8/4(金) それは正解か不正解か

「今日はデートに行きます」

「は?」


 朝会って第一声がこれだった。さすがに面食らって、生命活動以外の動作がすべて止まってしまった。

 しかし、水月の目は至って真剣だ。


「え、マジ?」

「マジです」


 そう言うと水月は俺の制服の袖を掴んで学校とは反対の方面へ行くホームへ向かおうとする。

 そっちに二駅行くとこの辺りでは一番大きいショッピングモールがある。


「学校は……?」

「むぎに言っといた」

「なんて?」

「快斗の病院に行くから休みますって」


 に使われる俺。ちなみに俺の担当医は金曜日はいない。

 水月の意図がわからないので抵抗してきちんと理由を聞きたいところだが、後ろ姿がどうやら焦っているように見える。

 それに水月が俺の手を引く、なんてことは今までほとんどなかった。逆なら結構あるのだが。

 仕方がないので、そのまま反対側のホームまで階段を下りていく。


「何も聞かないの?」


 水月がこちらを見ずに言ってくる。


「……聞かないよ」

「どうして」


 今度こそ足を止めて、俺に振り向いてきた。

 水月の表情はかなり硬い。笑顔が消えて、とても胸が詰まってしまったような顔をしている。

 しかも、階段の途中、二段も下に水月がいるので、いつもよりかなり遠い。

 おかげで、ちょっと気まずい。


「言わなきゃダメか?」

「うん」


 俺の右手が水月に掴まれる。逃がす気はない、ってことだろう。

 言いたくなかったけど言うしかないらしい。


「……行きたいんだろ?」

「なにが?」

「デート、行きたいんだろ。だから行く。以上」


 すると水月は驚いたのか、目を丸くして俺を見た。

 俺はすぐに目を逸らして、掴まれた手を逆に掴んで、水月を引っ張りながら階段を下っていく。


「快斗、待って、速いっ」

「うるさい」


 階段を下りきると、水月が足を止めて、思い切り腕を引いてきた。

 素直に従って俺も足を止めた。


「なに?」

「本当にいいの……?」

「いいって言ってるじゃん」


 タイミングよく電車が滑り込んできた。

 まだ、嬉しいのと気まずいのが混ざったような表情を浮かべている水月を引っ張って、電車に乗り込む。

 都内とは逆の方面の電車なので、混んでいるというわけではないが、座れる席はなかった。

 扉の前に陣取って、水月の手を離した。

 一瞬、離した俺の手を追いかけるように水月の手が動いたが、すぐに何もなかったようにスカートの裾を掴んだ。


 見間違いではなかった。きっと俺の手を握っていたかったのだろう。

 でもそれに応えてやれるほど今の俺は強くなかった。

 それで期待させてしまったら、俺には責任の取りようがない。要するに怖いのだろう。水月を置いて、自分だけ消えてしまうことが。


『次は~~~』


 車内アナウンスが降りる駅を知らせる。いつの間にか一駅乗り過ごしてしまったらしい。


「……ねえ」

「なんだ?」


 ……そんな捨てられた猫みたいな目で見上げないでほしい。


「手、出して」

「……はい」


 素直に左手を差し出す。

 その手に水月の手が重ねられ、そっと握られる。


「行くか」

「うん」


 開いたドアをくぐり、水月の手を引っ張っていく。




 ~ ~ ~ ~ ~




 数年ぶりに繋いだ手は新しさもあり、懐かしさもあった。

 細く、しなやかに成長した水月は、もう俺の知っている水月ではないことを物語っていた。

 それでも、俺はもうこの手を離すつもりはない。

 だって――――




 ~ ~ ~ ~ ~




 いろいろ歩き回って、お店を見て、ご飯を食べて、遊んで……とても疲れた。

 俺も水月も、これが最後だと口には出さずともわかっていたのだと思う。

 思い切り楽しもうと他のことは一切考えなかった。


「……おかげでこのザマですけどね」

「なにが?」

「なんでもない」


 おそらく三人掛けと思われるベンチに水月、俺、買い物袋三つが並んでいる。

 荷物持ちにさせられた俺は割と重い荷物を持っていろんなところに連れ回された。

 そのせいか普段使わない腕が少し痛い。


「嘘吐き」

「……嘘は吐いてない」

「腕、痛いんでしょ」


 ……幼馴染様はなんでもお見通しってわけですか。


「まあ……」

「割と何でも運動できるのに、不思議だよね」

「体の耐久性が低いんだよ……」


 思い当たる節があったのか幼馴染様は顎に手を当てて頷いている。


「ねえ、今何時?」

「ん、二時半過ぎ」

「……もうこんな時間か」

「帰るか?」

「ううん、あとちょっとだけ」

「了解」


 そう言いつつも水月はベンチから動く様子がない。

 ということは、少し休んだら帰る、ということだろう。

 ありがたく、腕を休ませてもらおう。


 しばらくすると、水月は目を瞑って、船を漕ぎ始めた。左手で右腕を抱えるように掴んで体を小さく丸めている。

 我が幼馴染ながら、その姿は可愛いのだが、首が痛そうだ。


「肩使っていいぞ」

「んーん」


 首を横に振って、セミロングの髪を揺らす。シャンプーの匂いか、いい香りがした。

 しかし、そんな眠そうな声で言われても、心配になるだけなんだが……わかっているのだろうか?


「じゃあ帰るか、買い物はもういいんだよな?」

「うん」

「よし、帰ろう」


 立ち上がって荷物を手に取ると、水月が座ったままこちらに手を差し出して、俺をまっすぐ見てきた。

 俺も何も言わず、手を取り、少し力を入れて腕を引っ張る。それに合わせて水月が立ち上がった。


「水月さんや」

「なに」

「手、離して」

「なんで」

「荷物が持てないのです」

「私が持つからいいじゃん」


 そう言うと、ベンチから荷物を持ち上げて、俺の手を掴んだまま横に並んだ。

 そっちは軽いほうなので持ってもらうには楽なのだが……うん、考えないようにしよう。


 そのまま、何も言わずに駅に歩き出した。

 何も言わずに水月も横に並んで歩く。

 時折、こちらを見る奥様の視線が痛いがそこは無視させてもらう。一々気にしていたらキリがない。


「手繋ぐのいつぶりだっけ」

「……覚えてないの?」


 ……すみません、覚えてないです。


「小六のキャンプの肝試しの時……」

「ああ、お前が大泣きした――」

「うるさいっ」


 確かあの時、男女一人ずつペアになって進んでいくルールだったのだが、十数名ずついた中で、相手がまさかの水月だったのだ。

 それで初っ端のお化け(に扮した町会のおじさん)で涙ぐんだ水月を引っ張ってゴールまで歩いたのだ。


「ってことはあの時十二だから……五年前か」

「……大きくなったね」

「そりゃあ、あの時は身長も同じくらいだったからな」

「ずるい」

「残念だったな」


 今では俺は百七十センチは越えているから、あの頃とは目線がかなり違う。

 とは言え、水月も百六十は越えているので女子としては背が高い部類に入ると思う。


 ショッピングモールに駅が併設されているのでモールを出ればすぐに駅の改札になる。

 改札を抜けて、ホームへ上がり、電車を待つ。


「ねえ、帰ったら快斗の部屋行っていい?」

「どうした?」

「お母さん、うるさいから……」

「了解」




 ~ ~ ~ ~ ~




「お邪魔します」

「どーぞ」


 早速ベッドの上に陣取る水月。俺は床にそのまま座る。

 まったく、どちらが部屋の主かわからないな……。

 荷物は部屋の端に寄せて置いた。


 そのまましばらく無言で佇んでいた。


 ふと、水月の顔を見ると、心なしか、表情が固い気がする。枕に顔をうずめるでもなく、漫画を読むでもなく、ただ少し俯いてぼーっとしているだけのこいつは初めて見た。

 ……わざわざ地雷を踏みに行く趣味は無いので、聞いたりはしないけど。


「私が好きって言ったらどうする?」


 ……いきなりそんなことを言い始めた。


「……まあ幼馴染だからな、好かれてるのは知ってるよ」

「そうじゃなくて、恋愛的な意味で」

「……」


 水月と目が合ってしまった。

 それを直視できず、すぐに逸らしてしまう。


 返答に詰まった。別にそのことを考えていなかったわけではない。ただしていただけだ。

 それでも上手く返せそうな言葉が浮かばない。


「私はね、ずっと好きだった」

「……水月」


 ……やめろ。それだけは絶対に言っちゃいけない。


「だから快斗……」


 ……こんな時だけ名前で呼ぶな。


「私を彼女に――」


 ……例え嘘を吐いてでも。


「だめだ」


 水月の言葉を遮って言う。

 水月は悔しそうに少し俯いて、今にも泣き出しそうだった。

 でもこれが最善なんだ、と自分に言い聞かせて言葉を続ける。


「俺はもういなくなる、だからやめろ」

「……そんなことどうだっていい」

「よくない、今ここでお前を縛ってどうなる」

「私の気持ちを――」



 絞りだしたような声が出た。

 俺は俯いて水月を見ることができない。水月も口を噤んでしまった。


 目覚めるのは早くて三年。それだけの時間を待たせることはできないし、きっと他の誰かと結ばれる。だから今の俺はただの邪魔だ。

 水月の気持ちを裏切るのは、心が痛いけれど、これしか水月が報われる方法はない。

 だから、仕方なかったんだ……。


「なによそれ……」


 水月が呟いた。顔を上げて水月を見ると、髪の奥からベッドに向かって雫が落ちていた。


「私の気も知らないで……っ」


 水月は逃げるように立ち上がり、走って部屋を出ていった。


 しばらく経って、やっと息ができた。

 気を抜いていたら、止めてしまいそうだったから。


「……これでいいんだよな?」


 その声に、応えるものはなかった。


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