第36話 離陸

 肌寒い空気が体に染みわたる早朝、まだ薄暗い灰色が広がる中、迎えに来たキースの車に乗る。


 セナはまだ寝ていた。睡眠薬はあらかじめ全て隠しておいたので、それについては心配はしなくてよいだろう。


 アデラの件は、話す時間がなかったので書置きだけを残しておいた。キースも昨日のことを何ら確認してくることなく、ただ黙ってクロウを研究所まで送り届けた。

 検問所の兵士に怪訝そうな視線を向けられながらも、何事もなく通過し、人影のない研究所を歩き、格納庫に到着する。


 扉を開けて入った瞬間に強烈な光が襲い掛かってきて、思わず目を細めた。奥の大きなゲート、本来的にはそちらが正面なのだろうが、それが開け放たれ白い朝日が差し込んできている。


 黒いシルエットとして浮かび上がるクロウの宇宙船と、その前に三つの人影が立っていた。


「時間通りだな」


 口を開いたのはルーカス、とするともう二つの影の主はフレッドとライアンだ。そわそわと緊張を隠せない様子でいる。


「ルーカスとフレッドはいいとして、なんでライアンがここに?」


 それぞれの影が判別できる距離まで近寄ったクロウは、ライアンの方にちらりと目をやって尋ねた。


「宇宙船が飛ぶところなんて、生きているうちに見られるか分かんないからな。少々無理言って来た」


「まあ、俺はとやかく言わねえけどよ」


 ルーカスが許可したならクロウに言うことはない。ギャラリーが一人増えたところで何の問題もないだろう。


「準備ができ次第出発して欲しいのだが、大丈夫か?」

「ああ、問題ない」


 と、クロウはルーカスに頷き返したところで大事なことを思い出す。


「いや、ちょっと待ってくれ。できれば一人助手を連れていきたい。手が足りなくなるかもしれないからな」


 修理の過程でいくつかの自動制御機構を取り外し、マニュアル操作へと切り替えたため、一人だと操縦が難しい可能性があった。


 ルーカスは快く了承してくれたが、そうなると問題になるのは人選だ。ルーカスとライアンは立場的にほいほいと動ける人物じゃないし、万が一何かあった時の影響が大きい。


「はいはい! 僕が行くよ!」


 フレッドが勢いよく手を挙げてアピールする。


「ん~、フレッドは……」

「そうだよね、僕なんか何の役にも立たないし」


 思いの外打たれ弱い。クロウがほとんど何も言っていないうちに肩を落として、消え入るように呟く。


「そうじゃない、もし俺が失敗したら次の宇宙船を作るのにお前の力が必要になるだろ? だから、お前は連れていけないんだ」


 クロウがそう説明すると、フレッドは即座に顔を輝かせた。


「それならしょうがないな、インテリはつらいね」


 まあ、フレッドが納得してくれたなら、それでいい。


「ということで、あんたに付いてきてもらうぞ、キース」


 指名されたキースはまんざらでもない様子で、頭をぼりぼりと掻いた。


「空にすら飛んだことねえのに、いきなり宇宙かよ」

「頼りにしてるぜ」


 クロウが突き出した拳に、キースが腰を曲げて拳を合わせる。クロウにとって不相応な程重大な一仕事だ。キース以上の適任者はいないと確信できる。


「よし! 早速準備に取り掛かろう!」


 ルーカスが大きく手を叩いたのを合図に、全員が一斉に動き出した。

 ルーカス達は機体近くのコンピューターやその他計測機器を持ち出し、クロウとキースはそそくさと船に乗り込んでいく。


 操縦席に着いて船内を眺めた。大した日数が経った訳ではないのに、ひどく懐かしく感じる。


 洗練、最先端、といった言葉からはかけ離れた操縦系統に、同レベルの船内空間。これから一つの星の文明を背負う任務に赴くとは思えないボロ船だ。


「おい、クロウ。俺の席がねぇぞ」


 背後でキースが不安そうに首を振って辺りを見回している。


「そこの壁に補助席が畳まれてるだろ」

「あ、本当だ」


 キースが無事着席しベルトを固定したのを見届け、クロウはエンジンを起動した。

 地の底から伝わってくるような重苦しくゆったりとした振動、船内の照明が点灯し、目の前のキャノピーにも各種情報が描き出される。機体状況を示すログに目を通すと、修理の甲斐あってだいぶ数値は改善されていた。


「飛ばせるのか?」


「まあな」


 いきなり研究所を巻き込んだ大爆発を起こす可能性もゼロではないが、それについては黙っておく。

 クロウは僅かに船を浮かせると、慎重に格納庫の外へと移動した。かなりの集中力を要する繊細な作業だが、手や指が覚えている。


 宇宙船はもちろん、ヘリも飛行機も存在しないフォレストシティだ。格納庫も車両用のものなので、外に滑走路が広がっている訳ではない。一応舗装された広場のようなスペース、それを芝生の敷地が囲い、その奥は研究所と街を隔てるフェンスだった。


 外から丸見えにも程がある。クロウの船には光学迷彩などの贅沢機能は搭載していないのだ。街のど真ん中での打ち上げショーになってしまうだろう。


 今回で上手くいかないとルーカスのクビも危ないな、とか考えていると、その張本人とフレッドが手を振りながら駆け寄ってきた。

 クロウは船を停め、扉を開ける。息を切らしながら船へと辿り着いた二人。


「すまん、クロウ君、これを忘れていた」


 ルーカスが腕を伸ばして手渡してきたのは、正体不明の小さなデバイスだった。船のコンソールに接続できる端子が設けられている。


「これを通信系統に繋げてくれれば、研究所にある無線機と通信できるらしい」

「もしかして、今の状況でも使える特別製とか?」


 たとえ相手が素人だとしても、宇宙飛行中に地上と通信できるのは大きな心の支えになる。しかし、こんな物があるなら今回の任務自体がいらないはずだ。


「いいや、今は使えんよ。ただ、成功報告を一〇〇年ぶりの無線通信でやる、ってのはドラマチックだとは思わないか?」


 予想通りだったが、期待が打ち砕かれ、少しばかりがっかりする。だが、願掛けとしては悪くない。


「ありがと、受け取っとく」

「それじゃ、健闘を祈る」


 ルーカスはそう言って走り去っていったが、なぜかフレッドが残ったままだ。あまり似合わない真面目な表情でクロウのことを見ている。


「どうした、何か用か?」


「クロウはこれからスゴイことをしに行くんだなぁ、と思って」


 気の抜けるような調子で話すフレッドに、こちらもペースを乱される。とはいえ、


「俺のこと見直したか?」


 クロウは地球に来てからそれなりに成長を遂げたと自負していた。評価の一つや二つ改めて貰ってもいいところだ。


「いや、それはないね。クロウは絶対的に見たら、まだダメな方に分類されるよ」


 フレッドがきっぱりと言い切るのに少なからずショックを受け、操縦桿に頭を突っ伏す。しかし、フレッドは曇った眼鏡を指で拭いながら「でも」と続ける。


「僕はアーカイブから昔の映画とかアニメとか掘り出して見るのが趣味なんだけど、ダメな主人公ってのも面白いもんだよ」


 フレッドはそれだけ言い残して駆けていった。


「さっさと出発しようぜキャプテン」


 キースが茶化すように促してくる。


「それとも、ダメな主人公って呼んだ方がいいか?」

「うるせぇ」


 クロウは顔を上げて船を離陸シーケンスへと移行させた。反重力エンジンが唸り上げる音とともに体へとGがかかっていき、クロウの後ろではキースが歯を食いしばって呻き声を漏らしている。

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