第34話
奥へ進み、不意に視界が開けると、思わぬ光景に言葉を失う。
まずは身長の二倍はありそうな装置。恐らくこれも
何故なら、いるはずの無い人影が存在したからだ。
あの男——教頭は当然いたが、もう一人よく見慣れた人間がいる。教頭が見上げるその先にいるのは、白と赤で彩られた神子の装束に身を包んだ女の子。四肢を装置の輪から放たれる稲妻のような光に拘束されている気を失っている黒髪の女の子は、ヒイラギだった。
一体どういう事だ? 何故ヒイラギがここにいる?
「誰だ!」
唖然としていると、素早い動作で教頭がこちらを向く。
俺の顔を確認すると、教頭はどこか興味深そうにこちらを眺める。
「そうか……弥国人は可変魔力を持っていないのか。ようやく復元が完了したところだというのに私としたことが失念していたよ」
俺に放っているのか独り言なのか、判別はつかない。だがたとえどんな形であれヒイラギを助けるという目的は変わらない。教頭の言っていることの半分も理解できなかったがやる事は一つ。
そこに神子がいるならば命を懸けて奪還し、守り通す。
教頭は殺意を感じ取ったのか、新人戦の時のように分厚い本を顕現させた。
同時、腕を振るうのですかさず不如帰で薙ぐ。フラミィの時のように見えない何かに吹き飛ばされると悟っての一刀だった。
「
「黙れ。ヒイラギは返してもらう」
激高すれば体幹が著しく鈍る。なんとか湧き出る怒りを押さえつけ、言葉を放つ。
「それはできない相談だよシラヌイ君。この検体は私の研究に不可欠なのでね」
「だったら力づくだ」
踏み込み、神速の一刀。魔法を風圧で蹴散らした剣技と同じ、魔法に対抗するために得た剣技だ。
だがこれでも速さは足りなかったらしい、肉の裂けた感触は皆無だった。例のごとく霧散するのは教頭の身体。
「無駄だよシラヌイ君。私に物理攻撃を当てることはできない」
不快な声は俺の十数歩背後から聞こえてきていた。これくらいなら間合いも一足で詰められる。
すかさず身体を反転。距離を詰め教頭へと不如帰を振るうが、不発。
「何度言ったら分かる。物理攻撃は当たらない」
今度は数歩先の右側から声がかかる。出てくる場所は不確定か? 教頭の言葉を無視し、確かめるために何度か同じように斬撃を放つが、教頭が出現する場所の規則性は見つけられなかった。恐らく完全にバラバラなのだろう。
だが、姿を現す瞬間は視認できるようになっていた。教頭は目の前で溶けると、出現した先で溶けた像が一瞬とも言える速さで再集結している。
「まったく、君には呆れたよ。これではただの
教頭は薄ら笑いを浮かべながら、小馬鹿にしてくる。弥国人の偏見はここにもちゃんと根付いているらしい。だがそれは油断の証でもある。付け入る隙の貴重な一つの素材。
「……奇妙な魔法だな。一体それはなんだ?」
何か情報を吐いてくれないかと尋ねてみる。
「簡単なことだよ。自らの身体を魔力に一度還元して分解し、再構築している。それだけだ」
説明し終えると、ふっと教頭は笑みを零す。
直感的にまずいと判断し、間合いを開こうとするが、遅かった。
縄にかけられたような束縛感が全身を締め付け、身動きが取れなくなる。
「魔力の鎖をまかせてもらった。君の相手をする事は易い事だがその間も惜しいほど研究を始めたいのでね」
「研究だと?」
そういえば先ほどもそんな事を言っていた気がする。
「知っているかは知らないが、私は魔力について研究をしている。もはや魔力の事についてならなんだって知っているつもりだ」
だが、と教頭は続ける。
「魔力に関する知識について極致に至った事によりもはや私は人生の目的を見失っていた。学院は私が研究に専念するために教鞭についたと思っているようだが、それはあくまでオプションに過ぎない。私は私を満たしてくれる何かを探してあそこにやってきたのだよ」
「なるほど……」
それがヒイラギの存在だった、というわけか。
「でも妙だな、魔力の極致に至ったって言うならあんたが授業の時に言っていた事はどうなんだ?」
「授業? そういえば君も私の授業に参加していたね。黒髪だから寝ている姿はよく分かったよ。まぁ神子以外の劣等種族には本より眼中にない。つまり君はこう言いたいのだろう。未だ死すら乗り越える事ができないのが現状だというのに何が魔力の極致だと」
「……話が早いな」
「まぁわざと誤解させるように言ったからね。その疑問は想定済みだよ。だが残念ながら私は魔力の極致に至った。私が言った事をよく思い出してみなさい」
既にかすれつつある記憶だが、寝る前に聞いた話だったからか思い出すことが出来た。
確か教頭はこう言っていた。
――まだ技術として普及する事は難しそうだ。
なるほどそういう事か……。
俺が理解したのが分かったのか教頭は機嫌が良さそうに笑みを浮かべる。
「そう、私ならば死を乗り越えさせることが出来る。だが私以外の凡人には理解が及ばず無理だ。そしてその一つの証拠としてそこに肉体を戻した神子がいる。この場所を選んだのも膨大な魔力を使用するためでね。肉体再生は相応の魔力が必要となる。まぁもっとも、死者を生き返すわけでは無かったが故にそこまで多くの量は必要としなかったがね」
教頭は宙に拘束されたヒイラギに近づくと、手を挙げヒイラギを仰ぎ見る。
「弥国の神子の“先見の能力“とはただの魔力だけでは推し量れない何かがある。私はそれが知りたい! 仮定では可変魔力でも不変魔力でも無いX物質が関係していると思うのだがね……」
後半から教頭は手をあごに添えぶつぶつと何やら言い始めると、ぱっと顔を上げる。
「まぁそれも調べればいいだけの事。神子の身体も内部も……ありとあらゆる事を徹底的に調べ上げ私の新たな研究課題とするのだよ!」
教頭が言い切ると、名状しがたい感情が奔流となって駆け巡る。
刹那、頭の中で骨が砕けるような音が聞こえた。一瞬何かやられたかと思ったが違う。これは俺の歯と歯の衝突音か。
未だに拘束は解けない。だったら解けばいいだけの話。
見えざる束縛に抗うために全身に力を入れる。
骨が砕けようが肉が引き裂かれようが構わない。ここで俺が屈せばヒイラギがどんな目に遭うのか、想像したくもない。
「ヒイラギは……渡さない……ッ!」
瞬間、俺を抑えつけていたものが解き放たれた。幸いな事に身体の損傷はない。
構えると、教頭の顔には驚きの色。
俺はすかさず踏み込み、教頭へと斬撃を加える。だが、不発。ならば再度踏み込めばいいだけ。肉体が壊れても構わない。当たらないのなら当たるまで。もっと速く、速く、躱されるよりも、速く。
一刀、二刀、三刀と剣戟の応酬を見舞う。なおもかわし続ける教頭だが、魔法を放つ余裕はないのか消えては現れを延々と繰り返している。このまま押し切れ。きっと活路は開かれる。
「くっ、ちょこまかと!」
それでも多少の反撃なら可能なのか、時折火矢や氷のつぶて、一筋の稲妻が襲い来るが、どれも小規模魔法。これくらいなら避けるまでもない。
脇腹が焼かれ、肩が裂かれ、足がひりつく。だが耐えろ。速度を落とすな、加速しろ。
「くっ、残像までも……!」
教頭には何が見えているのだろうか。気づけば魔法の連打はやんでいた。ここからは己との勝負。異常に酷使した筋肉が悲鳴を上げ始める。心臓の鼓動が激しくなる。肺から酸素が取り入れられなくなる。でも止まれない。止まるわけにはいかない。今度は負けない。ヒイラギは渡さない。今度こそヒイラギは守り切るッ!
ふと、周りの全てが無音になった。進む時間は異様に遅い。感じていた痛みも、疲れも、すべて何も感じない。無の境地というやつなのだろうか。
しかしその先に見えた。教頭が次に現れる瞬間が。どの位置に奴の心臓が出現するのか。
ゆっくり息を吐きだし、足を止める。自分でも不思議なくらい落ち着きがあった。完全に俺の意識と順応した腕が不如帰をゆっくりと持ち上げると、制止する。
転瞬、目の前に教頭の後ろ姿。
見れば、その背中には不如帰が刺さり、血を滲ませていた。
俺はすかさず引き抜くと、嫌な感触が刀ごしに伝わってくる。
「終わりだ」
「ガハ……ッ」
教頭が崩れ落ちると、瞬く間に血だまりが地面に形成される。
「ク、クロヤ・シラヌイ……君は、一体……」
教頭が苦し気に声を絞り出すと、完全に意識が途切れたらしく静まり返った。
死んだ、のだろうか。あるいはまだ生きているのか。
分からないが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。元より守徒家シラヌイ当主として、このような場面に遭遇するかもしれないのは覚悟はしていた。
軋む身体を引きずり、ヒイラギを拘束する
またしても何か凹凸がいっぱいあるが、こういった類の扱いは心得てない。とりあえず不如帰を突き立てると、ヒイラギを縛っていた閃光は消え去る。同時に力が抜け、膝をついてしまった。
しかし、重力に従ってヒイラギが落ちてくるのでしっかりと受け止める。
「クロ……ヤ?」
ふと、声が聞こえた。いつも弥国や心の中で聞いたあの穏やかな声だ。
「クロヤ! ありがとう、来てくれたんだ」
弱々しいがヒイラギの温もりが身体を包み込む。
「ヒイラギ……すまなかった。また俺は……」
言いかけると、ヒイラギが人差し指でそれを制す。
「来てくれただけでも嬉しいよ」
優し気な声音に言おうとしていた言葉を封じられるので、別の事を聞いてみる。
「……やっぱりヒイラギが手がかりをくれたのか?」
「分からない。眠ってたら急に苦しくなって、それでも無理矢理クロヤと引き離される事だけ分かって、咄嗟に念じたのだけは覚えてる。クロヤと離れたくないって」
「そうか……」
そんな状況でもヒイラギは俺の事を気にかけてくれていたのか。教頭曰く、神子は魔力では推し量れない何かがあると言っていた。きっとそれが俺をここに導いてくれたに違いない。
「でもここって、クロヤの心の中じゃないんだよね? 夢でも見てるみたいだなー」
俺もこれが現実なのか心の中なのか、それとも夢なのか分からない。
ただ、俺の腕の中にはヒイラギの確かな重みと、暖かさがあるのは紛れもない事実だった。
「クロヤ!」
思いがけず、別の誰かから名前を呼ばれる。
見れば、フラミィとエクレが立っており、後ろから灰の外套をまとった人たちが教頭のところや俺の元へと飛んでくると、遅れて校長もまた姿を現した。
それとほぼ同時だった。どういう訳かフラミィとエクレが膝をつく。
同時に俺の視界は灰の外套の集団にさえぎられ、視界が暗転した。
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