第24話 スナイパー
銃を捨て丸腰で、野良猫らしく毛並みも少し乱した。隠れていた建物から飛び出し、四足歩行でゆっくりと歩を進める。
「にゃーお、にゃーお」
母を探す子のような悲痛な鳴き声、これは索敵中であることを示す。五感をフル活用し、周囲の環境から違和感を拾う。砂塵が地面に叩きつける音も聞き漏らさず、生きた人間の気配を探した。
相手は銃器を持っている。活気を失った街の窓一つ一つにも注意し、眼球やスコープの反射光を見落とさないようにした。小さな小さな光であっても見過ごせば、セナかキースのどちらか、最悪の場合は両方が地面に横たわることになる。
そう思うと照明のない家屋の窓というのは、髑髏に開いた暗い穴のに見えてくる。どこも見えていない様で何でも見えている、そんな目だ。
一年分の神経をすり減らす思いで、やっと道を一本渡った。
「にゃあ、にゃあ」
尻上がりの高い声、安全確保という意味だ。それを聞いたセナとキースが早足で道を横切る。その数秒の間でも、クロウの心臓はかなり縮み上がっていた。
それが表情にも出ていたのか、セナが心配そうな顔で聞いてくる。
「クロウ、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。これくらい昼飯前だよ」
朝飯前とはいかないが、午前中には片付けられるレベルだ、と自分に言い聞かせる。
そんな状態で三〇分かけて一〇〇メートル足らずの距離を進んだ。もちろん当てずっぽうに動いている訳ではない。街に入ってからもしばらく聞こえていたバイクの駆動音と、その通り道に残された排ガスの匂いを追跡していた。
元から乾いてる口の中がより一層乾燥してきた辺りで、クロウの鼻は手掛かりを掴んだ。腐臭じゃない、生きた人間の体臭だ。
「うーーにゃう……」
力を溜めるような低い声、目標が近いことを報せる鳴き声だ。振り返ると、背後の少し離れた建物の陰でキースが小さく頷く。
ここからが本番だ。数世代前に置き忘れた野生の勘をどうにか手繰り寄せる。神経が焼き切れそうな程膨大な情報を吸い集めていく。仲間の命が救えるなら、こんな小さな脳味噌などいくらでもくれてやる。
殺気を感じた。
普段でも敵からの殺気を感知することはある。ただ、具体的に殺気というものが何なのか、その正体は分かっていなかった。おそらく無意識に拾った情報の統合である、と結論付けていた。だが、今回は無意識化の情報などではない。
ごわごわとした布の擦れる音、息を止める直前の急いだ呼吸、何より建物二階の窓から見えたスコープの反射光を見逃さなかった。
クロウは自然に猫らしく振舞いながらも、さりげなく尻尾を三回左右に振り、そして発見した狙撃手に向ける。
キースの「了解」というハンドサインを確認したクロウは、狙撃手の潜む建物に走る。まずは相手の気を逸らし、キース達が接近する隙を作り出さなければ。
「にゃーお、にゃーお……」
テーブルや棚は倒れ、割れた窓ガラスや食器の散乱する荒れ果てた民家。外れた玄関扉から中に入り、階段を上る。
二階、通りに面した部屋、ここだ。幸いなことに部屋の扉は開いており中に入り込める。
「にゃーお」
窓際で、薄汚いシーツのような偽装網を被った人影が静かに振り返る。
「あんたの遊び相手をしてる暇は無いんだ。向こうに行ってくれ」
男っぽい口調だが、想像よりも遥かに柔らかい声、女だ。
しかし、銃を持っていれば男だろうと女だろうと関係ない。等しく強力な兵士だ。
「にゃーお……にゃーお!」
声を段階的に張っていく。しばらく無視していた女が、苛立たし気に立ち上がった。
「分かった、分かったから静かにしてくれ。水でも食べ物でもあげるからさ」
偽装網を払いのけた女は、灰色の長髪を後ろでまとめた華奢な少女だった。セナと同い年ぐらいだろうか、それでも鋭い目つきは全く少女のそれとは思えなかった。
両手で抱えているのは木製銃床でボルトアクションの古臭い狙撃銃だ。ストックのある部分、丁度構えた時に目に入る場所に意図的な傷が付けられている。キルマークとは、なかなか粋なことをするものだ。
少女は持っていたライフルを床に置くと、ゆっくりと一歩一歩クロウに近付き、そのまま抱き上げた。
「にゃあ、にゃあ、にゃあ」
「うるさいな~ったく、下の階に水くらいはあったよな」
窓の外では二人が動き出した足音がする、クロウの鳴き声にかき消され少女には聞こえていない。
同じように鳴きつつも体をくねらせ少女の腕から逃れるフリをした。キース達の接近する時間稼ぎだ。もう二人は階下に迫っている。
「ふぎゃーーーーーお!」
これまでも、これからも出さないような金切り声を上げた。
勢いよく階段を駆け上がる音、少女も遂に何者かの接近に気付き、クロウを投げ捨てると、腰のナイフを抜こうと手を掛けた。
同時に部屋に飛び込んできたキースは、少女に渾身のタックルを食らわせる。すぐさま倒れこんだ少女に拳銃を向けた。
「動くな、大人しくしろ」
「クソッ、こんな所で!」
少女は既に触れていたナイフを振り抜くようにキースに投げつけた。それを避けたキースがバランスを崩した隙に少女は体勢を立て直し、床にある銃を拾おうと身をかがめる。
その時、キースの背後から姿を現したセナが一気に距離を詰めると、少女の脇腹に鋭く凶悪な膝蹴りを浴びせる。
「うっ!」
息が止まり思わず呻きながら起き上がった少女の側頭部に、セナは容赦なく掌底を食らわせた。
銃の扱いの上手さから予想はしていたが、セナの基礎的な身体能力や格闘技術は非常に洗練されている。しかし、そんなことよりも、これからどうやって敵じゃないことを報せるのか。本来、敵ではないとしてもここまで痛めつければ立派な戦闘行為だ。
ふらついていた少女を、キースが地面に押し付けるようにうつ伏せに組み伏せる。
「クソッ! 離せよ! クソッ!」
少女は喚きもがいていたが、キースの拘束は全く緩まない。次第に暴れる力は弱まり、最終的に大人しくなった。
「落ち着いて話を聞いて欲しい。俺達は敵じゃない」
「何人も仲間を殺しやがって! 何が『敵じゃない』だ!」
歯を食いしばりながら再度逃れようとする少女に対し、キースは不意に拘束を解いた。そして、あっけに取られ固まっている少女の目の前に自身の拳銃を置く。
「信じてくれ、俺達は君の敵とは別の組織だ」
少女はうつ伏せのまま、大声で助けを呼んだりするようなこともなくまじまじと拳銃を見つめていた。
「俺はキース・ジェフリー、三ヶ月前にここを一度訪れたんだが、覚えているか?」
静かな口調で名乗ったキースに少女はいらだたし気に答える。
「知ってるよ、実際に会ったわけじゃないけど仲間が話してたのを聞いた。凄腕の旅人がいるって、もっとゴツイおっさんを想像してたんだけどな」
「そりゃ、どうも。手荒な真似をして済まなかった」
少女はキースが差し伸べた手を素直に掴んで起き上がった。
「私はあんたよりも、そこの彼女に手酷くやられたけどね」
部屋の隅に立って一連のやり取りを傍観していたセナは本気で申し訳なさそうな顔で答える。
「本当にごめん……必死だったから……」
「いや、先に銃を使おうとしたのはこっちさ。殺されても文句は言えなかった」
少女は立ち上がった瞬間、顔をしかめ、力なく崩れると壁にもたれかかるように座り込んでしまった。
「大丈夫か?」
「無理そう、ちょっと休ませて」
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