第21話 穴

 大きな衝撃で地面から突き上げられ、クロウは文字通り跳び起きた。頭を振って急いで周囲の状況を確認する。

 昨日と同じ車の中だった。キースが既に運転を開始していた。さっきの衝撃は、道の窪みで車体が浮き上がったようだ。

「ふわぁ~あ、おはよう、キース、クロウ」

 クロウと同様の原因で目を覚ましたセナが、目をこすりながら大きなあくびをしている。

「二人とも起きたのか、目的地までは一時間以上かかる。まだ寝てていいぞ」

「大丈夫なのか? ここはもう危険区域だろ」

 だからこそ昨日はあんなに苦労して歩いたのだ。今日大っぴらに車で動いてよいはずがない。


「あの場所に近寄る奴は絶対にいないさ、心配するな」


 自信ありげに言い切るキースに、クロウは却って不安を覚える。誰も近付かないような場所にこれから連れていかれるのだ。

 セナはとっくに二度寝を開始しているし、キースは「あの場所」についての詳細を頑なに教えようとしなかった。仕様がないので、クロウも腹をくくる。

 しばし車に揺られ、着いたのは無人の街だった。かろうじて街だと分かる程度だが。

 一〇〇年前の時点でも既に古かったであろうその街は、人の営みを感じさせない遺跡の様相を呈していた。原型を留めている建物は無に等しく、僅かばかり立つ壁も塗装などは一切残っていない。灰色の石と草木だけが目に映った。

 がたがたと波打つような石畳にタイヤを取られながらも、適当な所に車を停めた。

「こんな所が、見せたい場所か?」

 確かに、地球上での人類の縮小を如実に表してはいるが、そこまで深い感慨をもたらすものではないし、「近寄る奴は絶対にいない」という話と符合する場所とは思えない。

「いや、この先だ」

 キースはクロウの問いを一蹴すると、崩れた建物の隙間を淀みのない足取りで進み始めた。

「おい、セナ。キースが見せたいものって何だろうな」

「さあ、とりあえず付いていきましょ」


 爽やかな青空の下、森と違って風で揺れ動く枝葉もない。時間が止まって感じられた。

 人がなんとかすれ違える程度の路地や、車も通れそうな広めの道。それらをいくつも通り抜けていく。何度目かの路地を抜け、少し開けた場所に出た。キースが少し離れた所でこちらを背に立っている。キースの立つその向こうには何もなかった。


 そう、何もないのだ。


 丁度、高いビルの窓から外を見たらこんな光景だろう。キースが佇む場所とその奥に見える景色に一体感がない。街の外に見える平原がやたらに遠いのだ。

 クロウとセナは恐る恐るキースのもとへ歩いてく。そして、やっと光景の意味を理解した。

 キースの目の前、すぐそこで地面は途切れ巨大な穴が開いていた。ボウルのように地面に穿たれた半球状の穴だ。対面する淵まで二キロはあるに違いない、深さも数百メートルでは収まらないはずだ。

 言葉を失っているクロウとセナの前で、キースは足元の小石を穴の中に蹴り落とす。

「こいつが、お前達に見せたかったものだ。クロウもその様子だと知らなかったみたいだな」

 クロウが宇宙で得た地球の情報に、一切この穴についての記述は存在していない。

「キース、こいつは一体?」

 クレーターのようにも見えるが、それにしては周囲の損傷が少ない。この規模のクレーターができる程の衝撃ならこの街自体跡形もなく吹き飛んでいるはずだ。しかし、現実として街は風化はしていても存在はしている。そして、この穴との境界はまるで風景画を引き裂いたかのように人工的な断面だ。

 キースはクロウの質問には答えず、二人の間を通り抜けて後ろに下がっていった。

「二人とも、崩れると危ない。もうちょっとこっちに来い」

 三人は近くの崩れた家屋、その瓦礫の上に腰掛けた。上手い具合に心地良い座り場所を見つけると、キースはすぐに話の続きを始める。

「あの穴の正体は不明だ。自然にできたのか、それとも人工的に作られたのか……ただ、記録によると、人類が地球を放棄するに至った理由はあの穴らしい」

「あれが……」

 核戦争ではなかったのか。いや、でも、むしろこちらの理由の方が筋は通っている。現在の宇宙では完全な制御下に置かれている核エネルギーが原因で、地球という惑星をなかったことにしている、というのは理解し難い話だからだ。

 キースは記憶のページを一枚一枚めくっていくようにゆっくりと話し続けた。


「モスクワ、ロンドン、デリー……文字や写真でしか知らない都市だが、ここと同様らしいそうだ。有名無名、有人無人問わず世界中に数えきれない程穴が開いてるってことだな」

「私……こんなものがあるなんて知らなかった」


 セナは今見た光景が信じられない、という様子で自分自身を抱き締めるように両腕を抱えて小さくうずくまる。

「そりゃそうだ、教えてないからな。あんなもの知らない方がいい……俺も初めて見た時はしばらく悪夢にうなされたよ、ひたすら暗い穴に落ち続ける夢にな」

「正体は不明、と言ったよな、これからあの穴が生じる可能性は?」

「おそらくゼロだ。あれは一〇〇年前、ある時期に集中発生してからは音沙汰無しだ。そして、そこから俺達の研究所は一つの仮説を立てた」

 ただ怯えていた訳ではないということか。研究所、はたまたフォレストシティというのはそういう者達が築いてきたものなんだろう。クロウはキースに先を促した。

「初期の地球脱出計画は、地上にワープゲートを建設するというものだったらしい。ま、実際に作られなかったってことは頓挫したんだろうな……ここでクロウに聞きたいんだが、地上にワープゲートを作るってのは可能なのか?」

 パイロットにとっては極めて初歩的な質問だ。


「ワープゲート自体はいくつか実用化されているが、どれもこれも近くに何もない宇宙空間に建造されている。ただし、地上へのワープってのは土台無理な話だ。成功例を聞いたことがない」

「じゃあ、失敗例ってのはあるのか?」

「俺の知る限りはないな。上手くいかないのは火を見るよりも明らかだ、わざわざ危険を冒してやる奴はいない」

「うーん、それなら、無理矢理やろうとしたらどうなると思う? 想像でもいいから聞かせてくれ」


 しつこく食い下がるキースに根負けし、クロウは基本的なワープの原理から教えてやることにした。その間セナはずっと同じ体勢でうずくまっている、というか眠っているんじゃないか。

「……とまあこんな理論でワープは成立してる。通常のワープが紙に針で穴を開けるようなものだとしたら、地上へのワープは、ガラスの壁を全力で蹴破るみたいなもんだ」

「つまり、制御不能ってことか?」

「そういうことだ……あっ」

 キースの伝えたいことがようやくクロウにも理解できた。世界中に突如発生した穴、その原因は、

「地上で空間に隙間を開けようとしたから?」

「俺達の仮説はそうだ」

 失敗例が存在しないのは、結果を予測したためじゃない、結果を知っていたからだ。

「なぜかつての人類が地球を脱出しようと考えたのか、その理由は分からないが、少なくとも、地球にトドメを刺したのは地球を捨てた奴ら自身だ」

「十分にあり得るな」

「この仮説が正しいのかどうか今の俺達に知る術はないが、これが宇宙の人類に対する俺達のイメージであり結論だ。お前達にはそれを知って貰いたかった」


「そうか……でもセナは寝てるぞ」


 キースはセナを睨みつけると手近にあった小枝をセナの頭に投げつけた。

「イタッ! ちょっと聞いてるって、聞いてるから。少し目を瞑ってただけ」

「油断も隙もねえな」

 そう吐き捨てるように言ったキース。そんな二人のやり取りを見ていたら、クロウの口から自然に笑いが漏れ出た。緊張感も重苦しい雰囲気も簡単に吹き飛ばしてしまうような、そんなことがたまらなく羨ましい。

 二人は突然笑い出したクロウに驚き、互いに顔を見合わせていたが、そのうち釣られて笑い始めた。

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