第29話 脱出開始

 無事、目的地に到着して、目標のブツまで確保したのだから、本来ならば一息ついても良いタイミングだろう。しかし、残念ながらこれからが一番大変だ。銃を持った敵の潜む暗闇を、一台の車で駆け抜けなければいけない。


「具体的な作戦はあるの?」


 セナが服に付いた汚れを払い落としながら聞く。


「ああ、作戦って呼べる程のもんじゃないが、さっき二人で話し合った。大まかなプランは二つ、全員で正面突破か、俺が囮になるか、だ」

「ダメに決まってるでしょ! そんなの! 全員で帰らないと」

「エヴェリナにもそう言われたよ」


 反射的に鋭く答えたセナに、キースはおろおろと返す。

 全員で生きて帰れる都合の良い方法などあるのだろうか。キースの言う正面突破は、全員の生き残る確率を均一にするものであって、全員が帰れる方法ではない。


「だが、俺にはお前らを生きて帰す義務がある。たとえ命に代えてもな」


 そう語るキースの決心をエヴェリナは鼻で笑った。


「驕るなよ、おっさん。あんたに守られる程ヤワな生き方はしてきてないよ、私もセナもね」


 そう言ってエヴェリナはセナの方を振り返りウインクをする。

 随分と仲良くなったものだ。殺気のこもった格闘戦を繰り広げたのもそう遠くない出来事だというのに。

 クロウには地球の子供達が何を見て、どう育つのかを知らない。ただ、宇宙の安全で快適な都市で暮らす子供達よりは、幾分か死の近くで生きてきたことぐらいは想像できる。


「キースとは約束もあるんだし、それだけはちゃんとして貰わないと」


 セナは目を光らせぐいとキースに顔を近付け、キースはうんざりしたような、それでいて少し楽しそうな調子でセナを振り払う。


「ま、たしかに、今更そんなこと言うのも水臭いもんな。それに、俺も一人じゃ死にたくねえし、みんなで派手に行くとするか」


 キースのその言葉を聞き「やったー!」と手を取り合って喜ぶ二人の少女と、それをやれやれといった様子で眺めるキース。

 喋りたい、物凄く喋りたい。この輪の中に入れてくれ、と心の底から願い、それが叶わないことを知っているので文字通り歯噛みした。こんな一生の思い出になりそうな場面を無言で傍観するだけ、というのは酷い話にも程があるだろう。



 セナとエヴェリナの二人には、エヴェリナの家から食料の残りなどを取りに戻って貰い、クロウとキースは車へと向かった。


「こいつに命を預けるって訳か」


 クロウは所々弾痕の残る車体を叩きながら呟く。敵の銃の威力が弱いのか、ハンヴィーの装甲が厚いのか、街に入る際の銃撃では車内の貫通する弾丸は無かったが、たまたま運が良かっただけかもしれない。どちらにせよ、このヒビの入った窓が二発目以降の被弾に耐えられるとは思えなかった。


「なあに、ただ逃げるだけじゃないさ」


 キースは得意げに言いながら、荷台の床を取り外す。その下から姿を現したのは、鉄の塊のような大きな軽機関銃。


「こいつをハンヴィーの銃座にくっ付ける。おい、クロウ、天井を開けるの手伝ってくれ」

「そういうのあるなら最初から付けとけよな、必要な時に外れてたんじゃ笑えねえぞ」


 軽機関銃が積まれていたことも、それを固定できる銃座があることも知らなかった。軍用車両だから設備があること自体は何ら不思議なことではないのだが。

「これ見よがしに武器を持ってちゃ、いらん敵を作るだけだからな。あくまで俺の仕事は話し合いだ、殺しじゃない」

 キースはあっという間に車体上部に銃を固定し、するりとハッチに滑り込む。

「ふう、実戦で使うのは久しぶりだな」


 物置から懐かしい玩具を引っ張り出してきたみたいな、楽しそうな顔をしていた。

 キースは進んで殺しをするような人間じゃないのは分かっている。だが、命の奪い合いを真剣に受け止めていたら人間の心など簡単に押し潰されてしまう。いわば一種の防衛本能なのだ。


「そういう顔、セナには見せんなよ」


 口笛を吹きながら銃の点検をしていたキースは、クロウにそう言われ、はっと我に返ったようだ。


「分かってるよ……あいつには真っ当な人間になって欲しいからな」


 

二人が戻ってきていよいよ出発の時だ。

 運転は土地勘のあるエヴェリナに任せ、キースが銃座に付き、クロウとセナは後部座席で大人しくしていることに決定した。セナは不服そうであったが、これ以上の配置が無いことは本人も理解していたようで、すぐに引き下がった。


「一〇キロ駆け抜ければ大丈夫なはずだ、その間は死ぬ気で集中しろ、分かったな?」


 後部座席で一体何に集中すればいいのだ。祈って弾が当たらなくなるなら全力で祈りはするが。


「人生で一番ヤバいドライブになりそうだね」


 エヴェリナはキーを回しモーターを始動させる。電気自動車の静かな振動とかすかな高い音が体を包んだ。

「うへえ、何か気持ち悪い車」

「慣れろ、音が小さけりゃ見つかりにくいんだ」

「はいはい」

 一気にアクセルを踏み込んだ。タイヤが一瞬道の砂利で空転したが、間髪入れずに体に大きな衝撃が加わり座席へと押し付けられた。


 街並みは瞬く間に後方へと流れ、のっぺりと黒い闇の広がる平原に出た。風景が変わるのを合図とするかのように鳴り響く銃声。街のすぐ外で待ち受けている奴らがいたようだ。


「走り抜けろ! 邪魔なのは俺が薙ぎ払う!」

「ライトはどうすればいい?」

「事故を起こすぐらいなら点けろ! 的になった方がまだマシだ」


 車体前方のライトが点けられ、白く長い光が先を照らした。しかし、明らかに周囲の銃声も倍増した。現状、車への命中はないが時間の問題だ。空気を切り裂く音も耳に何度か届く。

 運転席にしがみ付いて前方を覗き込んでいたセナが鋭く悲鳴にも近い声で叫ぶ。


「前! 二人いる!」


 ライトに照らされ浮かび上がっている二つの人影から、小さな閃光と耳を塞ぎたくなる破裂音が響く。構わず進み続ける車のフロントガラスにヒビが刻まれていった。


「任せろ!」


 キースは流れるような動作で機銃を向けると、躊躇なく連射した。乾いて連なった銃声が、一秒間隔で放たれた。前方で二つの影が無様なダンスを披露しながら倒れる。

「絶対に止まるな!」

 激しい振動で体を色々な所に打ち付ける。今走っているのが道なのかどうかすら定かではない、右側のライトは割れ、視界は酷く狭くなっていた。

 永遠にも感じられる程の時間だが、実際は数分がいいところだろう。キースが不規則に行う射撃の音、それがこの場で唯一時間を示すものに思えてくる。タイミングこそまばらだが、放つ銃弾の数は測ったように均一だ。あの数発の銃声のたびに誰かが命を落としている。

 できることのない戦場は静かだ。命を自分以外に託し、他人事のように傍観すればいつかは終わる。無論、結果に拘らなければの話だ。

 そんなつもりはない。

 クロウは自分にできることを、石みたいに固まって車の外を見つめているセナの頭を引っ張て姿勢を低くさせた。


「イタタ……クロウ、ちょっと引っ張らないで!」

「ナイスだ、黒猫! セナはそのまま伏せてな! うわっ!」


 一瞬だけ背後を振り返ったエヴェリナだが、その直後にフロントガラスに銃撃を受け悲鳴を上げる。蜘蛛の巣状に窓を白く覆うヒビに視界を奪われた。


「クソッ! 前が見えない!」


 エヴェリナは聞くに堪えない罵詈雑言を吐きながら片手で窓を殴ったが、鈍い音を立てるだけでビクともしない。


「エヴェリナ、どいて!」


 混沌とした状況でもよく通る声だ。違う空気を吹き込むような、セナはそんな冷たく切迫した声を張り上げた。同時に狭い車内で器用に体をひねると、両足を前方へ投げ出し、渾身の力で叩きつけた。一枚の板のように剥がれて吹き飛んでいくフロントガラス。


「いいね! 涼しくなった!」


 前からの攻撃を防ぐ手段がなくなってしまったが、ほとんど後方からしか銃声が聞こえなくなっていたことに気が付いた。


「とりあえず振り切ったが、まだまだ安全じゃない、気を緩めるな」


 キースは後ろへ牽制の弾丸をばら撒いていたが、緊張が途切れたのか肩で息をしていた。

 奇跡的に全員無傷で脱出することができた。改めて車内を見回すと、シートの背の部分にいくつか穴が開いている。なるほど、やっぱり奇跡だ。


 この身に訪れた幸運を噛み締めていたのも束の間、ハンヴィーが音もなく動きを止めた。何事か、と全員が混乱する間もなく車体の前部分から破裂音とともに焦げ臭い香りが。


「こんな所で……全員降りろ! とりあえず真っ直ぐ走れ!」


 キースは血の気の引いた顔で叫んだ。

 弾の当たりどころが悪かったらしい。モーターの息の根が止まりうんともすんとも言わなくなった。

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