第14話 チュー
「ほれぇ、ツグぅ忘れ物ないかぁ? 」
麦わら帽子にオーバーオールに身を包んだ継葉が「うん」と微笑み頷く。
「じゃあ、行ってきます」くるんと振り向くと、凪海家の3人がそれを見送る。
「ツグ、先生の言う事しっかり聞くんだぞ?
先生……本当お世話を掛ける娘と思いますが……よろしくお願いします」
父親と母親がペコペコと頭を下げながら、谷寺にそう話すと。
「ええ、どうかご心配なさらずに……娘さんを責任をもって預からせて頂きます」と、生徒達の前では見せた事もない頼りがいのある声で彼女は返した。
「お姉ちゃん」
手を後ろ手に組んでひょこひょこと妹が近付いてきた。
「なに? 」
姉は、ムスッとした感じで答える。妹がニヤニヤして近付いて来る時はろくな事がない。
「おでこに、ニキビできてる」
一花が「え? 」と、注意を目の前から切る。
「ちゅっ――」
その瞬間に頬へ、柔らかい物が当たる感触があった。
「……へへ」視線を戻すとそこには悪戯っぽい顔を浮かべている妹の顔がある。
「なにしてんの……キモいな……もう」
眉を顰めて、姉は一歩後ろに下がる。
「行ってくるね‼ 」
自分からしておいて照れ臭くなったのか、継葉はそう言うと、軽やかな足音を響かせて谷寺の軽自動車に乗り込んだ。
「では……行ってまいります」
もう一度谷寺は、継葉の両親に頭を下げると、車へ入る。
見送る3人は、穏やかな表情で手を振ると、後部座席の少女は幼い子どもの様に自分もずっと手を振って応え続けていた。車が角を曲がり、3人の視界から見えなくなるまで――ずっと。
「ツグになにされたの? 」
玄関に向かう時に、母親がそう尋ねてきた。
「チューしてきた」
その返答に「アハハハハ」と2人は心底から可笑しそうに声を出して笑った。
「しょうがないな、ツグは。小さな頃からお姉ちゃんと離れる時は、チューばっかりだったもんな。もう、会えなくなったらいけないから~って」
父親がそう言うと、2人はまた示し合わせたかのように笑う。
「もう、そんなの子どもじゃないんだから知らないよ。される方は迷惑だって」
それだけ言って、足早に一花は部屋に戻り、閉めた戸に背を預け、高鳴る胸に手を当てた。
「あの子……口にしてくるかと思った……」
「行ってきます」玄関に向かって声を掛けると少し遠くから。
「気をつけてね」と返事がある。それを聞くと華は用意してもらった弁当を着替えの入った家庭科実習で作った自慢のナップサックに入れて、家を出た。
「はぅはぅはぅ……‼ 」
入学時に、ヘロヘロになって登っていた学校までの坂を、テンポ良く華は駆けていく。
そんなに急ぐ必要などない。
待たせている人も居なければ、時間が決まっている訳でも無いのだ。
だが、いつからだろう? そのペースが心地よく、自分に合っている。と思いだしたのは。
「失礼します……」
おどおどと、職員室に入ると何人かの教師が「おう」と挨拶を返してくる。
「ボルダリング部なんですけど、体育館を使用していいですか? 」
と、尋ねると対応してくれた男性教員はポカンと口を開き。
「あ、ああ……体育館か。それなら、さっき来た奴がカギを持って行ったぞ? 確かあいつもボルダリング部だって、言ってたな」
と、指を体育館の方に向けてそう言う。
華は、体育館へ駆けていくと、そこに窓を開放している少女が見えた。
その少女をどちらだろう? と思ったのは外見が2人は同じだったからだ。だから、近付いて確認する事にする。
「華? どうしたの、こんなに早く」
その声を聞いて、その少女が一花だと華は確信した。
「はい、どしても練習したくなっちゃって」
そう笑う華をマジマジと見て。
「華、少し逞しくなった? 」
そう言われると、華は「へぇっ⁉ 」と驚き、顔を赤くした。
「ホントですか? えへへ、一花先輩に言われると嬉しいです」
そんなにこやかな会話をしていると、体育館に生徒が次々と集まってくる。
「今日は、バスケ部とバレー部の日だからね。少し、狭いかも」
そう話していると、一花の方に誰か向かってくる。どうやらバスケ部の顧問教師の様だ。
「あらっ⁉ 今日は、ボルダリング部あるのか?
谷寺先生に頼んで、今日は練習試合だからコート借りる事になってた筈なんだけどな……困ったな、こりゃ」
彼は、そう言うと太い腕で後頭部を掻いた。
華と一花は顔を見合わせる。
「そ、そう言う事でしたら、どうぞ」
その言葉に、バスケ顧問の男性は「え⁉ 」と、顔を挙げる。
「え、ええんか? でも、キミらも今日練習に来たんじゃろ? 」と慌てる様に言う。
「でも、情報が不十分だったのは、こちらに責任がありますので……」
と、一花が言うと。
「いや、でもぉ……」と、まだ顧問は納得していない。譲ると言っているのに、譲られる側が渋るのは何故なのだろうか。
「私達は、ジムに行けば練習できますので」
一花も終わらないその話に困り、断ち切る為にそう言った。
「そう? 」と、やっと顧問は納得してくれたようだ。が。
「いや……」どうやら、まだ何かあるらしい。
「ジムって、金掛かるだろ?
ちょっと待ってろ」
そう言うと、バスケ部顧問は自分の鞄を持って2人の前に戻って来た。
「これ、使え」
と、差し出してきたのは、千円札2枚。
「い、いえ。それは受け取れませんよ⁉ 」慌てて一花は身体を仰け反らせて両手をぶんぶんと振るった。
しかし、バスケ顧問は「いいからいいから、領収書持って帰ってくれたら、部費で落ちるし」と、余計な事まで付けくわえて、彼女にそれを握らせた。
受け取ってしまった……。
とでも言いたそうに、華と目を合わせる。
「折角だから、じゃあ……昇級課題も兼ねて……行こうか? KURDジム……」
華は、こっくりと大きく頷く。
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