第17話 調査拠点
窓の外は、平原と呼ぶには抵抗がある程の背丈の高い草に覆われ、数本の木が所々に点在している。丘陵地帯になっておりあまり遠くまでは見渡せない。そんな中をペンで引いたようにひび割れたアスファルトの道路が横切っていた。
セナはそんな光景に釘付けになり、窓に顔を押し付けるような形で見入っている。
荘厳でもなければ優美でもない、極めて平凡な光景で、特に注目すべきものは見つからなかった。しかし、窓の外を流れる景色は人間が支配を放棄したものであり、そして今もその管理の及んでいないい土地である、という事実は少し興味深い。
宇宙では人間が未到達で未発見な土地など珍しくもなんともないが、捨てられたというのはあまり見ることができないケースだ。
とは言っても見た目は何の変哲もない平原。クロウは大きく口を開けてあくびをすると、座席の上で体を丸めた。
「人に運転させといて自分はぐっすりお休みか?」
「目を閉じて呼吸を穏やかにしてるだけだ」
「ま、眠るなとは言わないけどよ。どうせ車の運転代わってもらうことなんてできねえだろうし」
「失敬な、こんな地面を這いつくばるだけの乗り物なんて、適切なオプションデバイスを装着すれば眠りながら操縦してみせるぞ」
「そういう意味で言ったんじゃねえよ。猫がハンドル回してるのを万一誰かに見られたらマズいって話だよ」
「なるほど、そうか。じゃあ調査拠点とやらが近くなったら起こしてくれ」
「ったく、分かったよ。おい、セナも少し休んでいいぞ、お前には運転を代わってもらうかもしれないからな」
セナは未だに窓の外へ夢中になっている。流れる風景を一つ残らず目に焼き付けようとしているかのようだ。
「ううん、私はもう少し起きてる」
「そうか、無理はするな」
クロウが会話を聞き取れていたのはここまでで、あとはゆっくりお休みなさいの時間だ。
早寝早起きは猫の習性だが、そこから二度寝してはいけないというルールはない。猫にとって眠るのは仕事であり義務だ。眠れるときに眠らないのは馬鹿のすることである。
電気自動車の細かい振動音というのは奇妙な安心感をもたらしてくれるらしく、いくらでも寝ていられそうな心地よさに包まれていたのだが、それはあまり長く続かなかった。
「おい、起きろ! 仕事だ、ほら」
キースの声で意識が引き戻され、クロウは渋々目を開けた。車は停車しており、セナは隣にいなかった。
ゆっくりと起き上がり「ここは?」とキースに聞こうとして、慌てて口を噤んだ。
囲まれている。
隙間のないほど大勢の森林迷彩服を着た兵士達に、車が取り囲まれていた。まあよく見ると包囲されているわけではなく、兵士達が野次馬のように車に集まっていただけなのだが、どちらにせよクロウには緊急事態だ。
助けを求めてキースの方を見たが、彼は知らんぷりで車のドアを開け、外に行ってしまった。「ちょっと待てよ」と言いたいが、口を開くわけにはいかない。
一体何を考えているんだ、とキースの方を睨みつけるように見る。周囲のがなり声が酷く、会話の内容までは聞き取れなかったが、キースは兵士の一人と至極和やかなムードで談笑している様子だ。
兵士達は年齢、性別ともにばらばらで、人種的にも特別ルーツを感じさせるような者は少なかった。フォレストシティには様々な地域から人々が集まったのだろう。
窓からたくさんの顔が覗き込んでいるので、クロウが大人しくかつ猫らしく座って待っていると、キースが後部座席のドアに近付いてきて、そのまま開けた。
兵士たちの騒ぐ声が一層大きくなる中、キースはクロウを抱きかかえると自分の顔の辺りまで引き寄せ、耳打ちした。
「一応、通行許可証明書に書いた通りの仕事もしなくちゃな。健闘を祈る」
キースはクロウを、近くにいた若い女性兵士に手渡した。
拠点に着く前に起こさなかった理由はこれか。事前に知らされていれば間違いなくクロウは抵抗しただろう。しかし、こうなってしまったら下手な抵抗はクロウにとって命に関わる。まんまと嵌められたって訳だ。
クロウを抱えた女性は、セナより少し年上くらいか、その目は正真正銘ただの猫を見る目だった。
「キースさん、猫をケースか何かにいれなくても大丈夫なんでしょうか?」
女性が発した疑問はいたって当然のものだ。こんな大勢の知らない人間に囲まれているにもかかわらず、クロウは身動き一つせず大人しく抱かれていた。こんな猫がどこにいようか。
「その猫は利口だからな。抱っこしてなくたってどこかに逃げたりはしないよ」
そう言ったキースの口が少しほころんだのをクロウは見逃さない。
この借りは絶対に返してやる、と強く決心したクロウは、為す術もなく次の兵士の腕へと渡された。
それからの数十分はクロウの一生の記憶のうち、トップレベルで深く刻まれる時間となった。
調査拠点は道路沿いの平原に、大きなテントや簡易的な建物をいくつか配置して建造されたもので、施設の錆や汚れ具合からしてかなり以前から存在するらしい。
そんな調査拠点の芝生の地面の上で、クロウは腹とか肉球とかをこれ以上ない程揉まれていた。あくまで猫らしく愛くるしい振る舞いを貫く。この兵士達は何も悪くないんだ、少しくらいは我慢してやろう。
クロウは自身の誇り的な何かが崩れ落ちる音が聞こえた。それでも、車の近くで誰かと話しているキースの方に聞き耳を立てることは忘れない。
キースの話相手はかなり年老いた男で、迷彩服の肩に付けられた階級章から推測するにこの調査拠点の責任者のようだ。
「昨日に申請して、今日に遠征とは随分と突然だな、キース。シティの方で何かあったのか?」
「申し訳ありません、大佐。こちらにも少々事情がありまして」
「無理に聞くつもりはない、こちらとしても補給が早いのは有難いのでな。ただ、少し問題がある」
「問題……ですか?」
「ああ、急な話で報告書の作成が間に合わんかったんだが、お前が向かう予定の地域に、不穏な空気が漂い始めている」
キースの表情が強張るのが確認できる。当初の話ではあまり危険がなさそうだったから、クロウは協力を申し出たのだが、どうやら雲行きが怪しくなってきた。
「不穏な空気、と言うと?」
「我々も定期的に偵察隊を派遣しているんだが、一週間前から放浪者の数が急増している。しかも、やたらに好戦的なのがな。こちらを見つけるや否や銃弾を浴びせてくる」
話の端々から察するに特定の居住地を持たない無法者が、クロウ達の目的地にはびこっているらしい。
「やつらはそれなりに装備も潤沢だ、既にハンヴィーを何台もオシャカにされてる。こちらに死者が出ていないのは不幸中の幸いと言ったところか」
「俺が三ヶ月前に訪れた時はそんな兆候全く無かったのに……気になりますね」
キースは顎に指を当てて考え込んでいる。
「連中が、お前の見つけたコミュニティに関係しているとは限らん。だが、どうであれ今向かうのは賢い選択とは言えんぞ」
大佐は真剣な顔でキースに語り掛けた。クロウも大佐に賛成だが、大勢の兵士に取り囲まれて全身を隈なく撫でられている状況では何もできない。
「以前コミュニティと接触した時に、何人か顔見知りもできてます、彼らのことが心配なので」
「五日後にはシティから装甲車と弾薬が届く。それまで待てないか?」
「五日で救えなくなる命もありますよ」
「気持ちは分かるが、我々はただのちっぽけな人間だ。何でもかんでも救えるわけじゃあない」
キースは一瞬、小さな棘が刺さったような顔をした。
「それは……痛いほど承知してます」
「ま、こういうのはお前の方が専門家だ。最終的な決定は任せる。必要な物も積み込ませておこう」
「感謝します」
大佐はキースの肩をぽんと叩くと、姿勢を正した。老いを感じさせない力強い佇まいだ。
「絶対に生きて帰ってこい。年下の葬式になんぞ死んでも出たくないからな」
「もちろんですよ、大佐」
「我々もなるべく早く応援に行けるよう計画を練る。以上だ!」
大佐はキースの肩をもう一度叩く、今度はよろける程に強くだった。そしてしっかりとした足取りで離れていった。
キースは肩をすくめ、後頭部をぼりぼりとかく。
「おい! セナ、クロウ、そろそろ行くぞ!」
キースの呼び掛けに従ってクロウは兵士達の輪から抜け出した。名前を呼ばれたからって素直に向かっていく猫がいるのかは甚だ疑問であるが、他に良い方法もあるまい。解放感に満ち溢れた軽やかなステップでキースのもとへと駆け寄る。もう十分、兵士達を癒しただろう、これ以上はボランティアでやってやる義務はない。
セナはというと、年の近い兵士を中心に多くの兵士達と話していた。純粋で明るい笑顔の方のセナだ。クロウ並みかそれ以上に周囲を笑顔にする才能は、完全に人間離れしている。あれだけ様になっているのに、偽りの姿だというのは信じ難い話だ。
そこでクロウは、キースとの会話を終えた大佐が少し離れた所で立ち止まっているのに気が付いた。大佐は心配そうな目つきで唇を噛みながらセナを見つめていた、何か呟いている。
クロウは思わず足を止め、文字通り大佐の方に耳を向けた。猫の聴力を甘く見ない方がいい。この距離でさらにかすれるような声であったが、ほぼ完璧に聞き取ることができた。
「セナ……まさかアデラの娘か? よりにもよってこんな任務に……」
アデラというのは、大佐の言い方からして調査員だったというセナの母親の名に違いない。しかし、「よりにもよってこんな任務に」とはどういう意味だろうか。
気になることだらけの言葉であったが、今すぐ問い詰めるわけにもいかない。もしクロウがいきなり話しかけたりしたら、あの豪胆な老人でも心臓が止まりかけない。それはいくらなんでも後味が悪そうだ。
キースかセナに尋ねようかとも一瞬考えたが、藪蛇になるのはご免だ。少し様子を窺ってからにしよう。
クロウはもやもやとした疑問を胸にしまい込むと、キースの方に再度歩き出した。
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