第34話 可能なこと

 森に囲まれたセナの家は静寂に包まれていた。


 立地を考慮すればごく自然で、むしろ絵になるような幻想的な状況とも言えるが、あの騒がしいセナと共に過ごした記憶しかないクロウにとっては、嫌な静けさだった。地面に半分埋まったシェルター、という家の外観も墓みたいに目に映って、冷たく訴えかけてくるようだ。


 背中を何かに撫でられるような不快感を感じながら、キースと共に玄関の前へ立つ。

 扉を何度か叩いてみた、しかし、いくら待っても返事はない。キースはドアノブに手を掛けてみるが、


「鍵がかかってるな」

「温室の方にもいないみたいだぞ、どうするんだ、やばいんじゃないのか?」

 嫌な想像が一瞬よぎる。


「落ち着けって、開ける方法はある」


 合鍵でも持っているのか? 持っていたら、それはそれで問題が生じそうな気がするが、今はそれどころではない。

 焦るクロウをよそに、キースは扉の横辺りの壁を手で探り始めた。

 普通、鍵を隠すなら郵便受けとか植木鉢の底とかだろう、何もないコンクリートの壁にどうやって隠すというのだ。


「何やってんだよ?」

「まあ、待てって、お! あったあった」

「はあ!?」


 コンクリートの一部が手帳サイズにぱかりと開いた。剥がれたのではなく開いた。その中に隠れていたのは現代的な電子パネルだ。研究所の時と似たようなパターンだが、受けた衝撃は数倍以上。


 なぜこんな古臭いシェルターに電子ロックなど備わっている? というか、シェルターに電子ロックというのはふさわしくないんじゃないのか。


 山ほど疑問は湧いてきたが、この場では無視しよう。


「以前、アデラが教えてくれたんだ。何かあったらこうやって開けてくれ、ってな」


 覚束ない様子でキースがパネルを操作すると、鍵の開く作動音がした。

 二人して中になだれ込む。照明の類は点いておらず、日の下がってきたこの時間だと室内はかなり薄暗かった。

 玄関すぐのダイニングは無人で、シャワールームへと繋がる扉の奥にも人の気配はない。クロウとキースの視線はダイニングと寝室を区切るカーテンへと注がれる。


「セナ!」


 クロウは勢いよくカーテンの下から滑り込み、その直後にキースがそれを開け放った。

 セナはベッドの上で、雑に毛布を掛けて倒れていた。帰ってきた時そのままの服装、肩にこびりついた血の跡は乾いて固まっている。


「おい、セナ! 大丈夫か!」


 クロウがセナの胸に飛び乗って頭を揺さぶると、セナは微かに声を漏らした。

「んっ……」


 ただ眠っているだけのようだ。落ち着いてみれば、緩慢な寝息がちゃんと聞こえてくる。

 しかし、これだけ騒いでも起きないというのは変だ。クロウはセナの上に乗ったまま、頬や額をぺしぺしと叩いてみた。

 反応はない。


「やっぱりな……」


 背後でキースが静かに呟いた。呆れている様で後悔も宿った、そんな調子だ。

 振り返って見ると、キースはダイニングのテーブルの前に佇んでいた。その視線の先、テーブルの上に置かれていたのは水の入ったコップと半分空になった錠剤のシート。


「それは何だ?」


 セナの胸から飛び降り、キースに詰め寄る。テーブルに近付きすぎると却って上が見えなくなってしまうので、椅子によじ登った。


「睡眠薬だ、あいつの悪い癖さ。アデラが死んでから時々服用してたみたいで、ここ最近頻度も量もどんどん増えてた」

「知ってて、放置してたのか? そもそも、あんな子どもが睡眠薬を買えること自体おかしいだろ」

「実戦経験のある兵士には格安で販売されるんだ。それを利用して小遣い稼ぎをする輩もちらほらいる。……放置してた、ってのには何も言い返せないな。どう接すればいいか分からなくて、見て見ぬフリを続けてた」


 クロウにはキースを責める資格が自分にあるとは思えなかった、それでも、


「もう少し……どうにかできなかったのか?」

「俺にはできなかった、でも、お前ならできるかもな」

「どういうことだ?」


 初めは、何か嫌味で返してきているのかと思ったが、そうではないらしい。


「お前が来てからのセナは間違いなく明るくなってたよ。睡眠薬だって使ってなかっただろ?」


 思い返してみればキースの言った通りであるが、それがクロウとセナの交流の賜物だとは信じられない。


「セナにとって、俺が珍しいヘンテコ生物だったから、それだけだろ。いずれ飽きられて幻滅されるのは目に見えてる」


 自分になんか救えるはずはない。あれだけ付き合いの古いキースですら無理だったのだから。

 クロウがそう反論すると、キースは小さく笑った。


「セナが気に入ったのは、お前のそういうトコだろうな」

「そういうトコってどういうトコだよ」

「今みたいに、無自覚に責任を投げ出そうとするトコだよ」

「なっ!?」


 キースの言葉はクロウに深く突き刺さった。それだけ残酷に核心を突いている。


「ま、そういうことだ、セナのことはお前に任せる」


 キースは一方的に言い放つと、ポケットから取り出した何かをテーブルの上に置き、部屋から去ろうとクロウに背を向けた。


「おい、これは何だよ?」


 見たところ古びた記録メディアのようだ。もちろん中身は知る由もない。こんな物をいきなり押し付けられても困るだけだ。


「俺も詳しくは知らねえよ。アデラに渡されたんだ、セナがあのクレーターを見る機会があったら、これを見せてくれ、って」

「中身は?」

「見てねえよ、興味がない」


 キースは「じゃあな」と振り返らずに手だけを振って、外に出ようとしたが、急に立ち止まった。


「忘れてた、アデラの死についてもお前から伝えておいてくれ」


 そう有無を言わさない調子で言い残し、扉の向こうへ消えていった。


 無責任にも程があるだろ、と心の中で吐き捨てようとしたが、思いとどまる。今の自分は誰かを責めることのできる身分じゃない、文句を言うのは、任された仕事を果たしてからにしよう。

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