第十回 ゾンビ
オレは今、
奴は体格にも容姿にも恵まれた姿をしており、そのためなのか分からないが異常ともいえるほど自信に満ち溢れている。その上、――見た目も、知能も男としても、ヒーローとしても、お前は劣っている――などとオレに
ほかにも奴はオレの妻の
オレはすでにビーストに変身していた。「死ね! 化け物!」とすぐにゾンビに向かって飛び掛かって攻撃を試みるのだが、奴は柔道の技であっさりとオレを投げ飛ばした。オレは受け身をとってすぐに再度ヤツに飛び掛かる。今度はゾンビが仕掛けてきた技を
オレが奴の顔を見る。無表情だったが、オレと目があった瞬間にまるで勝ち誇ったかのような笑みを見せやがった。と、オレはいきなり腹を殴られた。奴の腹に突き刺していた右腕を抜かれたと思えば、両手で掴んだオレの腕を膝で蹴り上げるようにして折りやがった。
「ぐわああああ!」
オレは上を向いて叫んだ。次は腹を蹴り飛ばされた。すぐに起き上がろうとして四つん這いのような体勢になったオレは、右腕を庇いながらもゾンビを見る。奴の腹に開けた穴も、殴って出来た
「いくら馬鹿力があっても、扱う技術がなければ無意味だな」
ゾンビが言った。
「無鉄砲で大雑把で乱暴。道理でカミさんから嫌われる訳だ」とまで続けた。
気付いたらオレは再び奴に飛び掛かっていた。爪で斬り殺そうにも、拳で殴り殺そうにも、蹴り殺そうにも、どんな風に攻撃しても奴は笑みを湛えながら、オレの攻撃をあるときは躱し、あるときは受け流している。
「随分とお粗末だな」
奴がそう言った瞬間、オレは腹を膝で蹴り上げられて一瞬動きが止まった。と、今度は頬を殴られた。オレは殴り返そうとするのだが、奴は合気道の達人ようにあっさりと受け流して、今度はオレの首を殴った。続けて脇腹を蹴られる。奴は拳を振り下ろすようにして、負傷しているオレの右腕を殴った。オレが少しだけ前屈みのような感じになると、奴は足を上に挙げて、それを振り下ろしてオレの背中を蹴った。オレの両手が床に着くと同時に、腹を蹴り上げられる。オレは立ち上がり、奴に反撃の一撃をお見舞いしてやろうと殴り掛かったのだが、手首を掴まれて
「格闘技の基礎がまるで成っていない。少し聞き
オレは、そう言うゾンビを睨みながらゆっくり立ち上がる。
「
だが、聞いてやる筋合いは無い。
オレは再びゾンビに飛び掛かるのだが、あっさりと庭に向かって投げ飛ばされた。地面に叩き付けられたオレは「クソッタレ!」と思わず叫んだ。
「体は
化け物の分際で……。
オレの様子を見るために庭に出た村松の視線が、一瞬だけ池に向いた。そして顔だけ部屋に入れて「一文字、お前もいったん
「逃がさんぞ。お前たちは今日、ここで死ぬんだ」などとほざきながら、ゾンビがオレ達に近づいてくる。
オレだって逃げるつもりはない。すぐに奴に飛び掛かって攻撃するのだが、さっき同様に投げ飛ばされる。すぐに立ち上がって攻撃しようとするのだが、光弾がオレの動きを阻んだ。その隙にゾンビがオレを殴り、地面に叩き付け、蹴り飛ばす。その間も光弾が飛ぶので見てみると、村松と一文字が銃撃していた。さっきの妨害は
「早く池から出るんだ」と村松の声がした。
言われなくても出るに決まっている。オレは立ち上がる形で、今度は奴を池に落としてやった。そのとき一瞬だけ見たのだが、両方の腕と肩の関節あたりのから出血していた。恐らくは一文字らがゾンビの腕を集中攻撃したときに、たまたま筋だか神経だかを傷つけたお陰なのだろう。だが、奴ならそんな傷くらいすぐに修復してしまう。オレは急いで池から出ると、村松が池に向かってなにかを投げた。投げた物には紐が付いている。
「早く離れるんだ!」と村松が叫んだ。
とにかくオレは池から離れた。なにかが池に落ちるのと同時に、立ち上がっていた奴は全身を小刻みに震わせたのだ。
「な、なにを投げたんですか?」とオレは、村松に尋ねた。
「延長コードだ」
延長コードということは、いま奴は感電しているのか。体を震わせたまま動かないゾンビの体から泡が噴き出したかと思えば、そのまま
一文字がキノコを一瞥する。
「おい、早田。あのキノコを拾え」と、いきなり命令してきた。
「なんでオレが!」
「濡れてるから丁度いいだろ。僕は濡れたくない」
「オレだって、あんな気持ち悪いのが融けた池なんて入りたくない」
「そんなことを言ったら、人間に戻さないぞ。さっさと入れ」
本当に人遣いの荒い奴だ。いい上司にならないな。
池に入って、キノコを引き揚げる。それを一文字が回収した。そしてオレは人間の姿に戻る注射を打ってもらい、いったんは施設に戻ることにする。ここで死んだ職員は、ほかの班が回収するそうだ。
施設に戻ると、ガレージで
「早田くん。今日はどうしても直接きみに伝えたいことがあったのだよ。君の家族を生き返らせる光明が見えてきた」と突然言われた。
「本当ですか!」
「
「ありがとう御座います!」とオレは、芹沢博士の両手を纏めて握り締めた。
「いやあ、感謝したいのはこっちだ。君のお陰で、
「はい!」
「そうだ。村松くん、回収した
「一文字が持っております」と村松だ。
「一文字くん、次いでだからここでキノコを受け取ろう」
「これです」と一文字がキノコを渡した。
「うむ。確かに受け取った」と芹沢は上機嫌だった。
そうしてオレは芹沢博士を別れて、一文字に自室へと連れて行かれる。いつも通りなのだが、オレが部屋に入るのと同時に扉に鍵が掛けられた。全く、子供じゃないんだから黙って施設を大冒険なんてしないって。
まあいい。
オレは特にすることが無いのもあって、ベッドに寝転がってボンヤリする。案の定、すぐに意識が薄れていった。
警報が鳴った。
「またかよ」と、呟いてオレはベッドから起きた。
気付けば痛めていた腕はすでに治っている。すぐに一文字がやって来て扉を開けた。
「出ろ。行くぞ」
扉を開けるなり、そう言った。
「あいつら、随分としつこいんだな」
「……そうだな。さっさと行くぞ」
相変わらず、つまらない男だ。
すぐにガレージに移動して車に飛び乗り出発する。いつもと違って今回は
「あれ? 岬さんは?」とオレは尋ねた。
「彼女はすでに現場に行っている」
「別行動なのか?」
「応援要請があったから、岬は先に行ったというだけだ」
「応援? 危険なのか?」
「そういう訳じゃない。ツチグモだのゾンビだのに、調査班もほかの駆除班も
「それで、今回の化け物はどんな奴なんだ?」
「間抜け
「ガキ? 子供か?」
オレは一文字のほうを見た。
「ああ。だが、見た目が子供というだけで、中身はお前が戦ってきたほかの
「まさか、子供にも擬態できるのか……」
オレがそう言うと、「そもそも奴らに、人間のような性別があるのかどうか未だに分からないのに、見た目や言葉遣いが個体ごとに男だったり女だったりするからな。子供にくらいなれるだろう」と一文字は言う。
「そのうち、犬や猫に化ける奴も――」
「当然その可能性も考慮して我々は行動している。犬や猫だけではなく、鳥・蛇・蛙・魚といった脊椎動物全般に擬態できるという危機感の
「それは研究成果なのか?」
「いや、研究結果を基準にすると、今は人間にしか擬態できないという見解だが、警戒するに越したことはない。可能性は無い……なんて幻想や信仰にしがみついた結果が、目も当てられない大惨事……なんて事になったら最悪だ」と一文字は言った。
まあ、危険をいい加減に処理されるよりは、多少神経質でもこんな風に対処してもらうほうが、一般人としては安心できるかも知れない。
そして車は、とある丘の下で止まった。
「この上には神社がある。今回の標的はそこで確認された」と、車から降りた一文字は言った。
オレ達は石段を上る。左右の林は鬱蒼としていて、夕暮れが近いというのもあって暗かった。丘の頂上には小さな神社があった。神主もいない、常に留守になっているような神社らしく、いや……それ以前にすでに管理者すら居なくなっているのか、わずかに神社の面影と留めているといった具合に廃れていた。
「ここに奴が居るのか?」とオレだ。
「恐らくは。まだ調査班が調べているはずだ」
「それまでここで待つのか?」
「馬鹿なことを言うな。僕らも捜すぞ」と一文字がオレに筒のようなものを渡した。どうやら蓋のようなものが付いている。
「これって変身用の注射器か?」
「そうだ。それを打てば
「いや、あのときは感情的になっていてよく覚えていない」
呆れたと言いたげに、一文字はオレから目を逸らした。一息ついてから言う。
「僕とお前は別れて捜すんだから、先にお前が
「手首にか?」
「そうだ。手首に手を当てて脈拍を測ったことくらいあるだろう。そこに刺せばいいんだ」
「痛そうだな」
「出来ないのか?」
「いや」とオレは注射器を袖に仕舞った。
「失くすなよ」
そう言って一文字は去って行った。オレは一文字とは違う方向に向かって歩く。
小さくてボロい神社だから別れて捜す必要もないと思っていたのだが、神社の後ろには祭神の祠があるため、奥に長い形になっていた。さらにそれを囲うようにして神主が住んでいたと思われる民家や、倉庫らしき建物がある。倉庫も民家も扉は開いており、民家に至ってはガラス窓が割れていて、とても住める状態ではなかった。
オレは倉庫に入る。懐中電燈を使って周囲を見るが、段ボール箱や木箱は埃を被り、その周囲を蜘蛛の巣が結界を張るように囲っている。奥には
まあ、なんでもいい。捜索対象の
次にオレは民家に玄関から入る。倉庫と同じように民家の中も埃塗れであり、床には雪が積もったかのように埃が溜まっていた。土足で家に上がる。居間に入る。大きな机に、その周囲には一台のソファーと、向かい合うように木の椅子が置かれている。部屋の隅にある本棚の上には空の水槽が置かれていた。その本棚には、オレが少年時代に好きだった、一九八〇年の終わりから九〇年代半ばに人気があった少年漫画が何作、その年代に放送されていてオレも観たことがある映画やアニメのビデオテープがあった。ソファーの向かいに置かれているテレビもブラウン管の、箱のような形をしたテレビである。テレビ台にはビデオデッキが設置されていて、それだけではなく、九十年代初めごろに発売された旧式の据え置き型のゲーム機もあった。その隣には数作の懐かしいゲームソフトが置かれている。
察するに、住人が居なくなって二十年は経過しているのではないか。
次に台所に入った。冷蔵庫を開けてみるとさすがに空だった。隣の棚に置かれていたスナック菓子の袋に書かれた賞味期限を確認すると一九九四年とある。オレが今年……二〇一八年で三十四歳だから、オレが十歳のころに期限が切れた年代物ということか。
ほかの部屋も確認する。個室、和室、トイレ、洗面所に風呂。ここには特にめぼしいものは無かった。二階に上がる。部屋は三つある。
この部屋にも特にめぼしいものはない。
オレはそう思って階段を下りて民家から出る。と、そこには十歳くらいだろうか、青い風船の糸を掴んで俯いている少年の姿があった。こちらを向いているのではなく、体は横を向いていた。
――なんだ、この子供は。
こんな古ぼけた神社に人が、ましてや子供が来るなんて思えなかった。肝試しだとしても、一人で来るなんてことはないだろう。
オレは警戒して袖に手を入れて注射器を握った。オレはこの子供が
「おい君。ここでなにをしてるんだ?」
「おじさん。僕、悪いことしちゃったの」と少年は暗い声で返した。
「おじ……」
オレは息を
「なにをしたんだ?」
「お祭りで金魚掬いをしたことがあるんだ」
「金魚掬いか。懐かしいな。『お兄さん』も小さい頃は金魚掬いが好きだったぞ。白の混じった金魚がどうしても獲れなくて、何度もやったっけ」
「『その金魚』を、帰り道で転んで死なせちゃったんだ」
「…………。なるほど。奇遇だな。お兄さんも似た経験をしたことが――」
「倒れた僕の目の前で、苦しそうに金魚がピクピク動いたんだ。跳ねることも出来ずに、もがき苦しんでたんだ。僕はね、それを拾って金魚を入れていた袋に入れ直したんだけどね、
「…………ぼうず?」
「普通なら可哀想とか、御免なさいとか、赦してとか、そういう風に思うんだろうけど、そのとき僕はオモチャが壊れた程度の気持ちしかなかったんだ。だから、すぐゴミ箱に捨てたの」
「君?」
「だって、僕は捕まえるのが楽しいから金魚を掬っていただけで、捕まえたあとは興味が無かったんだ。普通の赤い金魚も、黒い出目金も、白の混じった珍しい感じの金魚も、家に何匹も『あった』から」
「ぼうず、お兄さんの話を――」
「ほかにも蟻地獄を見つけたときも、僕はその辺にいた蟻を捕まえて、その蟻地獄に落としたの。蟻は必死にもがいて蟻地獄から抜け出そうとするんだけど、蟻はどんどん窪んだ穴に落ちていったんだ。その姿を見るのが面白くて、何匹も何匹も蟻を捕まえては蟻地獄に落としたの。そのうち蟻地獄が蟻を引き込まなくなったから飽きたんだけど、これって凄く残酷じゃないかな?」
「…………」
「夏休みに裏山の神社で三匹のカブトムシを捕まえたから、僕はそれを友達に見せたんだ。僕はね、お父さんからカブトムシを掴むときは、後ろの小さい角を掴むように言われていたんだけど、そのとき僕はカブトムシの頭から生えている大きな角を掴んだの。それを友達に見せびらかしたりして振り回しているうちに、カブトムシの首が千切れちゃったんだ。僕は、それを見て友達と笑ったの。『うわあ、最悪だ』って。でもね、まだ二匹もいるから、別に可哀想とか思わなかったの」
「おい、お前……」
「大きなカマキリを捕まえたとき、餌はバッタだって聞いたから捕まえて、カマキリの入ってる虫籠に入れたんだ。バッタは怯えたようにカマキリから距離を取ったんだけど、カマキリはすぐにバッタを捕まえて食べ出したんだ。バッタは力尽きるまで脚をバタバタさせて、カマキリに背中を食い千切られていく姿を、僕は面白がって見ていたんだ。どれもさ、鬼のように残酷だよね」
「お前、さっきから!」
オレはその子供の肩を押して顔を見るなり驚いた。息子の
――
オレは急いで袖から注射器を出そうとするが、その前にその子供が言う。
「そんなアンタが、幸せになる資格があると思ってんの?」
その言葉はオレの魂を突き刺した。奴はまだ続ける。
「自分のためなら虫でも子供でも奥さんだって平気で殺す。それがアンタの本性だ」
「あんたは不幸な事故で奥さんと子供を亡くしたんじゃない。実際は自分が助かるために、妻も子供も犠牲にしたんだ。二人のために自分を犠牲にする気なんて元から無かった。思い出してみろ。衝突する寸前に、お前はハンドルをどっちに回したか」
「今は悲劇のヒーローぶって、恰好つけて、意味不明な化け物と戦う連中の犬に成り下がったのも、奥さんや子供に対する懺悔でもなければ生き返らせるためでもない。可哀想な自分を演じて、自分の人生や運命に酔い痴れたいだけ」
「生き残って御免なさい。代わりに死んでやりたかった。だから赦してくれ……。心にもない嘘を平気でしゃあしゃあと言って
オレはなにも言い返せなかった。
「惨めなもんだな。だからお前はヒーローに成れなかったんだ。薄っぺらい覚悟の真似事。ヒーローどころか、使い捨ての化け物以下だ。売れないヒーロー
涙が溢れてきたオレは、鬼の形相で
ボキッと鈍い音がした。
オレの目からはまだ涙が溢れている。オレは赤く染まっていた空に向かって叫んだ。青い風船が天高く昇っていく。
オレの声を聞きつけた岬が、オレの許に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか」の問いかけに、オレは小さく「大丈夫です」とだけ答えた。
岬は戸惑いつつも、オレの前にあったキノコを回収する。
「この
岬は困った様子で周囲を見回していると、一文字が現れたのでそっちに駆け寄った。二人はオレのほうを向いてなにかを話しているが、正直いまはそんなことは気には成らなかった。
一文字が近づいて来て「さあ、帰ろう」とオレの腕を掴んだ。今のオレは両膝を曲げた姿勢だったので腕を引ッ張り上げられる。
「ああ」とオレは力なげに言った。
丘の下に止めていた車に乗って帰路についた。後部座席には岬が乗っている。
オレのせいなのだろうが、空気は暗く重たかった。そんなときに岬の携帯電話が鳴った。電話に出た岬が慌ててオレ達にこう告げる。
「
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