第37話 異形の楔

 瞬く間に地面は遠ざかり、研究所は小さな豆粒のようだ。濃緑の森林と明るい平原とがモザイク状に映り、上昇を続けていくとそれらの境界は曖昧になっていき、今度は茶色と緑という区分けになった。


 地球の重力圏から抜け出せそうな頃合いを見計らって、上昇の速度を落とし、船の人口重力を発生させる。この一連の重力操作を、いかに滑らかに、乗員に負担をかけずに行えるかが、パイロットの腕の見せ所だ。


「ん? もう宇宙に着いたのか?」


 拍子抜けした様子のキースが席を立って、クロウのすぐ隣まで寄ってきた。


「ああ、見ての通りだ」


 目の前のキャノピーには無限に続く星空が広がっている。クロウが用のある太陽は、その手前で、もったいなく思える程に光りを放っていた。


「無重力じゃないと、実感がわかないな」

「無重力環境での作業訓練なんて受けてないだろ? それに、あんなのメリットが少ないからな」


 健康に良いとは言えないし、この船が無重力状態で操作する設計になっていない。掴んで移動する取っ手は無いし、物を固定するベルトも無い。それと、冷蔵庫の中が悲惨なことになるのは間違いないだろう。


「そういうもんなのか」

「そういうことだ、大人しく座ってな。これから揺れるぞ」


 クロウが地球に墜落する原因となった、軌道上を浮遊する子爆弾、これに当たればまた最初からやり直しだ。


 船に搭載された小型レーザータレットを動体感知モードに変更し、半径五〇メートル以内に接近した物体には低出力レーザーを照射するように設定した。

 身構えていたものの何事もなく危険地帯を抜け、次の段階に入る。


「これからパルスドライブを開始する。まあ、言ってみれば亜光速航法だ」


 亜光速と言っても光速の十分の一にも満たない速度なのだが、他に上手い表現は見つからない。

 シートベルトを締めておけよ、とキースに呼び掛け、手順へ移る。


 ワープに使用するよりも数段小規模なエネルギーを後方へ発射し、その作用で前進する。まず重要なのは、進行方向の安全確保だ。何気なく宇宙空間を漂っている小石や金属の破片が、こちらの亜光速という速度と組み合わされば、ライフルなんか目じゃない兵器に変わる。

 船を粉々にされ宇宙の藻屑になることを避けるため、パルスドライブは不可視光線による安全確認が可能な短距離での利用が主だ。


 船内環境の安定化を終え、パルスドライブを開始する。


 機体後方で発生した青白い閃光は、前のキャノピーからも見える程凄まじいものだった。ここまでやってしまえば、あとは勝手に進むのに任せるだけ。


「これから何度か小さなパルスドライブを繰り返して、太陽に到達するのは二時間くらいだな」


 大きく伸びをして、操縦席を離れた。もうパイロットにできることはない。


「意外とかかるんだな。もっと数分くらいでパパッと着くのかと思ってた」


「だからこそワープドライブと、それを可能にした反重力エンジンは革命なんだよ。ワープができて初めて人類は宇宙に到達した、そう言う学者もいるくらいだ」


 それ以前の技術では一光年ですら無限に等しい壁で、さらに言えば太陽系外に出るのだって大仕事だ。これでは足の指先を少し水につけただけのことを「泳いだ」と表現するようなものだった。とてもじゃないが「宇宙に到達した」とは言えない。


「よく分からないが勉強になった」


 キースはあまり興味なさそうに頷く。あまり話し相手としては適してないな。


「お前なんかよりセナを連れてきたかったんだがな」


「……やれるだけのことはやったんだろ? 残りはあいつ自身が選択することだ」


 この宇宙そらをセナに見せてやれば何かが変わると思った。見せることができれば自分が変われると思った。


 今ならそれがエゴだと気付ける。自分を変えられるのは自分だけだと。


 うじうじと考えるより目の前の仕事を片付けてしまおう。


 六度目のパルスドライブを終了し、機体を減速させ始めた時、それは見えた。

 目を焼くような太陽の光を軽減するためにキャノピーの遮光率を上げても、しっかりと視認できる。


 予想通り人工衛星ではあった。


 だが、その姿は異形としか形容できない。


 まず単純にクロウの船の数十倍は大きい。そして、高熱に耐えるためなのか、黒い装甲が互いを喰らい合うように幾重にも重なり、有機的な造形を作り出している。装甲の隙間からは反重力機構特有の青白い光が覗いており、禍々しさを強調していた。


 燃え盛る業火の海を背景に浮かぶそれは、とても人類と同じ文明下で造られたものだとは思えなかった。神か悪魔が創造した物だと言われた方が納得できる。


「おい、このボロ船であんなの壊せるのか?」


「所詮は一〇〇年前の骨董品……問題ないはずだ。っていうかボロ船って言うな」


 半分自らに言い聞かせるように答えるクロウ。


 希望を陰らせる疑念を頭の片隅に追いやり、操縦桿を持つ手に力を込めた。


 あのデカブツが造られた一〇〇年前には戦闘用の宇宙船など存在していなかった。おそらく物理的な攻撃は想定していないはずだ。それに、あの不気味な装甲に真正面から挑む必要はない。ただ妨害電波の発生を阻止できればいいのだ。


 クロウは太陽に引き込まれないよう一定の速度を維持しながら人工衛星を観察する。やはり弱点はあった。貪欲に開けられた口のような穴から、いかにも精密そうな中身が見える。


 とっとと二、三発ぶち込んで終わりにしよう。まだ何機もあるはずだ。


「頼むから落ちてくれよ……」


 どこへともなく祈りながらトリガーを引く。

 閃光がほとばしり線状の残像が目に残ったが、人工衛星には変化が見えない。クロウは立て続けに何度もトリガーを引く。


「落ちろよ!」


 衛星の装甲に走る青白い線に乱れが生じた。声なく叫ぶが如く激しい点滅を繰り返している。


「よし、いけるぞ!」


 目の前の光景を固唾を飲んで見守っていたキースが小さくガッツポーズをした。

 だが、歓喜に沸き上がったのも束の間、眼前の空間に無数の線が描かれる。レーザーによる攻撃だ。


「つくづく化物染みてるな、あれは」


 黒い装甲部分を拡大して見てみると、数え切れないほどのレーザータレットが設置さえている。受けた攻撃の方向から敵の位置を推定しているだけらしく、船に命中することはなかった。


「おい、クロウ大丈夫なのか?」


「みっともない悪あがきだ、そうそう当たりはしねぇよ」


 根拠に乏しい経験論だが、よほど運が悪くない限り被弾しないはずだ。宇宙は広い。


 人工衛星の方は内部から崩壊が始まり、速度も低下し、みるみるうちに炎の中へと飲み込まれていった。

 全部で何基あるか分からないうちの最初の一基だが、落とせることが分かっただけでも、非常に気が楽だ。


 次の人工衛星を探して船を進めると、すぐに見えてきた。全く同じ外観だが、今となっては呑気に浮かんでる大きめのゴミみたいなものだ。


 見掛け倒しのどでかい的なんぞ恐れるに足りない。素人が動かす船を落とす方が遥かに難しいくらいだ。

 さっき撃墜した衛星との位置関係から計算して、全ての衛星が等間隔に配置されているとすれば、残りの衛星は目の前のを入れて五基という結果になった。


「さっさと落ちろ、ウスノロめ」


 馬鹿みたいに開いた穴の中に数発撃ち込んで、すぐさま反撃の射線から機体を翻して逃れる。衛星は見当違いの方向にレーザーを放ちながら、どんどん落下していった。


「あっさりと落ちたな」

「ああ、この調子なら今日の夕食には間に合うんじゃないか?」


 死地へと赴くような気持ちで出発してきたものの、ずっこける程楽勝な任務かもしれない。その証拠に、こんな油断だらけの危うい会話を繰り広げながら、さらに二基を難なく落とすことに成功した。

 地球の無線通信をジャミングしている人工衛星だが、自身の放つ強力な妨害電波のせいで、衛星同士も互いのことを認識できないのだ。隣の衛星が落とされた、という情報を上手く活用するどころか、気付いてすらいない。


 地球の人類をを分断し、苦しめ続けてきた張本人が同じ理由で滅ぶなんて、あまりにも間抜けでお粗末な話じゃないか。丁度いい具合に皮肉が効いてる。


「さーて、あと二基だ。……ぬわっ!」


 五基目が視界に入ったと思った瞬間に、鋭い閃光が目をくらませ、船が大きく揺れた。反射的に被害状況を確認すると、どうやら貨物室に小さな穴が開いたらしい。


 装甲の真下にある気密コーティング層によって小さな穴は自動的に塞がるよう設計されている、だが、問題は攻撃を受けたことだ。前説を早速取り下げる必要があるかもしれない。


 空気漏れのアラームが消えたのを横目で確認しながら、遠く浮かぶ衛星を注視する。クロウ達を狙って攻撃してきたのではないらしい。方向すら定まらず、でたらめにレーザーを撃っているようだ。


「どうなってんだ? めちゃくちゃにぶっ放してるみたいだが」

「十中八九、俺達が来る前に隕石か何かと衝突したんだろ。その時からずっと乱射し続けてるんだと思うぜ」


 その時が何秒前か、それとも何十年前か、どちらにせよ不気味なもんだ。


「あーあ、一瞬ビビらせやがって。さっさと落ちな」


 冷や汗を拭いながら、衛星の正面に滑り込んでトリガーを引く。冷や汗と言っても猫は額に汗はかかないので、代わりに肉球に浮かんだ手汗をジャケットに擦り付けた。


 衛星の高度が下がり始めたのを認め、クロウ達は離脱した。衛星は炎の中に消えていくその瞬間まで、自らの死に気付くことなく光線をばらばらな方向に放っていた。


 最後の衛星へ向かおうと船を方向転換した時、またもや船が突き上げるような振動に襲われた。


「今度は一体何だってんだ!」


 順調だったペースを二度も乱され、クロウはいら立ちを隠すことなく怒鳴った。しかし、キャノピーに表示された被害状況を見て、一気に血の気が引いた。


「レーザーキャノンが破損しただと……」

「おい、どうすんだよ!?」


 キースがクロウの座っている操縦席をがしりと掴んで前後に揺らす。


「一旦地球に戻って修理するしかない」

「レーザー兵器の部品なんてそう簡単に手に入る訳ないだろ。お前が『夕食には間に合う』とか調子乗ってるから、こんなことに……」

「何だと! あんたみたいな死神野郎がいるから」

「連れてきたのはお前だろうが!」


 理不尽極まりない罵倒の応酬が続く。しばらくしてキースが息を切らしながら打ち切った。


「で、実際問題どうする?」


 六基のうち五基を落としたのはかなりの功績だろうが、ルーカスのクビを繋げ、混乱の防止に値するという保証はない。上手くいったとしても次宇宙に出れるのは何か月先になるか。


 どうすればいい?


 考える。一切の誇張抜きに、今まで生きてきた中で一番頭を回転させている瞬間だった。

 機体をあれに突っ込ませる? 論外だ、そこまでする時ではない。とりあえず地球に一度戻るのはアリとして、すぐにやり直す方法は? それこそもう一機宇宙船がないと無理だ。

 もう一隻の船など最もありえない想像だ、そう一蹴しかけたが、その発想を軸にクロウの脳内で様々な記憶が結び付けられ始めた。


 コーヒー栽培の温室、セナ一家とシティの過去、玄関扉から現れた電子パネル。


 あの時の光景が、会話が、一つの答えを導き出す。


「宇宙船は、もう一つある」


 低く呟いたクロウ。その隣ではキースがぽかんと口を開けている。


「俺にも分かるよう説明してくれ」


 クロウは高速で行われた思考の連鎖を、言葉にしてキースへ説明していく。


「セナの家が宇宙船なんだよ」

「はぁ?」


 これは推測の域を出ないが、と前置きして続けた。


「セナの家には発電設備が存在するらしいが、それは一体何だ? 燃料が少ないからシティの車は電気自動車なんだろ、だったら火力発電の線は無い。まともな管理なしで稼働し続けられるのなんて反重力機構ぐらいだ」


 クロウは一気にまくし立て、息継ぎしさらに説明を続行する。


「次にあんたが前に話してくれたアデラって人のことだ。あのシェルターを偶然見つけたとか、たくさん知識を持ってたとか、どこから来たのか話さなかったとか、不自然な点が多くないか? そして最後に、あの玄関扉だ。普通シェルターに電子ロックなんか採用しないだろ」


 キースは首を傾げて唸っていたが、そう長くかからずに一人で何度か頷いた。とりあえずは納得したらしい。


「それじゃあ早速」

「ああ、セナの家を宇宙へ飛ばしに行くとしよう」


 希望が見えてきたこともあって、二人は意気揚々と撤退を開始した。


 見ているだけで焦げ臭い匂いが漂ってきそうな太陽に背を向け、青く輝く地球へと鼻先を向ける。


 その時、小さな光の点が僅かに動いているのを視界の端に捉えた。動いているというより近付いてきているというのが、もっと正確か。


 クロウは拡大スコープを使用し、その点に目を凝らす。


 平べったい円盤型で、青白い光の尾を引いて着実にこちらへ向かってきているそれは、


「宇宙船?」

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