第27話 過去と覚悟

「私はいいって! 別に大丈夫だから!」


 そう言って抵抗するエヴェリナの服を、セナは強引に引き剥がす。ぴったりとした黒いタンクトップ姿が露わになった。


「臭い気にしてちょっと距離取ってたのなんてバレバレなんだから」

「……やっぱり気付いてた? 女の目は誤魔化せないね」


 エヴェリナは観念した様子ではにかみ、それから自分で服を脱ぎ始める。それを見届けたセナも上着を脱いだ。

 エヴェリナはセナよりも筋肉質であったが、予想していたよりもだいぶ華奢だった。連日の戦闘で食事も睡眠もほとんど取れていないのだ、今はこのか細い体を精神力だけで無理矢理動かし続けているに違いない。それと、そこで初めて、彼女が首から三枚のドッグタグを下げていたことに気が付いた。

 完全に服を脱ぎ終えた二人は洗面器を水で満たし、髪を洗い始める。有難いことにシャワールームにはシャンプーやら石鹸やらがそっくり残されており、それを使うことができた。

「ひゃ! 冷た!」

 ある程度身構えてはいたものの、想像を超える水の冷たさが皮膚を刺し、セナは小さい悲鳴を上げる。

「体を洗えるだけでも嬉しいよ。温かいシャワーは無事に帰れてからのお楽しみ」

 エヴェリナは冷水をものともせず手早く髪を洗い終えると、洗面器の水を取り替え、タオルを濡らし体を洗い始める。

 女性らしからぬ手際の良さにセナは思わず釘付けになった。そして、エヴェリナの胸や腹の辺りにいくつもの傷跡が存在感を放っているのを発見する。乱雑に縫われた跡が白く浮かび上がっていた。

 セナの視線に気付いたエヴェリナは、細く白い指で、何かを確かめるようにゆっくりと傷跡をなぞった。

「この傷はさ、戦闘が始まったばかりの頃だったかな……。近くの建物に迫撃砲が直撃した時にガラスとか色々刺さって、医師見習いの同僚が縫ってくれたんだけど、あいつ下手くそでさ、こんな跡になっちまった」

 エヴェリナは俯き、ドッグタグを一つ顔の前に摘まみ上げた。


「顔に傷が残らなくて良かった、なんてあいつ言ってたけど、死んじまったら意味ないよな」


 その言葉の意味を問う程馬鹿ではない。しかし、掛ける言葉が見つからないことの言い訳だというのは自分でも分かる。

 セナが黙っていると、今度は不意にエヴェリナがセナの顔を覗き込んできた。


「どうしたの? 何か付いてる?」

「いや、何であんたはここに来たのかなって、少し気になって。別に仕事って訳じゃないだろ? でも、遊びで来るような奴にも思えなくってさ」


 セナが今回キースに付いてきたのは、母の死について問い詰めることが目的であった、もちろん外への興味というのが無かったと言えば嘘になるが、それでも、遊びで来たつもりは全くない。ただ、こんな戦場に放り込まれるとは予期していなかったし、知っていたら付いてきたか微妙なところだ。


「目的があったから付いてきただけ……でも、覚悟が足りなかった。だから、みんなを傷つけるだけ傷つけて……その挙句に失敗、笑っちゃうよね」


 セナの酷く曖昧な告白に、エヴェリナは悩みながらも答えた。


「そんなもんじゃないかな、だって私らまだまだガキもいいとこだよ? 上手くいくことの方が少ないって」

「いつまでも子供じゃいられないでしょ」

「そう、いつかは大人にならなきゃいけない……準備ができたできないに関係なく、ね。まあ、お互い生まれる時期が悪かったってことさ。ちょっとした失敗が命取りになる時代に生まれちゃったんだから。それに、あんたも大変だよな、子供っぽい振る舞い貫かなきゃいけないんだから」

「あ、バレてた?」

「女の目は誤魔化せないよ」


 セナとエヴェリナは顔を見合わせて笑った。

 子供は子供らしく、それが求められていることをセナは知っていた。こんな時代だ、やけに大人びた少年少女が大半で、学校を卒業すると、望まれている職業を誰に言われるまでもなく推察し、すぐにその職へと就く。

 そんな少年少女を見た時、大人達が感じているのは頼もしさや感謝ではない、罪悪感だ。

 子供を子供でいさせてやれなかった自分達の不甲斐なさを責める大人達、そんな彼らの姿を、セナはこれ以上見たくなかった。

 だから子供のフリをした。子供のままであると見せようとした。

 時代を変えられるようなヒーローにはなれない。だから自分を偽った。

 ヒーローが悲しむ顔を見たくないから。

 そして何よりも自分自身が救われたかった。一度大人になってしまったら「また救えなかった」と諦められてしまう。そうじゃない「まだ救える」ものとして在りたかった。たとえそれが偽物だったとしても。

 セナは唇を固く結び、エヴェリナの肩を引き寄せ真っ直ぐに向かい合った。


「絶対に、生きて帰ろう」


 急な出来事にエヴェリナは一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐにニッと歯を見せ笑った。


「当たり前だろ」



 その頃クロウは眠る気にもなれず、暇を持て余していた。

 暇は良くない、余計なことを考えてしまう。

 思い立ってむくりと起き上がると二階へと昇った。この際キースでもいいから話し相手が欲しい。

 いや、折角セナがいないのだ、余計なことを一つ片付けるとしよう。

 かつての生活の跡が残る寝室を通り抜けベランダへと出る。念のため背後を振り返り、エヴェリナが見ていないことを確認してから二足歩行に切り替え、梯子をよじ登った。

「よう、クロウどうかしたか?」

 日が完全に落ちた暗闇の中、キースが屋根の上に腰掛けていた。もちろんライトなどの照明は一切ない、街中を見渡しても他の光など存在しないのに呑気にライトなど照らすのは愚の骨頂だ。


「ちょっと暇になったからな、様子を見に来た」

「あの二人は何してる?」

「浴室で体洗ってるよ」

 クロウからそう聞いたキースは半ば呆れながら笑う。

「こんな時でも女は色々と大変だな」

「俺からすれば人間自体面倒なことする生き物だよ、何が悲しくて毎日シャワーを浴びなきゃいけないんだよ」


 クロウがシャワーを浴びるのは月に一回あるかどうかだった。それすら、まだ体臭がきつくなっていないと判断すれば省略する。それくらいに水は嫌いだ。


「ま、それは置いといて、何か用が有って来たんだろ?」

 黒く塗られたクロウの視界の中、キースの目が静かに光った。

 むさくるしい男と世間話をするために、わざわざ貴重な労力を使って屋根まで上ることなんてしない。それなりに大事な話をしに来た。

「今日の昼間の件について、あんたに尋ねたいことがある」

 キースは特に眉一つ動かすこともしなかった。

「昼間って言うと、あのことか……あれは少し驚いたな」

 日常のちょっとした不運を語るときのように、飄々と言い切るキースにクロウは驚きを隠せない。

「少ししか驚かなかったのか?」

 仮にも長い付き合いのある少女に銃を向けられたというのに、少ししか驚かないとは、一体どれだけ壮絶な人生を送ってきたのか。

 無論キースにそんな過去がある訳ではなかった。


「お前も知っての通り、セナは裏表がある奴だからな。器用に隠してはいるが……そういうのは大概爆発する」

「あいつ頑張って隠してたのに、あんたは知ってたんだな」

 クロウはあの夜の約束で、セナと秘密を共有できたことに密かな喜びを覚えていたのだが、それも虚しい代物だったらしい。


「別に見抜けたって訳じゃない。ただ、色々有って知っちまっただけだ。所長は知らないだろうし、フレッドも……多分気付いてない」

「色々ってのは気になるな」

「残念だが、それはセナのプライバシーに関わる問題だ。俺の口からは話せない」


 キースは指を交差させバツ印を作る。まあ、気になることは気になるが、本題じゃない。


「そんなことより俺が聞きたいのはセナの母親についてだ」

「セナに頼まれたかどうかは知らないが、なぜ死んだのかは話すつもりはねえぞ」

「頼まれてはいないし、聞きたいのは死因じゃない。どんな人だったかを、教えてくれないか?」

 中途半端に首を突っ込んでしまった手前、何がセナを突き動かすことになったのか、知っておきたかった。彼女の母親、アデラという女性について知ることができたなら、それも分かる気がする。

 理由はほとんど下世話ともいえる興味だ。教えられない、と即答されるのが目に浮かぶし、そう言われれば素直に引き下がるつもりだった。

 だが、意外なことにキースは考え込み迷っている様子だった。そして彼の中で何らかの答えが出たのか、


「そうだな、話してもいいかもな」

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