第四節

第35話

 頬には冷たく硬い感触。身体はきしむように痛い。

 俺は寝転んでいるのだろうか?


 朦朧とする中なんとか起き上がると、やがて視界がはっきりとする。

 まず目に飛び込んだのは鉄格子。遅れて周りを見渡すが窓は見当たらず、ただ無機質な石レンガに囲まれているのみだった。


 再度鉄格子に目を向ければその向こうにはもう一つ鉄格子があるが、照明はろうそくだけで奥まで見えない。


 言わずもがな、ここは牢屋だ。

 身なりを確認すればほつれたりしているが制服のままだった。

 でも何故俺がこんなところにいるのだろうか。そもそも俺は一体何を……。

記憶をたどってみると、同時に森での出来事を思い出す。


「ヒイラギ……!」


 そうだった。俺は教頭を倒しヒイラギを取り戻せたはずだ。なのに何故はこんなところにいるんだ? 確かあの後エクレとフラミィ、そして学院長と【シャドウ】と思われる人たちがかけつけたはず。


 けどそれからの記憶が無い。あれは夢だった? いやそんなはずは無い。俺は確かに教頭を打ち倒しヒイラギを取り戻せたはず。


「ようやくお目覚めみたいだね。もう二日も経つよ」

「っ……!」


 突如かかった若い女の声に全身が警鐘を鳴らす。何故かはわからないが、俺はこの声をどこかで聞いた事がある?

 声の主はどこかと探すと、目の前にあるもう一つの牢屋に目が行く。


「お前は守徒家当主のクロヤ・シラヌイだね?」

「誰だ。何故俺の事を知ってる?」

「そりゃ事前に情報として聞かされていたからねぇ? 神子の事を保護する任務の際に」

「保護の任務……だと?」


 それは学院長が言っていた事だ。


「お前も察しが悪いねぇ。まだあたしが誰か分からないのかい?」

「なんだと?」


 確かにどこかでこの声は聞いたような気がするし、同時に嫌な気配もする。


「剣を交えただろう?」


 言いながら、残虐が見え隠れする笑みを浮かべた女が、牢屋の向こうから姿を見せる。


 ろうそくの光に照らされ、僅かに燈色が混じった銀髪と、先ほどの言葉で全て合点がいった。


「あんたは、まさか……」


 忘れはしない。あの時と違い、目の前の女に外套は無く、ボロボロの布服に身を包んでいる。それに感じた凍てつくような殺気も感じない。だがこの声、髪色は、紛れもなく奴だ。


「そうさ。お前を倒し、神子に手をかけた張本人だよ」


 瞬間、動悸と共に景色が乱れる。

 気付けば鉄格子を力いっぱい押し込んでいた。

 だが硬く、鈍い金属の音が反響するだけでびくともしない。これが無ければ確実にこの女を殺していた。


「あんたは……あんたはこの手で討つッ!」

「おいおい冗談はよしなよ。剣も無ければ牢屋からも出れない。お前は何もできないだろうさ。暴れるだけ無駄だよ」


 鉄格子をへし折ろうと試みるが、やはりびくともしない。


「クッ……」


 苦渋が音として漏れると、鉄格子を握る手ゆるめる。

 仇が目の前にいるというのに何も出出来ない、なんて俺は無力なのか。


「それよりなんでここにいるのか理由を考えないのかい? こんな地下の牢屋にいるなんてどう考えても不自然だろう」


 言われて、思考がよぎる。確かに俺は何をしでかしたわけでもない。思い当たるとすれば教頭は手にかけたかもしれないが、やはりまずかったか。


「やれやれ、その様子だと何も分かってないみたいだねぇ。守徒家当主が情けない」

「なに?」


 挑発的な物言いが鼻につく。


「お前は、はめられたんだよ。カリエラ・サルガルタ、エクストーレ学院の学院長にね」

「学院長がはめた?」

「ああ。一つの証拠に、ここはあの女が統括する監獄島の地下深くだ」


 牢屋の外を覗いてみると、いくつか同じような鉄格子が目に入る。同時にどこからも外の光が入っていない事も確認できた。


 確かに牢屋の地下で間違ってないんだろうけど、この女の言う事をにわかに信じることはできない。


「あんたが嘘をついてるかもしれない」

「そう思うってんなら構いやしないよ。ここが地下深くの牢屋という事実は変わらないんだからねぇ」


 女の言う通り、ここが監獄島であろうが無かろうが閉じ込められている事には変わらない。それに俺だって流石に察しはついてる。記憶の最後が学院長と【シャドウ】という時点でそういう事なんだろう。ただ現実を受け入れたくないがための逃避だった。


「……学院長の目的はなんだ」


 もし仮に、学院長が俺をここに閉じ込めたというのならヒイラギはどこにいる? 同じように閉じ込められているのか、あるいは……。

 教頭の言っていた事が脳裏をよぎり、焦燥が荒波の様に押し寄せてくる。


「おや、信じる気になったのかい?」

「頼りが無い今、わずかな情報でも把握しておきたいだけだ。信じるかは自分で判断する」

「お利巧さんだね」

「……無駄口は良い。さっさと話せ」

「イキのいいこったいね。ただ、その前にまずは一つこちらから質問させてもらうよ」


 本来ならヒイラギを傷つけた女の質問に答える義理は無いが、多少の情報は欲しいので受け入れる事にする。


「お前、あたしと組んでここを出る気はあるかい?」

「なっ……」

「イエスかノーか、どちらかで答えな。それ以外は認めない」


 はったりでは無いだろう。もしそうならそんな事を言う意義を感じられない。となれば何か狙いがあるという事だが……受け入れない、わけには行かないか。けど、この女と組むなんてまっぴらごめんだ。利用するだけ利用して後は隙を突く。


「イエスだ」

「お前が馬鹿で無くて良かったよ」

「抜かせ」

「ま、それはいい。とにかく学院長の目的だったね」


 女が話を切り替えると、相変わらず余裕ぶった笑みを湛えている。


「簡潔に言うと王国を転覆しようとしているのさ」

「転覆? 冗談だろ」


 これはまた大きなことを言ったもんだこの女は。法螺話だとしても少し興味が出る。


「本気だよ。あいつはこの国ディナトティアを乗っ取ろうとしている。曰く、この国の全ての格差をなくして平らにし、実力主義をもって再構築したいらしいね」

「実力主義……」


 この言葉は俺にとって少なからず身近に感じる言葉だ。何故ならそれは学院の方針でもあったからだ。


「この国に及ばずどこにでも貧富の差は存在するだろう? 貧しいが故に満足な教育も受けられず才能を潰していく人間も存在する。だからこそ全てを実力で推し量り、才覚ある者こそ上に立てる国を創り上げたい、そう言って国家に反旗を翻そうとしているわけさ」


 実力のある者こそが上に立つ国、か。俺としたら合理的に見えなくもない国だ。


「別にその思想自体は間違ってないんじゃないのか?」


 問うと、女は俺の反応は予想済みだったのか、余裕さを醸しながら答える。


「確かに、一見この思想はなんの問題も無いように見えるだろうさ。あたしもそれだけならむしろ賛同するだろうね。ただ、これの裏には弱者に生きる価値は無いという過激な思想も含まれてるわけだ」

「なるほど、確かに裏を返せばそんな捉え方もできるかもしれない。けど、それは憶測の域を出ないような気もする」

「残念ながら事実だよ。学院長自ら語ってくれたことだからね。ここまで詰まらず話を聞けたんだ。まさかあたしが何者か分からないわけじゃないんだろう?」


 女の問いかけに合点がいく。

 この女は【シャドウ】の裏切り者であって、元々は所属していた。同時にあの場で事を起こせるくらいならしっかりと信用を得ていたことになる。学院長自ら理想を語られていてもおかしくは無いだろう。


「なるほど、あんたの言い分はよく分かった。だから後一つ聞かせてくれ」


 本来ならば一番最初に聞くべき事だったが、事態を呑みこみ切れず余裕が無かった。元より俺が動く時は、神子の身を守る時だ。


「神子は今どうなっている?」


 大事なのはそこだ。教頭の天才的な才能によってヒイラギは確かに実体を取り戻した。ならばこの世界のどこかにいるはずだ。同じく閉じ込められているのか、あるいは……。


「サルガルタの元にいるだろうさ。奴は神子の持つ能力を得るために保護を謳い強奪を試みようとした。未来を読むなんて力があれば無敵にも等しいからね」


 やはりか。薄々は察していたから驚く事でも無い。ただ、ヒイラギの能力は成人の儀を行えなかったことで不完全だ。多少の未来しか読むことはできない。もしその事を学院長が知ったらどうなるだろうか。用済みとなって殺すか、あるいは無理やりにでも能力を覚醒しようとするんじゃないだろうか。前者にせよ後者にせよ、そんな事になればヒイラギの身が危ない。


 それにもう一つ、エクレとフラミィの事も気になる。教育者という手前何もしないと祈りたいところだが……。とにかく一刻も早く駆け付けるべきだろう。

 かと言って、この女がヒイラギに手をかけた事も忘れてはいけない。島から出る事さえできれば用は無い。斬り伏せる。


「さて、そろそろ来る頃だよ」


 女が言うと、コツコツと靴を踏み鳴らす音が反響する。

 見ると、ここの看守と思しきがたいの良さそうな、スキンヘッドの男が光を片手に歩いてい来ていた。

 看守の男は女の牢屋の前で止まると、あろう事か鉄格子を開けた。


「ご苦労。よくここまで気付かれなかったね」

「貴様こそよく尋問に耐えたもんだ」

「あんなものはただのお遊戯さ。それよりそこの子も開けてやってくれないかい?」


 そこの子呼ばわりとは随分と舐められたもんだ。

苦虫をかみつぶしていると、看守がこちらに振り返り、訝し気に眺めてくる。三十過ぎくらいだろうか、どこか厳かな印象を受ける。


「この男は……正気か貴様」

「あたしはいつだって正気だよ。お前の察しの通りその子は守徒家当主。神子を取り戻すという名目では利害は一致してる。戦力は少しでも多い方がいいだろう?」


 女が言うも、看守は何かを考えた様子で動こうとしない。

この看守は恐らく潜入していたこの女の仲間と見ればいいだろう。となれば俺を解放するのを渋るのは道理か。守徒家は神子に忠誠を誓い、剣として一生を尽くす。そんな神子に手をかけたのだから俺が許すはずもないのは明白。


 そう考えてみればこの女の言動は妙だ。俺が反感を持つのを知っている上で俺を傍に置こうとしているというのか? 絶対に負けない自信、あるいは剣や魔法の腕はあってもそこまで回せる頭を持っていないのか。


 まぁいずれにせよ、仮に奴が何か思惑を持ったうえで俺を解放しようとしているのなら、それまでだ。乗っかった上で迎え撃てばいいだけの話。


「いいだろう?」


 女のやはりどこか影の差す笑みに看守は視線を交差させると、やがて折れたのか目を逸らしこちらへ向き直る。


「……お人好しが」


 呟きと共に俺の牢屋が軋みをあげながら開かれる。


「さて、警備の方はどうなってるんだい?」


 女が問うと、男は通路の先を見据えながら淡々と話す。


「今は通常より手薄だが、強行突破は避けられんだろう」

「上等上等。その子の刀剣とあたしの装備はどこだい?」

「こっちだ」


 男が先を歩くと、その後に女が続くので俺も続いた。

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