君が眠る前に
赤崎シアン
8/2(水) 突然の……
ベッドにうつ伏せに寝転がり、肘を立てて少し上体を起こす。いつもダラける時の姿勢だ。
手元にはスマホ。その画面には風鈴の画像がずらりと並んでいる。この馬鹿みたいに暑い夏を乗り切るには風鈴の涼し気な音がいいと思うのだ。
「お前、また風鈴か?」
うるさいなあ……。私の勝手じゃん、あんたが口出しすることじゃないじゃん……。
確かにまた買ったら増えすぎだとは思うけど……。
痛いところを突いてくる
バシッ、といい音がした。うん、すっきり。
「ったいな!! なにすんだよ!!」
快斗が脳天あたりを押さえながら恨めしそうにこちらを睨みつけてくる。おお、怖い怖い。まるで獣ね。
「べっつに~? 誰かさんがわざとらしくまたとか言うのがいけないんじゃない?」
「……俺はただ事実を述べただけだ。以上」
そう言って快斗は、ベッドの側面に寄りかかり足を伸ばして座る――いつもの定位置に着いた。
むかつくっ。本当にむかつく。こいつはどうしていつもこうなのか。どうして私をイラつかせることばかり言うのか。
でも快斗の言うことが正論なのは自分がよくわかっている。
だからこそむかつくことしかできないのだ。多少暴力を振るっても怒ったりしないから尚更質が悪い。これで怒るのだったらまだ釣り合いが取れてよかったのだが。
「ごめんね、痛かった……?」
「ん、そんなには」
「ほんとに?」
「お前の細腕にそんなに力があるとは思えないんだが?」
「……とにかく痛くなかった?」
「気にするほどじゃない」
後ろ姿しか見えないが、別に痛がる様子もないし、腫れているようでもない。
まあ、痛かったらちゃんと言うだろう。多分。
「なあ」
「なに?」
「いつもは謝らないのにどうした?」
「……別に」
上手く流せたと思ったのに、どうしてこの男はそれを蒸し返す……。
「昨日俺が病院に行ったから?」
「わかってるなら言うなっ」
本当にむかつく……。どうしてこんな男が察しスキルを持っているのか不思議でならない。
枕に頭をうずめて、顔を隠す。柄にもなく快斗の心配なんてすることが恥ずかしくて顔が赤くなっているはずだ。
「
「うるさい」
どうしてこういう時だけ名前で呼ぶかな? びっくりして体温上がっちゃうじゃん……。
枕に頭をもっと沈めて、頬も見えないようにする。
……。
さっ、という紙同士の擦れる音がする。
…………。
快斗の呼吸の音がやけに近くに聞こえる。
………………。
……どうして何も話しかけてこないのっ。普通そこは『どうした?』とか言って様子を窺うところでしょ? それなのにこの男は……。
「……どうした、いきなり睨みつけてくるなんて」
「べつに……」
「お前それは無理があるだろ。いつもは元気いっぱいで俺を良く殴ってくるお前が今日は珍しくしゅんとしてるのに『べつに』何もない、なんてことはあり得ないと思うが?」
快斗が長く喋った。珍しいこともあるものだ。
「どうした、そのアホ面は」
「アホ面なんかじゃないっ」
この鈍感っ。馬鹿。一回死ねばいいのにっ。
不貞腐れるように顔を快斗とは逆のほうに向け、布団を被って無言の抗議をする。
「悪い、ごめん、謝るから」
「本当に悪いと思ってる?」
「思ってる」
「じゃああとでチョコミントアイスね」
「……わかったよ」
大きなため息が後ろから聞こえた。
やっぱり快斗は私に甘い。結構簡単に折れてくれる。
寝返りを打って、快斗のほうに体を向ける。制服がしわになるだろうけど、仕方がない。今はこっちが優先。
「それで、病院は?」
快斗は目線を逸らして、チッ、と舌打ちを一つ。
「言わない」
「ふーん」
じゃあこうするしかないよね……?
油断している快斗の首に腕を回し、肩に顎を乗せる。そしてそのまま腕の力を強めて……。
「やめろっ、ばかっ」
「いーやーだー」
「このクソ暑いのに」
「エアコンはついてるよ?」
「そういう問題じゃないっ」
そう言うと快斗は手早く私の腕を解いて、一気に壁際まで後退った。
取って食おうってわけじゃないんだから、そんなに慌てなくてもいいのに……。
「早く教えなさい?」
「お前それは卑怯。俺が手出しできないのわかってるくせに」
「え? 別に私はいいけど?」
「俺がダメなんだよっ」
睨み合い。どちらかが動けば戦い(?)が始まるという嵐の前の静けさ。
「みつき~、快斗くん~、お菓子用意しといたから、二人で食べなさいね~」
そして、空気を読まずにそれを破る、我が母親……。
もう一度お互いに顔を見合わせ、同時に脱力。お母さん、絶対許さん。
「……降りるか?」
「……そうしよっか」
私と快斗は同時にため息をついた。
~ ~ ~ ~ ~
下に降りて、リビングへ行くと、お母さんが食卓にプリンを並べていた。少し緑がかった色をしている。多分抹茶プリンだろう。
お母さんはお菓子を自分で作る。お菓子に限らず料理もほとんど自分でやる。カレーをスパイスから作る人なのだ。
しかも凝り性。作るものほとんどにアレンジが加わっていてそれの予想が全くできない。
「
「いーえ、いいのよ? 快斗君さえよければ全部食べていっていいわよ?」
「さすがに全部は遠慮しておきます……」
そして量が問題なのだ。お母さんは快斗と話し続けながらプリンを並べ続けている。全部で……十二個。いくら小さいコップ一杯分だからと言っても全部は、例え甘いもの好きの男子高校生でも食べられないだろう。
「はいっ、食べていいわよ」
そう言うと二つスプーンを置いて、キッチンに引き上げていった。
快斗は目に見えて嬉しそうな顔をして、そそくさと椅子に座り、手を合わせる。
「いただきます」
そして目の前の一つを掴み、一口食べた。
飲み込むと、なぜか真顔で私のほうを見てきた。
「水月、ちょっと食ってみて」
「ん? わかったけど……?」
何かおかしかったのだろうか? あの料理に関しては完璧超人なお母さんが?
さすがにそれはないと思うので、確かめないと……。
快斗の向かいの席に座り、スプーンを引っ掴み、一口、口に含む。
「これ……」
「だよな、そうなるよな?」
独特な風味と程よい甘さ。そしてこの緑色と言えば……
「ずんだだよね?」
取れそうなほど首を縦に振る快斗。
不味くはないのだ。寧ろ美味しい。何個でもいける味なのだが、ずんだという超意外な変わり種には自信がない……。
するとこっちの声が聞こえたのか、お母さんがキッチンから顔だけ出してこっちを覗き込んできた。
「二人とも正解っ、今日はずんだプリンでした!」
それだけ言ってまたキッチンに引っ込んでいった。
「美味しいから腹立つ……」
「そうかっかすんなって」
「誰のせいで――で、病院の結果は?」
快斗のプリンを食べる手が一瞬止まった。しかしまたすぐに動き始めて、何事もなかったかのようにプリンを口に運んでいく。
こいつは意外とわかりやすい。きちんと見ていればどこかでボロを出す。今みたいに一瞬固まったり、箸を落としたり、些細なことだが見逃さなければ反撃のチャンスができる。
「恵美さんにも話したいから後で」
珍しくすぐに折れた。いつもは抵抗してなかなか話そうとしないのに。
快斗はそれきり静かになってしまって、黙々とプリンを口に運んでいる。
そんな快斗を見ながら私はちびちびとプリンを削っていった。
しばらくしてまたお母さんがやって来た。
手に持ったお盆の上には湯飲み三つと急須が乗っている。ずんだに合わせて今日は緑茶なのだろう。
お母さんは私の隣の席に座って、お茶を湯飲みに注いで、私と快斗の前に置いていく。
「はい、どうぞ。少し冷ましたから飲めると思うわよ」
「ありがと」
「ありがとうございます」
横目で快斗を見ながらお茶をいただく。美味しい。全然えぐくない。
快斗は一口、お茶を飲んで、すぐに湯飲みを置いてしまった。私も一緒に湯飲みを置く。
「水月、恵美さん、話があります」
「なに?」
「どうしたの?」
お母さんは不思議そうな顔をして快斗の顔を見た。
快斗はそれを見ずに、涼しい顔をして話を続ける。
「昨日病院に行ってきました」
「え? 水月、知ってた?」
「知ってたよ」
「なんで言わなかったの」
「今聞いてるからいいじゃん」
「そうね……」
すると快斗がわざとらしく咳ばらいをした。私とお母さんは慌てて姿勢を正して快斗のほうを向く。
「そのことで一つ重要なお知らせがあります」
「……なに?」
そこで快斗は一度お茶を飲んで、間を開けてからもう一度こちらに向き直った。
私たち母娘は息を呑んで次の言葉を待つ。
「病気が見つかりました」
「え、ちょっと、大丈夫なの?」
「本当に?」
「本当です。大丈夫じゃないです」
「病名は?」
「黒線病です」
黒線病――突然姿を現し、近年になって患者数が急増している病気だ。その病気にかかった人は体の表面に黒い線のような痣ができ、それが広がるとその部分が動かなくなっていく。しかし、病気の進行を抑える方法は見つかっておらず、ごく初期の段階でその部分を切断しても効果がなかったという。故に致死率は百パーセント。
黒線病に快斗が罹った? 私の幼なじみが? どうして? どうして快斗なの?
そんな思いが頭の中を駆け巡る。
「……あの黒線病?」
「はい、死人がいっぱい出ているあれです」
「大丈夫なの?」
「多分大丈夫です」
考えれば考えるほど私の頭はパニックに陥っていく。
快斗が死ぬ。その事実が頭にこびりついて離れなくなってしまう。
「おい」
「……やだ」
「水月」
「いやだよ……」
「水月っ!」
驚いて肩がすくんでしまった。目の前を見ると快斗が険しい表情でこちらを覗き込んでいた。
快斗の表情を見て、何故か私の涙腺は緩んでいった。
ぽたぽたと目から熱い雫が落ちていく。
「だって……」
「大丈夫だって」
「どうして……?」
「まだ方法があるんだって」
「……ねえどうしてそんなに落ち着いてるのっ、死んじゃうんだよ? ねえっ、行かないでよ――」
「水月、落ち着いて聞きなさい」
お母さんの声に意識が引き戻される。ここで気を確かにしなければできることも出来なくなってしまう。
頑張って涙をこらえて快斗に向き直った。
「
「……コールドスリープって、実用化されてたかしら?」
「まだ臨床試験段階だそうです」
冷凍睡眠。別名、人工冬眠。人為的に生命活動を極限まで抑えて、老化、劣化させずに人間を保存する技術。それによって現在治療法のない病気も未来になら発見されているかもしれないという希望に
それができた時に一度話題になったが、実用化には遠いと聞いていた。
「それの実験台になるってこと?」
「そういうこと」
「危険はないの?」
「放っておくよりはリスクは低いかと」
確かに黒線病は放っておけば確実に死ぬ。でも
それもわかって快斗は
「……どうしてそこまでするの?」
「だって、死にたくはないから」
「
「まあまあ」
「だったら黒線病で死ぬまで生きてようよ……」
すると快斗は静かに首を横に振った。まるでごねる子供を諭すように、落ち着いた表情で。
こうなったら快斗は考えを曲げない。多分誰に反対されようとそれを貫くだろう。
「それで快斗くん、施術はいつなの? 早いほうがいいんでしょ?」
「ああ、それなんですが……」
快斗が少し考え込むように目を伏せ、すぐにまた私たちに目を合わせた。
「八月六日、四日後を予定してます」
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