8/3(木) 快斗と水月と紡

「はぁー……」


 今日起きてから何度目かのため息をつく。ついでに寝返りも打っておく。

 今日はものすごく寝覚めが悪い。ほとんど水月みつきが原因だろう。


 昨日、俺が施術日を言った後、水月が酷かったのだ。

 やたら絡んでくるし、泣くし、騒ぐし、くっつくし、うるさいし、終いには一緒に寝るとか言い出すし。

 いくら何でも一緒に寝るのは不味いので、何とか振り切って家に帰った。


 しかし恵美えみさんが水月を煽って――一緒のベッドで寝たら?――などと言うとは思わなかった。

 普段はにこにこして、俺にも水月にも甘い。そして、俺たちが対立したときはやんわりと仲裁に入ってくれるのがいつものことだったのだが、昨日は水月の肩をもって、二人で俺を説得しようとかかってきた。

 流石に倫理的にも法律的にも危ういので途中で隙を見て逃げ出したのだが……。


快斗兄かいとにいー、朝だよー」


 廊下側からドアをノックしながら実子みこが俺に向かって話しかけてきた。


「なんだー、妹君いもうとぎみ?」

水月姉みつきねえが言いたいことがあるんだって」

「っ――今すぐ追い返せっ」

「それが……」


 ん? 実子さん? そこで言いよどまないでいただける? 怖いじゃないですか……。

 いや、まさか……――


「快斗っ、起きなさいっ」

「お前なんで上がってるんだよ!」

涼子りょうこさんがいいよって」


 母さん……絶対わかっててやってるな……。


「ほら! 観念して早く出てきなさい!」

「快斗兄、遅刻するよ?」


 一応、時計を確認。時刻は六時五十分。確かに水月がいるとなると遅刻しそうな時間だ。

 あいつがいると着替えを見られないようにしないといけないし、話しかけられるので答えてやらないといけないし、母さんの意向で朝飯はしっかり出るし。

 ……とにかく遅刻しそうなのだ。

 しかし、部屋の前には怒った水月と実子がいる。

 このまま寝てしまおうかな……。


「快斗! 入るわよ!」

「え……? ちょっと待てっ」

「水月姉、待ってっ」

「焦れったいっ!」


 すると部屋のドアが勢いよく開き、朝の光量に目を細める。

 ずかずかと部屋に踏み込む音がして、俺の布団が剥ぎ取られる。言うまでもなく水月だ。


「ほら起きなさい」

「いやだ」


 俺はベッドにうつ伏せになって最後の抵抗を試みる。


「快斗兄、カーテン上げるね」

「快斗、早く起きて」

「今日は休む……」

「はぁ? 何言ってるの?」

「快斗兄、それはダメ」


 幼馴染も妹も手厳しい……。いいじゃないか、一日くらい。


「起きなさい、起きないと……」

「起きないと?」


 しばし無言。そして水月が俺に近づく気配がして、俺の後頭部に水月の髪が当たった。


「……抱き着くよ?」


 こいつよりによって耳元で囁きやがった……。


「じゃあ快斗兄、水月姉、ごゆっくり」


 妹様……? 見捨てないで? 水月を置いていかないで?

 空気を読んだのか実子が部屋から出ていってしまった。ご丁寧にドアまで閉めて……。

 しかし、水月は動かない。俺の耳に顔を寄せたまま、全然離れようとしない。

 顔を上げて、水月と目を合わせる。


「えっと……マジで……?」

「マジよ」

「よし、起きよう」


 体を起こし、水月をよけてドアに向かう。

 ここは逃げるが勝ちだ。戦わないことが最善。さっさと下に降りて朝ご飯を――


「水月さん? どうして抱き着いているのかな?」

「だって……」

「中学上がるときに約束しただろ? もうこういうのはしないって」

「ちょっとくらい……いいじゃん……」


 まあ、悪くはないけど……。いろいろ問題があるんだよ……。


「ほら、離せって。用意できないだろ」

「……ごめん」


 渋々、といった感じで水月が離れる。

 こちとらまだパジャマなのになんてことしやがる。びっくりしたじゃねえか。


「先に下行ってろ。すぐ行くから」

「二度寝は――」

「しねえよ。大丈夫だって」


 手を払って外に出ろと合図をする。


「遅刻もだめだからね、急いでよ」

「了解」


 それだけ言って、水月は部屋を出ていった。

 そして階段を下りる音が聞こえて、それが無くなる。


「はぁ……」


 今鏡を見たら酷いことになっていると思う。寝不足で二重だし、眉間にしわが寄ってるしですごく人相が悪く見えると思う。

 それもこれも水月アイツのせいだ。

 生まれてからずっと一緒に育ってきたけど、ああいうことをされるのは初めてじゃないけど、それでも慣れるものではない。


「ダメだって……」


 俺は水月にどうすることもできない。

 だって、三日後には




 ~ ~ ~ ~ ~




「おはよー、快斗君、水月ちゃん、仲良く並んで登校とは仲のいい夫婦ですねー?」


 一歩教室に踏み込むだけでなんてぬかしやがる悪友がいる。

 ご丁寧にドア横の席に陣取って俺たちを待っていたらしい。


つむぎ、お前の目は節穴か?」

「かもしれないね?」


 涼しい顔でそんなことを言う、小学校から付き合いのある奴だ。腐れ縁ってやつらしい。


「むぎ、私たちって夫婦に見えるかな……?」


 当然水月とも仲がいい。水月は紡のことを『むぎ』と呼び、反対に紡は水月のことを『つき』と呼ぶ仲だ。

 だがそんなことはどうだっていい。問題は今の水月の発言だ。


「「……は?」」


 見事にハモった俺と紡の声。

 軽口上手の紡でも今の剛速球は打ち返せなかったようだ。


「だから夫婦に――」

「ああ、そうだね……一般的な意味での夫婦には見えないよ、二人ともまだ見た目が高校生だからね」

「そっか……」

「でも二人の空気が夫婦っぽいのは確かだよ。下手にベタベタしないけど分かり合ってるみたいな、ね?」

「はいはい、紡。もう終わりな。水月が調子に乗るから」


 二人の間に割って入って強制的に会話を中断。

 ついでに紡の頭を軽くはたいておく。


「痛いなー、快斗ー」

「昼にカフェオレ奢るから許せ」

「りょーかい」


 さっきと変わらず薄笑いを浮かべて俺を見上げる。……その顔にだんだん腹が立ってきた。だけど憎み切れないんだから腐れ縁なのだ。


「席に戻ろうか、先生が来たよ」


 紡がそう言うと、白板側のドアから先生が入ってきた。

 すると、先生は教室中をぐるりと見まわして――俺と目が合った。そして手招きされる。


「快斗、呼ばれてるけど……」

「ちょっと行ってくる」


 わらわらと自分の席に戻っていく級友たちを避けて、先生のところまで行く。


「なんですか、先生」

「親御さんから聞いたんだが、あれは本当か?」

「あれって?」

「入院のこと」


 母さんからは詳しくは聞いてないのか。自分で話せってことだろう。


「今、みんなにも言っていいですか?」

「ああ……いいけど」


 じゃあお言葉に甘えて……。

 振り向くと教室中の視線がこっちを向いていた。そのほうが都合がいい。


「ええっと、みんなに話があります」


 教室がざわつき始める。大方なんだろう、という興味の声だ。


「本題から話しますが、俺は、黒線病という病気です。みんな知っているかもしれないけどこの病気は今のところ治りません」


 ざわめきが興味から不安に変わっていく。


「だから未来に治療法が発見された時のために、俺は冷凍睡眠コールドスリープを受けることにしました」

「……快斗、マジで?」


 級友の一人がついに声を出した。


「マジ、だから来週にはもう俺はいません」


 するとざわめきが止んだ。みんなが目を丸くしてこちらを見上げていた。


「今週の日曜日に冷凍睡眠コールドスリープを受けます。だから見舞いの品とかいらないから。よろしく」


 それだけ言って自分の席に戻った。

 もう、みんなの顔は見なかった。見ることができなかった。

 悲しくなってしまいそうだったから――。




 ~ ~ ~ ~ ~




 昼休み、俺は校舎裏に来ていた。

 いつも陰っていて、薄暗く、気味が悪いので近づかない人も多いこの場所は、校内で有名な危険スポットの一つだ。


「おーい、つむぎー」

「快斗、遅い」

「悪い、みんないろいろ聞いてくるんだよ」


 そして俺は目の前の薄笑いを浮かべる悪友、紡が立っている。

 ここに来た理由はこいつに呼び出されたからだ。わざわざこんな場所を選ばなくてもいいだろうに。酔狂なことをする。


「で、話って?」

「快斗のこと、あと、つきのこと」

「……先に謝っとく、ごめん、俺には何もできない」


 すると紡は静かに目を伏せて、大きく息を吐いた。

 そして少し下から俺の目を睨みつけるように見てきた。


「つきはどうなるんだよ……」

「ごめん……」

「つきの気持ちはどうなるんだよ!」


 紡に胸ぐらをつかまれ、壁に背中を打ち付ける。その痛みより、心が痛かった。紡が怒る気持ちはよくわかるから。


「つきの気持ちを知ってるのにどうしてそんなことができる?」

「……できれば言いたくなかった、けど」


 一度、深呼吸をして、紡の目を見つめ直す。


「……死ぬかもしれないんだよ」

「は……?」

冷凍睡眠コールドスリープって患者を一回殺して、保存して、蘇生させるって技術なんだよ。だけどその蘇生させる段階で事故が起こることがあるんだと」

「事故が起きれば……」

「永遠に目覚めない」


 紡が静かに手を放して下を向いた。


「だから、もしもの時は水月をよろしく。あいつが幸せになれるように手伝ってやってくれ」

「……快斗の気持ちはどうなる」

「俺はいいよ、起きた時に考える」

「もしもが起きたら?」


 紡がもう一度俺の顔を見上げた。もう怒ってはいない。不安が目の奥から伝わってきた。


「起きても起きなくても、俺は水月にはダメなんだよ」

「どうして?」


 俺は無理矢理笑顔を作る。せめてもの強がりだ。


「そもそも一回死ぬから、ダメだ」

「……そっか」

「……水月には言うなよ」

「わかってるよ……」


 しばらく無言で並んでいた。

 すると紡がよし、と声に出して動いた。


「カフェオレ、奢ってくれるんだよね?」

「……やっぱり、お前はそうでなくっちゃな」


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