手でクルクルとロール状に巻き取ると、落としてしまった物干し竿を掴む。

 だが、谷寺はその動きを見ても尚沈黙のままだ。


 一体、どうしたらいいのだろう。

 その予感をみた華は、物干し竿をゆっくりと戻した。


「ボルダリング部の廃部が正式に決まった

 恐らく、数日の間に体育館の設備が撤去される筈だ」

 谷寺が突然言ったその言葉の後、再度物干し竿が地に大きな音を奏でる。


「え……? 」

 戸惑う華に、谷寺は初めて感情的な表情を浮かべた。


「すまん、お前はまだ入部して数カ月しか過ごしていないのに――これも全てわたしの不徳が招いた結果だ――」

 華は、今度は物干し竿も拾えず、定まらない焦点で地面を見つめ続けていた。


「一花……一花先輩は……この事……」

 谷寺は、少し瞼を閉じ「もう、知っている。私が話したよ」と返した。


「そんな……」華が顔を挙げると、先よりも谷寺が傍に寄って来ていた。

 華の瞳を真直ぐに受け止める。


「ひどいです……だって、わたしにとって……ボルダリング部は……一花先輩と……継葉先輩との繋がりなのに……」

 谷寺は瞳を落とす。

「すまん――こればっかりは私には、もうどうにも出来ない」


 ミンミンと聴こえていたセミの鳴き声までも、まるで2人の行方を見守る様にそれを止めている様だった。

 華は、理解した。

 このタイミングでボルダリング部が無くなるのは、それはもう継葉の事故が明らかに関係している事だ。

 ならば、自分がそれを嘆いても。

 決定が変わる筈がない。

 ただ、谷寺を困らせるだけになる。

 だから、華は「わかりました」とだけ伝えた。


 そして、ラバーシーツを持って体育館へと戻っていく。

 その、あまりにも寂しそうな背中を見て。


「華‼ 」

 本当は、華を巻き込む気はなかったのかもしれない。

 だが、谷寺はその背中を見て信じたのだ。


「少し――私に付き合ってくれるか? 」


 振り返った華の瞳は、潤んでいた。

 そして、それを受け止めた谷寺の瞳は――とても真剣な眼差しで。

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