第36話


 不如帰は通路奥の鉄扉の先にあった。

 囚人たちのものなのか、不如帰以外にも様々な剣が立てかけられ、いくつかある防具立てには鎧も鎮座している。


 俺が不如帰の刃を確認していると、短刀が目に入る。これくらいなら邪魔にならないし、携帯しておいて損は無いか。


「そういえばあたし達の名前を言ってなかったね」


 細めの肢体とは若干不釣り合いなプレートを、女は慣れた手つきで装着しながらそんな事を言ってくる。


「別に興味は無い」

「まぁそう言いなよ。そこの辛気臭い男はアルド・カーライル」

「誰が辛気臭いだ」

「それ以外何があるって言うんだい?」

「……ふん」


 さも当然と言った女の態度にアルド・カーライルという男は鼻を鳴らす。


「そしてあたしはレラン……」


 言いかけて止める。


「もう勘付かれたのかい」

「ここから連戦になりそうだな」


 二人は入ってきた方とは別の扉を見ていた。視線は恐らくその先に駆けてくる人の気配に向けられたものだろう。

 俺も不如帰を構えると、扉が開け放たれた。


雷閃フー・グリム


 転瞬、詠唱と共に白の閃光が迸る。レランの放った魔法だった。消えゆく魔法術式の前には複数の看守が倒れ伏している。やはりこの女、強い。


「急ぐぞ」


 カーライルが扉の向こうに身を投じると、レランもまた走る。

 置いていかれないよう後に続くと、鐘音が扉の先の階段に反響した。

 駆け上ると、厳重に施錠された鉄扉に行く手を遮られるが、鍵はカーライルが持っていたらしく難なく突破する。


 が、扉を開けた瞬間だ。頬を熱風がなで、視界には灼熱。待ち伏せしていた看守の魔法だった。無傷なのは目の前でカーライルとレランが魔法反射リフレクを展開していたからだろう。


「裏切ったのかカーライル!」


 看守が叫ぶと、平然とカーライルは返す。


「元々貴様らの仲間ではない。多重石尖シューン・ピラー!」

「ッ……!」


 カーライルが詠唱すると、通路の到る所に鋭利な岩が顕現。看守は間際に魔法反射リフレクを放ったようだったが、見事に打ち破られていた。


 岩が砕け散ると看守たちも地面に倒れ伏す。

発動速度、威力共に高水準なのは弥国人の俺でも分かった。


「流石だね」

「普通だ。行くぞ」


 逃走経路は予め頭に叩き込んでいたのか、複雑な構造をしている通路をカーライルは迷うことなく進む。


 意外と邪魔も入らず、止まる事無く走っていると、幾重もの歯車が連なる巨大な扉の前へとたどり着いた。


「いけるか?」


 重々しい扉を見上げながらカーライルがレランに問う。


「できなくちゃどうにもならないんだろう? まぁまかしなよ」


 どうやら最後の砦と思われる巨門はカーライルの持っている鍵では開けられないらしい。


 レランが扉の中央部に掌を向けると、微量の稲妻が巨門の歯車を這っていく。一体何をしているのだろうか。


機械マキナは雷属性の魔法の干渉である程度操作できる」

「親切にどうも」


 俺の思考を読んでか、カーライルが簡潔に説明してくれるので一応お礼は言っておく。


「ここだね……」


 レランが呟くと、不意に扉から火花が弾けた。少し遅れて歯車が回転し始めると、やがて扉が開いていく。

 唸るような重い音が響くと、やがて光と共に視界が広がった。


――お前たちは包囲されている。大人しく地に伏せろ。


 不意に、そんな言葉が耳に届いた。


「カーライル、こいつはどういう事だい?」

「看守長も一筋縄では無かったようだ」


 目の前にいたのは三列に整列した数十人に渡る看守と、それを率いる大男だった。恐らくこの男が看守長なのだろう。監獄内が手薄だったのはここに集まっていたからか。


「あれの犬が紛れ込んでいるだろうとサルガルタ様からは聞いていたが、まさかお前だったとはなカーライル」


 看守長が呼びかけるも、カーライルは何も返さない。あれ、というのはこの二人の上に存在する人間の事だろうか。


「見極めきれずこんな事態になってしまったのは我が落ち度だが、まぁいい。おかげで早急な対応ができた」


「それに」と看守長は続ける。


「お前たちをこの場で処すればよいだけの事!」


 看守長が叫ぶと、その後ろに横一列で魔法術式が展開される。

 刹那、火、雷、氷、多量の球が飛来。破裂音が耳朶を打つと、立ちふさがったカーライルとレランの前方は煙に覆われた。

 なおも続く爆発音。留まる事を知らないそれにレランが声を張る。


「チッ、どうするんだいこれ! 全然止まりやしない。流石にここまで多いと魔法反射リフレクが破られるよ!」


「蟻も束になれば脅威、か。三段に隊列を組むことによって、発動にかかる魔法の時間をゼロにしている」

「ちと侮ってたみたいだね」


 二人が話している間にも魔法の威力は増幅しているように見える。ここでこの二人の消耗を待つのも有りかもしれないが、こいつらが倒れた場合俺一人であの大群を切り抜ける自信はない。


「なぁ、あんたらの話によればこの嵐を中断されれば、打つ手はあるって事か?」

「そうだね、数秒あれば対処することは可能だよ」

「そうか」


 幸い、今は魔法反射リフレクによって守られ多少助走できるスペースはある。目視した限りだと発動時間の短縮のために行使されていたのは下位の魔法。大まか属性ごとの魔力弾と言った所だろう。数は多いが助走をつければなんとか対処できる範囲だ。


 数歩後ずさると、不如帰を目いっぱい引き絞る。

 息を整えると、思い切り地面を蹴り上げた。


「何をするつもりだ弥国人!」


 焦ったようなカーライルの声を横目に、魔法反射リフレクから外へ。それと並行に、不如帰を勢いよく振り切った。


 瞬間、視界が開ける。有象無象の魔力の光が四方へと霧散すると、看守長の驚いた顔がはっきりと視えた。


「ひるむな! 再度放てェ!」


 看守長の号令が聞こえ、術式が横並びになる。

 チッ、意外と立て直しの早い。助走をつける暇も無いか。まぁ致命傷くらいなら防げるだろう。

 覚悟を決め再度不如帰を極限まで引き絞る。


石護壁シュー・ジタール!」


 魔力弾が飛来した同時。カーライルの声と共に目の前に石の壁が形成される。

 どうやら俺の代わりに防いでくれたらしい。

 だが石壁は範囲が広い分、魔法反射リフレクよりも脆いらしく、すぐにヒビが入り始める。


「いけるか!」


 カーライルが叫ぶと、レランが「まかせな」と口元の端を歪める。


森羅を支配する閃光の狂乱アストラル・フレジア!」


 レランの詠唱と共に、全てを引き千切らんばかりの裂音と、壁ごしからもはっきりと分かる光が空間を支配する。これは稲光か?

 石壁が崩れ去ると、ただ一人を除き全員が地面に倒れ伏していた。


「流石看守長と言ったところかい? あたしの最上位魔法を防ぐとはねぇ」


 最上位魔法を放っていたのか。確か最上位魔法と言えば高度な魔法の使い手しか使えない高威力の魔法。しかもそれを使えたとしても発動にかかる時間は数十秒は要すると聞く。にも拘らずそれをたったの十数秒、下手すれば数秒で唱えて見せるとは。


「よくも可愛い部下をやってくれたな」


 看守長が言うと、その背後に幾つかの魔法術式が展開される。


風穿槍アイネ・ハルバ


 凄まじい回転で、砂塵を巻き上げながら飛来するのは五本の槍。強烈な速さで迫りくるそれを防いだのはまたしても石壁だった。


雷閃フー・グリム


 石壁が砕かれると、開けた視界に一筋の稲妻が看守長へと猛進。が、到達した光はどういう訳か、男の身体を這い続けるだけで一向に直撃しない。


「なるほど、風を纏って稲妻の到達を避けたわけだね」


 レランが呟くと、再度看守長が術式を展開し、竜の如き颶風がこちらに迫る。


「後ろへ来い貴様ら!」


 魔法反射リフレクでは対処しきれないのか、カーライルの叫びに俺とレランはすかさず跳ねる。

護岩の要塞ロカ・フルリオ!」


 先ほどの比ではなさそうな岩壁が視界を遮る。

 凄まじい轟音が心臓を震わせるが、一向に崩れる気配が無い。


「やるねぇ」

「風との相性は悪くない。ここは俺が引き受ける。貴様らは先に行け」

「強がりなよカーライル。別に看守長如き三人で叩けばいいだろうさ」

「確かに勝てない相手ではないが、恐らく時間は要する。あまりここで足をとられるわけには行かない」

 カーライルが言うと、何故かレランの視線がこちらに向く。


「……それもそうだね。クロヤ、ここはカーライルにまかせて行くよ」

「気安く名を呼ぶな」


 レランが肩をすくめ前へ向き直ると、岩壁が大地に沈む。同時に看守長の周りにいくつかの術式が顕現。岩が飛び出すと看守長を閉じ込めた。


「今だ!」


 カーライルの号令と共に駆け出す。目指すは監獄の敷地外だ。

やがて出口に差し掛かると、後方で爆音。


「行かせん!」


 ふり返ると、こちらめがけて砂塵の集合体が襲い来る。看守長が岩の牢獄を脱したらしい。


 俺は制止。反転し、不如帰を引き絞ると、一気に解き放つ。刃による風圧と、魔法による風圧の力比べは、痛烈な爆風をを引き起こした。


 あまりの圧に身体が地面から弾かれる。宙で体制を立て直そうとしていると、軟らかな感触が背中に伝わる。


「やるねぇ」


 どうやらレランが俺を受け止めたらしい。余計なお世話だった。


「さ、今のうちに急ぐよ」


 レランは何も言わない俺を気にした様子もなく言うと、ふと景色が九十度回転した。監獄の敷地外にも森が広がっているのを確認したと同時に、俺が片手に抱えられた事を悟る。


「お、おい降ろせ!」

「こっちの方が早いだろうさ」


 レランが笑みを浮かべると、原型のとどめない木々が視界を流れていく。強めの風が頬に当たり、移動速度の速さを身をもって感じる。


 無理に抜けようとすればもつれかねないので、とりあえず耐える事にすると、やがてレランは立ち止まった。

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