男ノ章

『天狗の隠れ蓑』を頭から被り、透明になった千景は、来た時と同じ道を走った。邪渇宮の入り口の近くまで来ると、その周りに整列している、朽ち果てた遺跡の柱の上に登り、見張りに付いている兵士達を確認する、この兵士達は、建物の中の惨状を見た兵士達ではないらしく、緊張感もなく談笑をしていた。


 忍術『天稟千里眼てんぴんせんりがんの術』を発動させた。兵士達は、特に変わったところのないステータスで、邪渇宮内の罠もまだ発動も解除もされていないようであった。その様子を見て、千景はほっとした。

これで、ゴルビスが隣国のエンデラから借りた戦力がどの程度のものなのか、そいつがどのように罠への対応をするのか見ることが出来る。


 千景は深く深呼吸した。緑の匂いが混じった柔らかい空気が千景の鼻腔びこうを突き抜け肺を満たす。まだ太陽の位置は、高く、風が穏やかな空気を千景に運んでくる。邪渇宮へ向かって、丘を登ってくる者は誰もいない、エンデラの者が来るまでまだ少し時間がありそうだったので、千景は、千里眼の視線を邪渇宮の中に滑らせ、奥へ奥へと走らせる。螺旋状らせんじょうの廊下を一定のスピードで走り、角を曲がりまた走らせる。刀で倒れた兵士を抜け、『水遁の術』で倒れた兵士を抜け、千景がこの世界に呼ばれた部屋まで来た。


 杖は死んでいる、ルルカの言葉を真に受けるのなら、この部屋の中には今、危険はないはず、視線を部屋の中に移動させる。ルルカの言ったことは事実であったようで、部屋の内部は、倒れた黄金の燭台と魔法陣が残っているだけで、危険を感じさせるような物は、何もなかった。その部屋の姿を見た千景は、邪渇宮は役目を終えている、そう思った。


 少しだけ喉が渇いた、太陽がジリジリと千景を照りつける。ゆったりとした時間が流れる中世の世界の風景は、千景の緊張感を少しずつ緩め、自分がゲーム内でノブナガを倒したのは深夜だったことを思い出した。太陽の光がこうも明るいと、眠気を感じることはなかったが、こういう場合は時差ボケ、転移差ボケどっちなのだろうかとか、そもそもこっちの世界も二十四時間で時間は進んでいるのかとか下らないことが、ふつふつと頭の中から湧いてくる。


 そんな取り止めの無いことを考えていると、一人の黒い頭巾を頭から被った男が丘を登ってくるのが見えた。


 一人だけか……周りには、他に見当たらない、詳細なステータスを確認する、職業暗殺者、種族人間、レベルは22、騎士団長やゴルビスの倍以上のステータスの違いがある、これはゴルビスが頼りにするわけだ、ゴルビスと一緒にいた騎士団長と兵士達の一団三十人以上が束になってもこいつにはかなわないだろう、これが隣国の王の側にいて、ゴルビスに力を貸した者か……そうか……少しだけ千景の中に喜びの感情が生まれたが、すぐに諫いさめた。


 千景は『倭国神奏戦華わこくしんそうせんか』内でのレベルは、カンストの100であり、天音も同様で、あのレベルの暗殺者は、瞬殺出来る強さを持っている、自分との戦力差が、思った以上に開いていることがわかり、俄然がぜんやる気が出てきた。


 黒い頭巾を被った男は、静かに邪渇宮の側にいる兵士達の近くに歩みより、二言三言ふたことみこと話して、そのまま入口から中へと入っていった。その様子を千景は、千里眼で、追いかける。男と罠スキル『虚宮虚実きょきゅうきょじつ』までの距離が、縮まっていく、千景から見られていることがわかっている様子もなく、感知スキルを使っている形跡もない、ただ一定の速度で歩いていた男の速度が少しだけ落ち、そして罠スキルの範囲に入る前に歩みを止めた。


罠がバレたか? 千景は、男の様子を注意深く観察する。男は腰につけた袋から、何かを取り出し、前に向けた。すると、男の手にある何かが、暗い廊下を明るく照らした。そしてまた歩き出した。


 あれは、単純に、ランプや松明たいまつの灯りの代わり物か? 男と罠スキルまでの距離が、残り五歩、千景はカウントダウンを始める、三……二……一、零、その瞬間、男はあっけなく罠に落ちた。千景の口角こうかくが、男のその姿を見て、クイッと上がった。

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