第30話 引き金

 全員自分の銃と最低限の物資、キースは電子部品の入ったケースを持って走り出す。どれくらい引き離せているのかは分からないが、安心できる距離ではないはずだ。


「クロウ、これを持て」


 セナとエヴェリナが先に行ったことを確認したキースがクロウに手渡したのは、不格好で奇妙な銃だった。もちろんクロウのものだ。


「俺一人じゃ守り切れねえ、頼む」

「……期待はするなよ」


 受け取った銃を背中に担いで駆け出した、次の瞬間、銃声、数十センチ隣の地面が抉られる。


 追いつかれた。


 身を隠そうにも付近には頼りない茂みが点々としているだけ。

 体が貫かれないこと、仲間が呻き声を上げて転がらないことを祈って、ひたすら前へと走った。追いすがるような銃声と怒声が耳の中へ押し入ってくる。


 先を走っていた二人へ何とか追いついた時も、背後を振り返って気にする余裕などなかった。ただ、キースが息を切らしてすぐ後ろに付いてきていることだけは分かり、心の中でだけ一息つくことができた。

 全く日が昇る気配などない、おそらく夜はまだ半分にも到達していないだろう。クロウには何ら問題はないが、人間には辛い状況だ。闇は身を守ってくれるとはいえ、先の見えない恐怖は同時に心を蝕む。

 ここは猫である自分が何とかしなければ。

 クロウは地面を強く蹴って加速し、その勢いで前を走るセナの肩に飛び付いた。


「ちょっとクロウ、楽しようとしないで!」


 クロウはエヴェリナの方を気にしながら、セナの耳元で囁く。


「違う、セナ。前方一時の方向にちょっとした林が見える、そっちに向かえ」

「分かった、そういうことね」


 クロウが肩から飛び降りると同時に、セナは林の位置をみんなに伝えた。人間の目には、黒い背景に浮かぶ、さらに黒い影ぐらいにしか見えない物だ。


「よく見えたね、セナ」


 息を切らしながら感心するエヴェリナのすぐ横を銃弾が掠めていく。迷っている猶予はない。

 林に滑り込んだ時には、呼吸は荒くなり過ぎて、もはや途絶えそうな程だった。特に今回の遠征で休息が圧倒的に少ないキースの消耗が深刻だ。

 キースは太い幹を背に座り込み、ケースをセナに放り投げた。


「俺がここで時間を稼ぐから、お前らは先に行け……」


 息が続かず途切れ途切れになりながらもそう言ったキースは、銃をだるそうに持ち上げ、初弾が装填されていることを確認した。


「そんなのダメだって!」


「お前が思っているような無謀なかっこつけじゃねえぞ。絶対に後から追う」


「……絶対だからね」


 林の奥へと進んでいく背中を見送るクロウとキース。


「おい、お前も残るのか?」

「あんたが約束を守るよう見張る必要があるだろ? それに俺には敵が良く見えるからな、ここの方が役に立てる」

「そうかい、勝手にしろ」


 二人は匍匐の姿勢で狙いをつける。追っ手の奴らもライトを消し、こちらに明確な位置を悟られないようにしているようだ。

「敵は見えるか?」

 勝手にしろ、と言う割には早速アテにしてきた。

「一〇~二〇人ってところだ」

 クロウ達を見失い、でたらめに銃を撃っている。これほどしつこく追ってくるとは律儀過ぎて涙が出る。

「……全く見えないな」

 キースは思わず乾いた笑いを漏らす。


「俺が離れた所から攻撃するから、戦闘になったらマズルフラッシュでも狙って撃て」

「いいのか?」

「俺は小さいからな、そうそう撃たれやしないだろ」


 クロウはそう言い残し、移動を開始した。普通に四足歩行で動くだけでほとんど体は下草に隠れてしまうのはかなり便利だ。

 さて、ここら辺でいいだろう。

 銃を構え、きょろきょろしている人影に照準を合わせる。


 躊躇なんてない、もう散々殺しただろ。


 引き金を引くと影はぱたりと倒れた。射撃の反動は全て銃本体の重さで吸収されている。すぐさま次の影に狙いをつける。今更撃ち返したって無駄だ。めくら撃ちが当たる訳ない。

 次の影も腹に何発か撃ち込み、地面に横たわったのを確認する。

 クロウが撃った以上の影が倒れ始めた。キースも狙撃を開始したらしい。

 完全に戦況はこちらに傾いた。これでは戦闘というよりは的当てに等しい、一方的な殺戮だ。

 この調子なら一晩中だって戦っていられる、そうほくそ笑んだ時、聞きたくなかった方向から銃声が鳴り響いた。

 クロウの後方、セナ達の向かった方角だ。




 不意の遭遇だった。たぶんどちらにとっても。

 樹々の間を走り抜け、林が開けてきたと思った矢先、野太い叫び声とともに銃弾を浴びせられた。

 セナは突然の出来事に一歩も動けなかったが、エヴェリナは瞬時に拳銃を振り抜くと、声のした方向へとありったけ弾を叩きこんだ。

 獣のような呻き声が一瞬したが、それも聞こえなくなり、ようやくセナは我に返りエヴェリナへ駆け寄った。

 エヴェリナの細い脚、太ももの辺りにに抉り取られたような赤い傷が伸びていた。実際に見えた訳じゃないが、たぶん赤い。


「エヴェリナ! 大丈夫!?」

「平気だよ、こんなのかすり傷だって……」


 エヴェリナは引きつった笑みを浮かべ歩を進めようとしたが、声にならない悲鳴を上げて地面に崩れる。


「情けないよ、こんなんじゃ……」

「ちょっと待って、今手当てするから」


 エヴェリナの上半身を抱き起しながら、手持ちのライトを照らした。

 想像していたよりも、もっと状態は酷い。撃たれた右脚全体にどす黒い血の色が広がり、光に反射し気味悪く浮き上がって見える。

 傷を抑えるエヴェリナの手に自分の手を重ねて押さえつける。冷たいようなぬるいような感触。

 どうすればいい。

 基本的な止血や縫合はできるが、それでいいのだろうか。手が動かない。エヴェリナの血に絡めとられてしまったように手が離せない。

 呆然とエヴェリナを抱き震えていることしかできなかった。


 それでも、誰かが近付いてきていることだけは分かる。この足音はキースではないし、もちろんクロウでもない。敵だ。


 弾かれたように手が動き、腰のホルスターから銃を抜く。

 一〇メートルと離れていない木の影から誰かが姿を現した。

 初めて近くで見た。

 作りの粗そうな作業着の上下にぼさぼさ髪の男だ。間違いなく敵だろうが、人間だ。

 引き金を引けなかった、引かなきゃいけないし、引くことはできたはずだ。でも引けなかった。

 そんなことは知って知らずか、男は発砲してきた。相手も焦っているのか、ほとんど当たらない。

 一秒がとても長く感じる。空気を切り裂く凶暴な銃声もどこか遠くのこととしか思えない。肩口に刺すような熱を覚えたが、それよりも、エヴェリナのことをいくつかの弾丸が貫いたことが嫌という程よく分かった。

 全部自分に当たれば良かったのに……そうすれば撃たなくて済む、撃てなかった自分を責めずに済むのに。

 諦めて目を閉じた時、重い物が地面に落ちる音がした。気が付くと瞼の裏にまで届く強い光に包まれている。

 ゆっくりと目を開く。

 敵であった男は頭から血を流して倒れていた。だが、それよりも不思議なのは、その光景が見える程周囲が明るいということだ。目を開けていられないぐらいの白い光が辺りを照らしていた。


「おい! 大丈夫か!」


 見たことあるような、ないような男が大声を張り上げながら駆け寄ってきた。その両手に抱えられた銃からは火薬の匂いが発せられている。キースやセナ自身と同型のライフル。地面に転がっている男を撃ったのは、この人物のようだ。


「ヤバそうな怪我だ、おい! ドクターを呼べ!」


 男はどこかに向かって呼び掛ける。

 たしかに、顔こそ覚えていないが、服装は馴染み深い。フォレストシティ警備局の迷彩服だった。

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