第九回 ツチグモ


 オレと一文字いちもんじはほかの駆除班からの応援要請を受けて、以前にインパクトと呼ばれた夢幻亜人イリュージョノイドたおした古寺に急行した。みさきとは先に斃した夢幻亜人イリュージョノイドを研究所に送るために一時的に別れている。

 例の駐車場に着く。三台しか止まれないその場には、すでに二台の車が止まっている。

「この車は、二台ともほかの班のものだ」と、車を降りた一文字が教えてくれた。

「ここで生き残った駆除班の奴と合流するから、少し待っていろ」と一文字は続けたのだが、待つまでもなく、古寺に続く道から男が駆け下りて来た。年は四十歳前後だろうか。一文字ら同様に、あの男も眼鏡を掛けている。

「あの人は村松むらまつ藤兵衛とうべえ、全ての駆除班を管轄する……いわば駆除班のボスだ」

「つまり、オレらの上司か!」

「そうだ。今回は人手不足だから駆除班の実行部隊に参加している。失礼のないようにな」と念を押される。

「お前たち、よく来てくれた」

 村松がオレ達の前で立ち止まって息を切らせた。

「キャップ、標的の夢幻亜人イリュージョノイドは誰ですか」と一文字。

「相手はツチグモだ。思っていたより厄介な奴だった」と、村松はまだ息を切らせている。

「ツチグモ?」とオレだ。

「【№《ナンバー》12】の夢幻亜人イリュージョノイド蜘蛛くもみたいな特殊効果エフェクトを持つ奴だ。指先から糸を出して来るし、その糸にはトキシンほどではないが毒があって体が痺れるそうだ」と一文字が説明してくれた。

「ほかの駆除班の人はどうなったんですか?」

 オレが尋ねると、村松に「分からない。とにかくすぐに助けに行かないと」と返された。

 一刻の猶予もないらしいので、すぐさまオレ達は古寺に向かう。だが、道には霧が掛かったと思えるほどに無数の糸が張り巡らされており、オレ達は落ちていた木の棒を使って、その糸を切ったり払いながら進む。

「いっそ焼き払ってやりたいな」

 オレがそう愚痴を零すと、「そんなことしたら山火事になる」と一文字が素ッ気なく言った。

 途中、手足を縛られて吊り下げられている人を何人も見つけたのだが、どれも俯いたまま動かなかった。

「なんだあれは?」とオレだ。

「私が下りて来たときには無かったぞ」と村松が言った。

「なら、恐らくは殺した駆除班や調査班の職員を、見せ示めに使っているんでしょう」

 一文字がそう推測する。

「えげつない。あれじゃあ、まるで操り人形じゃないか」とオレは零した。

 古寺の庭に到着する。寺の庭を無数の石灯籠に竹の柵が囲っている点では、以前に来たときとなにも変わらない。ただ、寺の周囲には蜘蛛の巣が張られているのだが、不思議なことに庭には張られてなかった。それに誰もいない。

 村松が言う。

「気を付けろ。ツチグモは不意に糸を飛ばして来る。今もどこかに隠れて、我々の隙を窺っているはずだ」

 オレたち三人は、互いの背中を預け合うような態勢をとる。村松も一文字もすぐさま反撃できるように拳銃を持ち、さらに一文字はオレを即座に変身させられるよう注射も握っていた。それに比べて、オレが持っているのはさっき拾った木の棒だけだ。

 ふと、枝葉の揺れる音がした。オレたち三人はそっちに目をやった瞬間、オレの背中になにかが付いた。しかも引ッ張られる。

「うわああああ!」

 引き上げられそうになったオレの脚を村松が掴んだ。一文字も脚を掴んで、変身用の注射を打ったのだが、二人の力よりも引ッ張る糸の力のほうが強く、オレはそのまま二人から引き離された。

「早田!」と村松や一文字が叫んだ。

オレはそのままの状態で夢幻亜人イリュージョノイドのビーストに変身するのだが、糸がオレの体を縛り、一文字が言っていたように体が痺れてきた。糸を引き千切るにも痺れているのと縛られているので全力を出せない。握力も無くなってきて持っていた棒も落としてしまう。

「放せ虫螻むしけらあ!」

 オレは叫んだ。糸はそのままオレの全身に巻き付いて目も覆われた。糸の隙間から光が入るのか、視界はほんのりと暗い白色といった感じになった。

 どこかに運ばれていくのだが、ぶら下げられたり振り回されて、どっちにどれだけの距離を移動させられているのか分からない。だが、時間が短かったので、それほど遠くはないはずだ。どこかにドスンと倒された。最初は寝転んだ状態になったのだが、今度は胡坐をかいたような体勢にされる。口の周りも糸が巻き付いているのだが、マスクをしている程度の隙間があり喋られないことはなかったので、オレは「放せ! 出せ! 蜘蛛野郎! 聞いてんのか!」と怒鳴り続けていると、首から上の糸だけ剥ぎ取られた。

 目の前には女がいた。かつて戦ったハナビのようにまだ幼さが残るのだが、ハナビよりは大人びている。頭の後ろには黒髪の団子があり、後ろ髪は胸に届くほど長い。肌は褐色で、模様の色は紫なのだが、これが口で説明するのがちょっとややこしい。一つは、額には円を縦に重ねたような模様で、大きな円を二つ重ねて中央に細い楕円形を作っている感じである。二つ目が、両頬に各二本ずつ三日月の傷のような模様があるのだが、エラに向かって三日月の孤が広がっている感じだ。そして三つ目は、女の額にある模様と同じものが両手の甲にある。

 それでその女なんだが、オレに満面の笑みを向けていた。

「お前が夢幻亜人イリュージョノイドのツチグモか!」

 オレがそう怒鳴ると、女は「そうだよ。君たちは僕をそう呼んでるね」と笑って答えた。話しかたまでハナビに似ている。

「さっさとこの糸をほどけ!」

「やだ」

「なんだと!」

「だって君は僕のもの。僕だけのもの。君たちがビーストと呼んでいる、僕らの仲間を取り戻したら、君は僕の大切なコレクションになるの」

「コレクション? オレも、お前が殺した連中も、みんなお前のコレクションだと言うのか!」

「そうだよ」

「オレ達は切手やカードじゃないぞ!」

「君たちはそれと大して変わらない。みんなに自慢した僕の大切なコレクション。だけど、誰にも見せないし、誰にも触らせない。もちろん君にも見せないし、与えない。心の自由も体の自由も、みんな僕の心のままになる」

 ハナビといい此奴こいつといい、夢幻亜人イリュージョノイドの小娘どもは何奴どいつもこいつも頭が狂っている。オレは力尽くで糸を引き千切ろうとするのだが、やはり毒のせいで力が出ない。

 ツチグモがオレの頬を撫でる。

「僕は君を奪いたい、味わいたい、苦しめたい、操りたい。君はただ、僕のコレクションとしてそこに在ればいい。そこに在って僕を楽しませてくれればいい。それ以上はなにも求めないし望まない」

 そう言って立ち上がると、「お友達を連れて来るから、待っててね」と言い残して手から糸を出して再びオレから視野を奪った。

 オレは体を揺らして糸をほどこうとするのだが、全く効果がない。しばらくなにも出来ずにいると、一文字がオレに打てた薬の量が少なかったのか、自然と変身が解けて人間の状態に戻った。オレの体積が減った分、繭の中に余裕が出来た。糸に触れていないところは痺れなかった。オレは袖に少しだけ手を通して、肌が糸に直接触れないよう、慎重に繭を掘るようにして穴を開けて脱出する。さっきはツチグモに気を取られていて気が付かなかったが、自分の居場所は古寺の礼拝場所だった。だが、やはりツチグモが糸を張り巡らせているため行動しづらい。オレは近くにあった、糸の掛かっていない燭台を使って糸を払った。戸を少しだけ開けて、外を覗いてみる。一文字と村松が四方八方に銃撃して、時たまその光弾を縫うようにツチグモの影が見える。交戦中のようだが、人間の状態に戻った丸腰のオレがいま出たところで、足を引ッ張るだけだろう。

「どうしたもんかな」

 オレは隣の和室を見る。そう言えば……。


 しばらくして、オレは数枚のシーツを被って古寺の屋根に上る。一文字らはまだツチグモと交戦していた。

「おい! 虫螻むしけら! オレはここだぞ!」

 オレが叫ぶと、中空で平らに張っていた大きな蜘蛛の巣の上にいたツチグモがこちらを見た。

「あれ? 元に戻ってる。つまんないな」とツチグモはオレに向かって糸を飛ばして来た。

 一文字と村松が、オレに向かう糸に銃撃するのだが、何本も飛ばされたものだから全てを切断しきれずに、オレは被っていたシーツごと奴の許に引き付けられる。オレとツチグモが接近する。オレは一枚目のシーツを脱ぎ捨てる形で糸の束縛から放たれる。ツチグモは慌ててオレを捕縛するために無数の糸をこちらに飛ばして来た。二枚目のシーツに隠しつつ帯に差していた尖った竹の棒を、オレはツチグモに向かって投げた。奴は自分を巣に付けていることで体だけを動かせず、自分の手足とも言える糸をこちらに飛ばしていたせいで、竹を受け止めることもかわすことも出来なかった。竹は奴の首に当たって血が溢れる。悲鳴を上げて動きが鈍ったツチグモに対し、一文字らが集中砲火をした。それが止めになって、ツチグモの体は泡を噴いて融け出した。オレはツチグモが飛ばした糸のお陰で落下を防げたのだが、ツチグモが力尽きたのと同時に糸が脆くなって切れた。落ちたオレを一文字と村松は受け止めてくれた。

「大丈夫か」と村松だ。

「ええ。なんとか」

「あの槍はなんだ?」と今度は一文字だ。

「あれは、柵に使ってる竹だ。一本だけ引っこ抜いてし折って槍みたいにしたんだ」

 ふと、粉雪が降っているのに気付いた。

「雪か?」

「違う。ツチグモの糸だ。奴が力尽きて特殊効果エフェクトが弱まったんだ。その内この糸は消えて無くなる」と一文字が言い終えるのと同時に、ドンッとなにかが落ちる音がした。案の定ツチグモだった。彼女の体はさらに融けていきキノコの形態になる。それを一文字が回収した。

 仲間と連絡を取るためにオレ達は駐車場へと向かった。道中には操り人形にされていた人達が倒れていた。

「生存者だけでも連れて行こう」と村松や、一文字は見つけた人達の生死を確認するのだが、見つけた全員はすでに手遅れだった。

「仕方がない。彼らはほかの班に回収してもらおう」と村松が言ったのでそれに従う。

 駐車場に出ると岬がいた。

夢幻亜人イリュージョノイドは駆除できましたか」と尋ねてきたので、「もちろんです」とオレは答えた。

「それはかったです。ですが、さっき入った報告では別の班が夢幻亜人イリュージョノイドと交戦中で、今回同様に苦戦しているようなんです」

「じゃあ、また応援に行くんですか?」

「はい。詳しい位置情報は携帯電話に送ってあります」

「またかよ……」と思わず漏らす。

「嫌なら尻尾巻いて帰るか?」

 一文字が言った。オレは「いや、行く」とだけ返した。

「じゃあ、岬。これを届けてくれ」と一文字は、さっき回収したキノコを岬に渡した。

「こいつはさっき斃したツチグモだ。犠牲も出たから、彼らの回収するようにほかの連中に伝えておいてくれ」

「わかりました」と岬。

 オレ達はすぐに自動車に飛び乗り、次の夢幻亜人イリュージョノイドがいる場所へ向かう。オレは指定席になっている助手席で一文字が運転席、村松は後部座席に座っている。

 普段は岬なのだが、今回は村松が届いている報告をオレ達に告げる。

「次の標的は、【№《ナンバー》15】のゾンビという夢幻亜人イリュージョノイドだ。奴は丘の上の一軒家に潜伏しているらしい」

「ゾンビってどんな奴ですか」とオレ。

「煮ても焼いても切り刻んでも死なないような奴だ」

「それって不死身じゃないですか!」

「ああ。どんなに攻撃して倒してもすぐに起き上がる。ホラー映画のゾンビみたいな奴なんだ」

 そんな風に呼ばれているような奴である。きっと見た目も全身が腐ったようなおぞましい姿なのだろうと、オレは寒気がした。


 現場に着く。村松が言ったように丘の上に一軒だけある民家だった。オレ達は庭に侵入する。塀や灌木の陰など、外からは死角になっているところに駆除班や調査班の職員らしき死体が何体も転がっている。それに近寄った一文字が「首に絞められた跡がある。絞殺されたんだ」と言った。

「もしかしたら格闘技に精通している奴かも知れないし、背後に忍び寄るのが得意なのかも知れない。どっちにしろ注意しろ。首を絞められたら終わりだぞ」と村松だ。

 絞殺死体だけではなく、池に顔を押し付けられている死体もあった。どれも力任せな殺しかたなので、ハナビやツチグモのように特殊な手段を使うわけではなく、奴の取り柄は倒しづらいだけなのだろう。

 家には出入りできるほど大きな窓があったので、オレ達はそこから中を覗いてみる。オレ達の向かいには大きなテレビがあり、その手前にソファーがあって、男が両腕を広げるようにしてソファーに掛けて座っている。どうやらリビングらしい。男はオレ達に背を向けている形なので顔は分からないが、結構ガタイがいい。

「あいつか?」とオレが一文字に尋ねると、「そうだ」と返ってきた。

「私は逃げも隠れもしない。そこから入って来たらどうだ? 鍵なら開けている」

 突然、男が言った。

「なんなら此方こちらから行こうか?」とまで続ける。

「仕方がない」と村松は窓を開けて、土足へ部屋に入った。一文字も続いたのでオレも続く。

 オレは何気なくテレビ画面を見た。オレが小さい頃に憧れて夢中になって観ていた特撮ヒーロー番組の新シリーズが映っていた。

「これは録画だよ。本放送は観れなくてね」と男だ。

「ふんッ。いい年して子供向け番組なんか観ているのか?」と一文字だ。

「子供向けも案外なめられないものだよ。確かに幼稚ではあるが、大人が真剣に作った作品であれば内容が幼稚であれ、その演出・演技・脚本・音楽と、どの出来も優れている。みんなが幸せになれるなんて幼稚で鬱陶しい理想論を言ったかと思えば、社会や哲学における矛盾や問題点なんかをサラッと皮肉混じりに言ったりする。小さな子供に分からないかも知れない学術的知識や寓話だって秘められている場合もある。そう考えれば、案外バカに出来ないものだ。まあもっとも、いい加減なことで言い包めているだけの事もあるがな」

「どっちにしろ、趣味に没頭する暇があれば、さっさとお仲間と同じ道を辿れ」

「趣味で観ている訳ではない。これは仕事の一環だ」

「仕事だと?」とオレだ。

「私が成り代わった奴というのが、この番組で主役を張っているヒーローのスーツアクターだったんだ。最初は戸惑ったよ。変な着ぐるみを着せられて、戦いの真似事をチマチマ撮影させられたんだ。殺陣たてとかいうやつは思った以上に簡単で拍子抜けだったが、撮影したものを見るとうまく演出されていて結構面白くてね。それと同時に、ちゃんと仕事が出来たか気になったんだ。だから放送されるやつは毎回録画するようにしてるんだ」

 テレビ画面に、番組のヒロインが映る。男が続ける。

「いま映っている女とは、顔出しした回で出会ったんだ。スーツアクターと言っても役者だからな。たまには普通の人間として、ほかの役者と変わらず演技をすることがある。そんなとき、この女にはすぐにいわゆる男女の仲になるよう求められたよ。かなりしつこい奴だったな。ほかの女優やスタイリストとかいう奴らもしつこかったよ」

「なんだ? ただのモテ自慢か?」

 一文字がそう言うと、男がこちら向いた。かなりの男前である。

 男は言う。

「そんなつもりはないが、そうそう。君たちがマドイと呼んでいた仲間が化けるときのモデルになった女からも誘われたっけ?」

 なに?

「あの女もかなりしつこかったな」と続けた。

「お前たちは、化けた相手を殺すんじゃないのか?」と一文字だ。

「場合による。特に、この世界に来たばかりのときは、右も左も分からない状態だからな。こちらに好意を寄せる人間は、情報源として都合がいい。楽しませれば楽しませるだけ、色んなことを教えてくれたよ」

「…………」

「君たちと我々は生物として別物だ。例えば、犬は寝転んでいる状態で、飼い主以外の者に腹を見られるのを嫌がるそうが、人間なら寝転んだ状態で腹の部分を見られても嫌がったりはしない。それと同じように、例えば……君たちなら恋愛対象以外の相手とするのを嫌悪するキスとかいうのを迫られたとしても、我々はせいぜい君たちからすれば握手する感覚で、それが出来るわけだ」

「…………」

「無論、それ以上のこともな」と男は怪しく頬笑んだ。

 まだ続ける。

「でもまあ、都合のいい女であっても不要になれば、当然ながら邪魔だから死んでもらう。マドイが化けていた女の場合は、事故に見せかけて殺した。巻き添えに女の子供も死んだそうだが、まあ構わん」

 オレは男を睨みつける。気付けば体も震えていた。

 男はまだ続ける。

「それにしても、あの女は本当にしつこかった。旦那もいたそうだが、よほど魅力がない男だったんだろう。そう言えば、そのあとどうなったか知らんが、その旦那も事故の巻き添えになったが、しぶとく生き延びたそうだ。女から嫌われてしぶとく生きる……まさにゴキブリだな」

 殺す。

 そう思った瞬間に「待て。これは嘘だ。罠だ。悪質な挑発だ。あの事故は半年前、奴らが来たのが四ヶ月前で、お前の事故のあとに奴らはこの世界に来たんだ。時期が合わない。ハッタリだ」と一文字がオレの肩に触った。確かにそうだろう。だが赦せん。そう思うのだが、オレは自分を抑えた。

「四ヶ月前というのは、君らが我々を確認した時期だろ?」と男だ。

「…………」

 男は立ち上がり、オレを見て言う。

「まさか、お前がその魅力のない旦那なのか? 私でも容易なれたヒーローに成れなかった、負け犬亭主。お前のカミさんから愚痴は聞いているぞ。安っぽい夢にほだされて人生の半分を棒に振った上に、中身は幼稚で、しかも就職できなかったから親の仕事を手伝っている情けない男だと。子供が居なければとっくに離婚しているとも言っていたっけ。いやあ、それにしても失礼した。もう彼女に礼は言えないから、代わりお前に言わせてくれ。人間の至上の楽しみとやらで、うんざりするほど楽しませてくれて、どうもありがとう」

 殺す!

 オレは一文字から変身用の注射器を奪い取って、それを自分の首に打った。オレは変身が不完全な状態のうちから奴に飛び掛かって、奴の右腕を斬り飛ばす。たまたま目の前に映った、奴が演じているヒーローを忌々しく思ったオレは、それを殴ってテレビを圧し折った。変身が完了する。すぐにオレは奴を見た。右腕を失っても平然として、こちらを見ている。

「無駄だ」

 奴がそう言った途端、肌の色が変わり始める。黒っぽい灰色をしている。模様は赤茶色で、人体模型の筋肉部分が、筋状に浮かび上がった感じだった。

「確かに間違いない。奴はゾンビだ」と一文字だ。

「確か……お前が取り込んだ、我々の仲間はビーストと呼ばれているそうだな。それならどう足掻いても私には勝てない」

 ゾンビがそう言うと、奴の腕の傷口から黒いなにかがワサワサと湧き上がる。まるで無数のゴキブリが湧いたようなのだが、それがゾンビの傷を治して失った腕を修復して元通りにしたのと同時に例のゴキブリは消えた。

「これで分かっただろう。どれだけ殴ろうが、どれだけ切り刻もうが、いっそ焼き払おうが私は殺せない」

「あっさり腕を切られた挙げ句、気色の悪いもんで治した奴がでかい口を叩くな!」

「あの女の言うとおり頭まで悪いのか、情けない。いいか、お前が私に勝てないということを教えてやるために、わざわざ『切らせてあげた』んだぞ? そんなことも分からないのか。あの女の言った通り、救いようのない大馬鹿者だな」

「挑発だ! 聞き流せ!」と一文字は言うが、そんなことオレには出来ない。

 オレは今までの人生の中で、ここまで腹が立ったことが無いと思えるほどに、オレの全身に魂にいかりがほとばしっていた。

「いいか。お前ごときには分からないかも知れないが悟れ。見た目としても、知能も、男としても、そして戦士……ヒーローとしても、お前はすべてにおいて私に劣っている確乎たる事実を。そしてここが貴様の墓場になるんだ。ビーストは返してもらうぞ」

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