第18話


 学院内を走っていると、ふとあの時の情景が鮮明に映し出される。


――思い出さずにはいられない、これは忌まわしい敗北の記憶。


 野道の片側に広がるススキの背後。夜闇の中、存在感を示すそれは赤い月だった。不気味に輝く不吉の象徴に、どこか胸騒ぎを感じていると、ススキも身体を揺らし騒めく。


 そんな景色のもと、刀を携えた複数の人間が人を乗せた駕籠かごを囲う光景は、一見すれば怪しく映るかもしれない。


 今日はヒイラギの未来を透視する能力、先見の能力を先代から受け継ぎ、完全なものへと昇華させるための儀式、成人の儀の日。


 先祖代々俺の家は【守徒もりと】として、神子みこ家――ヒイラギの家の護衛に当たって来た。古くから先見の能力を持つ神子家はこの国を統治する皇家の相談役だが、その存在は国を存続する中でとても重要だ。


「しかし十五夜とは言え赤月あかつきとは不吉ですな、わか


 ふと、俺の隣でヒイラギの乗った駕籠を運ぶ護衛の一人が話しかけてくる。


「これ口を慎まぬか。クロヤ殿は既に守徒家シラヌイのご当主様ぞ」

 

 護衛の言葉にもう一人の護衛が口をはさむ。

 弥国では十四でその家督を継ぐことが多い。父親は未だ現役の守徒だが、半月ほど前十四となった俺は守徒家の家督を賜っている。とは言え、まだまだ俺は未熟だ。


「若でいいですよ。私はまだ若輩者ですから。それよりも赤月は確かに不安になってきますね」


 弥国では赤月は昔から不吉の象徴とされている。何事もなければいいが。

 何とも言えない不安がよぎっていると、不意に駕籠の中からヒイラギが声をかけてくる。


「ねぇクロヤ」

「どうしましたかヒイラギ様」


 答えるが、しばらく返答が無い。


「やっぱり敬語って違和感あるよ。外してくれると嬉しいな」

「そういう訳にはいきません。私は守徒家シラヌイ当主、身分はわきまえているつもりです」


 昔ならそれでよかったかもしれない。でも今は駄目だ、俺は神子家を補佐し守るために存在する守徒家の当主なのだから。


「そう……」


 ヒイラギが小さく呟くと、雑木林から複数の人の気配を察知する。

 俺含む周りの護衛が各々の刀に手を当てると、ススキがざわめく。


「複数いるぞ」


 警戒のために言うと、雑木林から灰の外套を身に纏った人影が行く手を阻む。数は七か。


「お前たちは何者だ。ここにおわす方を次代神子ヒイラギ様と知っての狼藉か」


 前に出て問うと、灰の外套を身に纏った人間の内一人が歩み出てくる。

 全員とも隠れて顔は分からないが、少なくとも出てきた奴は体格からして男のようだ。


「神子をここに置いていけ。そうすれば君たちに危害を加えるつもりは無い」

「却下する。名も名乗らぬ者共に話をすることは無い。これよりヒイラギ様は成人の儀に向かわねばならない、今すぐそこを立ち退かれよ」


 言って不如帰を構える。


「ならば仕方が無い」


 瞬間、目の前の男が手のひらを向け、光の紋章を顕現させる。同時に、控えていた六人も紋章を刻み始めた。


「魔法だと⁉」


 誰かが声を上げると、同時に前方からつるの群れが襲い来る。

 すかさず不如帰で裂くが、対処しきれなかった分が何人かの護衛や体の一部に絡みつき動きを封じる。


 だが休む間もなく第二撃、火球の連打が襲い来る。後ろに跳躍し躱すと、後方からも敵が来たらしく、護衛を突破した灰の外套がヒイラギの駕籠へと近づいているのを確認する。


 俺は即座に跳ね、疾走すると、不如帰を外套めがけて引き放つ。

 だが当たらず、避けられると、相手は間合いを開き術式を展開する。


 魔法相手は分が悪すぎる。二十年ほど前に国交が開かれたが、条件として西洋人を土地の深くまでは踏み入らせないとしていたはず。

 ……いや、だが近年の皇家はどうにも西洋に畏怖しているきらいがあった。多少強く言われてしまった場合断り切れなかった可能性はあるか。ただどちらにせよ俺の役目はヒイラギを守る事だ。


「現状魔法相手じゃ分が悪い、散るぞ!」


 言い放つと、ヒイラギを駕籠から出してやる。


「クロヤ……!」

「必ず守る」


 不安そうに声で名を呼ぶヒイラギに返すと、あらかじめ携帯していた煙玉を地面に叩きつける。


 同時、周囲は一寸先も見えない霧に覆われたので、俺はヒイラギを抱え雑木林の中へと身を投じた。


 とにかく町に行く。俺とヒイラギだけならこの林を通り抜けた方が早いだろう。

 人のいるところにさえ入ればなんとかなるはずだ。

 ヒイラギを抱え森の中を疾走していると、ヒイラギが俺に話しかけてくる。


「ねぇクロヤ、さっきの人たちは?」

「分かりません。ですがヒイラギ様を狙っているのは確かです」


 答えると、ヒイラギはどこか不服そうな声を返してくる。


「ねぇ、二人だけなんだから敬語外してくれてもいいと思うな」

「今はそんな場合では……」


 言いかけて、つぐむ。

 後方から誰かに見られている気配を察知したからだ。

 瞬間、周りに稲妻が弾け、行く手を遮った。


 立ち止まると、灰の外套に身を包み西洋剣を携えた何者かが前方に立ちふさがる。間からは銀の長髪を覗かせ、その色を象徴するかのように凍てついた殺気のようなものが全身を刺してくる。


 どうやら見つかってしまったらしい。あと少しで雑木林を抜けられるというのに。


 ヒイラギを降ろし、背中に隠す。敵が一人なら西洋人相手でも勝てるかもしれない。


「何故、神子を狙う」


 問うてみるが、目の前の人物に反応は無い。

 相手に答える気も無ければ義務も無いのだろう。ならば先手必勝。髪、体格から女と判断。ならば力押しだ。


 俺はすかさず疾駆。不如帰を相手に向けて叩き込むが、回避される。俺は後方へと跳ねる灰の外套を追い、再度刃を撃ち込んだ。


 闇に響く戟音。俺の刃は容易く女の剣に受け止められていた。

 間を置かずして、女の蹴りが俺の脇腹を強打。衝撃に体制が崩れると、袈裟に西洋剣が襲い掛かってくる。


 俺は辛くも受け流すが、再度繰り出される脚戟には対応できず、後方へと無様に倒れた。


 すぐさま身体を起こすが、女の手には、術式の紋章。

 魔法だ。虚空を斬り裂き散るそれは稲妻。紙細工を引きちぎるようなうるさい音が耳を貫いた。


 あれを使わさせるわけにはいかない。

 俺はありたっけの力を足に込めて、突進。だが間に合わなかった。


 女が地面をひと蹴りした刹那、手に蓄えられた雷は女の身体を這い俺の元へと到達したのだ。


 身体の制御が一瞬で失われる。勢い余って地面に突っ伏すと、女は特に興味が無さそう身を翻し、ヒイラギの元へと歩いていく。


 クソッ、まずい。なんで動かない……! 寄るな、ヒイラギに寄るな!!

 だがいくら心で叫べど声は届かない。


「許しな、神子」


 女が冷淡な声で言うと、天に仰がせた西洋剣を振り降ろした。

 鈍い音と共にヒイラギが倒れる。同時に視界が血よりも真っ赤に染まった。今すぐ悠然と佇む女を殺してやりたい、そんな衝動に駆られる。


 だが、未だ魔法のせいで身体は言う事は聞かず飛びかかる事もできない。

 湧き溢れてくるのは己に対する憎悪。

 俺が不甲斐ないからこんな事になった。俺が弱いから守れなかった。何が守徒家当主だ。ふざけるな。クソッ……! クソッ……! 


 痙攣し、制御のままならない指でなんとか不如帰を握る。全身を刺すような痛みを襲うが、気にしない。ヒイラギを殺した奴を生かしてはおけない。


 身体中激しい痛みを感じつつ、かろうじで身体を起き上がらせる。

 女の身体がこちらに向くと、同時に別方向から足音と共に誰かの声が聞こえた。


「奴はあっちか!」


 女はその声に振り向き、敏感な反応を示す。

 奴、とはヒイラギの事を言っているのだろうか。それとも。

 女はこちらを一瞥すると、やがて背を向ける。


「待て!」


 逃げると判断した俺は、せめてもの応酬にと咄嗟に脇差を投げるが、外套を軽く引き裂き銀板を落としただけで命中はしなかった。


 だが、女はその事に気づいてないのか、俺や銀板の事など目にもくれず、木々の生い茂る暗闇に身を投じる。


 せめて傷の一つでも付けられれば、血痕を追えたかもしれないのに。

 一人、取り残された俺は急激に身体の力が抜け、倒れ伏す。視線の先には血を流し倒れ伏すヒイラギ。


 俺は悔いた。もっと強れければこんな事にはならなかったはずだ。俺がもっとしっかりしていればこんな事にはならなかった。俺が弱かったから……。


「クロ……ヤ」


 自己嫌悪と絶望の渦中にいると、細々と紡がれた声が聞こえる。

 見れば、ヒイラギが薄目を開き俺の方へと震える指をのばしていた。

 幸いな事にまだ息はあったらしい。


「ヒイ……ラギ……っ」


 制御しきれない身体に鞭打ち、地面を這い進みヒイラギの手を掴む。

 ヒイラギの手は既に冷たくなりつつあり、顔色もまた蒼く、今にも消えてしまいそうだ。


「絶対に……助ける。町で、治療を……」

「たぶん……間に合わないよ」

「いや間に合わせる……っ。なんとしても、お前を……」

「ううん……いい、よ。もう……クロヤは……無理しないで」

「そんなの……」


 出来るわけが無い。


「でも……そうだな。もし……クロヤがいいって……言ってくれるなら……」


 クロヤの心の片隅に、私を住まわせてくれないかな――――

 俺はその言葉に肯定すると、ヒイラギは光となり俺の心の中に宿った。


 ヒイラギが宿っている事で極刑は免れるだろうが、ヒイラギをこんな状態にしてしまった以上、重罪は免れない。恐らく確実に自由は無くなるだろう。


 だが、今すぐ刑を受け入れるわけにはいかない。この手で奴を討たない事には。

 俺は弥国を離れる事にし、西洋各地を巡りひたすら剣の修行をした。


 そして唯一の手掛かりである、あの女の落とした銀のプレートを頼りにエクストーレ学院に入学したのだ。

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