第33話 後悔
二人と一匹の連携が光り、昼過ぎおやつ前くらいには全ての作業が完了した。とてつもなく密度の濃い時間で、何が起こっていたのか、本当に修理が終わったのか、自分でも半信半疑の状態である。
これといって計画の開始を遅らせる理由も存在しないので、明日船を飛ばすことに正式に決定した。今日の内にテスト飛行を行いたいところではあったが、医者の手配等、不測の事態が起きた際の用意ができていないそうだ。
そんな諸々の作業の間、キースはいつの間にかどこかへ消えて、気が付いたら戻ってきていた。
「よう、終わったか?」
「お前、どこ行ってたんだよ」
「ちょっと、家まで忘れ物を取りに帰って……その後は、そこのカフェテリアで一服してた。そんなことより、終わったんだったら少し付き合ってくれ」
悪びれずに話すキースに、文句をぶつける気も失せた。
「いいけどよ、どこに行くんだ?」
「セナのことが心配だから様子を見に行きたい、あと、その前にエヴェリナの容態も聞いてこないと」
その名前を聞いて、息が詰まる。
クロウ達が無事目的を果たし、この場に立っていることができるのは間違いなくエヴェリナのおかげだ。そして、その彼女は今、生死の境を彷徨っている。
クロウが行ったところで何かできる訳でも、事態が好転する訳でもない。あの夜に何もできなかった時点で結果は決まっている。もがき抗うことはおろか、後悔するのだって遅すぎるくらいだ。
「分かった、行くよ」
それでも、逃げるつもりはなかった。
息巻いて出発したものの、病院の掲示物に一行記された「ペット連れ込み禁止」という文字列に阻まれ、エヴェリナを見ることすら叶わなかった。
受付でのキースの交渉も徒労に終わり、クロウは駐車場に停められた車の助手席にぽつんと取り残される。
少し心のどこかでほっとしている自分に嫌気が差す。逃げるつもりはなくても、逃げられて安心している自分がいる。
ここにいるのが正解なのか? 地球に来ても逃げ続けるのか?
ここが分かれ道だ、そうだろう?
クロウは車のドアを開けると、地面を蹴って駆けだした。通りかかった人々が奇異の目を一瞬向けてくるが、それだけで済む。怪しい行動をしていても通報されたりしない分、猫はこういう時に有利だ。
正面玄関は無理だ、手動の重たい扉を開けようとしているうちに警備員に摘まみ出されるのがオチだろう。病院の白い壁面に視線を走らせる。運よく二階の窓が小さく開いていた。
行くしかない。
多少ざらついた壁なら、地面と垂直でも二階程度なら駆け上れる。
一切スピードを緩めることなく壁に突っ込み、衝突の瞬間に壁に足を着ける。壁面へと押し付けられる力が残っている間に、上へ上へと足を進めていき……窓枠に手が届いた。爪を立て、腕の力だけで体を引き上げる。
転がるように屋内に入り、息を整えた。ベッドと簡素な机が備わっているだけの病室、幸運なことに無人だった。
キースと看護師の会話を盗み聞きして得た情報だと、エヴェリナが収容されているのは、このフロアの中央部にある集中治療室だ。そう遠くはないはずだが、これからどうするか。
院内の構造がどうなっているのか全く把握できていないことを考えると、下手な隠密行動より、一気に駆け抜けてしまう方が得策に違いない。
クロウは呼吸が落ち着くのを待って、病室の扉へ近付き様子を窺う。
淡い色の床や壁に、無害そうな照明。古今東西変わらない一般的な病院の廊下が左右へと伸びていた。特に理由は無いが左へ行こう。
クロウは足に力を込め、弾かれたように飛び出した。
それからのことは無我夢中で覚えていない。
女性の驚いた悲鳴や、金属のトレーが甲高い音を奏でながら床に転がる音が耳に張り付き、気が付いた時には体格の良い警備員に、病院の玄関から放り出されていた。
でも、たしかにエヴェリナの姿を見た。
見たこともない大量の機器とチューブで繋がれ、生気の無い顔でベッドに横たわる彼女の姿を、自分達が救えなかった少女の姿を。
「随分と大胆なことをしたな」
セナの家へと向かう車内、助手席でうなだれるクロウにキースが声を掛ける。少し笑っているが、声に抑揚は感じられない。
「人を殺したことはあっても……仲間が死んだことはなかった……」
元々一人での仕事が多く、他の構成員との付き合いは少なかったし、わずかに交流のあった者達はクロウよりもしぶとく生き残っていた。
「おいおい、勝手に殺すなよ」
キースは冗談めかして返したが、「まだ死んでない」とは言葉を続けられなかった。
「エヴェリナの容態はどうなんだ?」
「安定はしてる、が、いつ意識が戻るのか分からないそうだ」
キースは一言一句を噛み締めるように語った。自分自身に刻み込むように。
しばらく沈黙が流れたが、キースが突然思い出したかのようにぽつりと口を開いた。
「俺の同僚は、アデラを含めて三人死んでる。全員俺よりも年上さ。だから、今回の任務で誰か命を落とすとしたら……俺だと思ってた。ま、そう甘くはなかったがな」
「大した死神具合じゃねえか」
「全部背負い込んで、押し潰されて死ぬのが俺にはお似合いなんだろうな」
そう呟くキースの見つめているものは何だったのか。同じものを見ることは今のクロウにはできなかった。
「潰される前にやることはやっておいてくれよ」
セナが心配だった。クロウやキースよりも遥かにエヴェリナとの距離は近かったのだ、その距離が、今、彼女にのしかかっているはずだ。
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