第16話 出発
鈍い痛みというか、不快感を感じて目が覚める。端的に言えば、寒くて起きてしまった。
時計がどこにあるか分からないので時刻は不明だが、日の出そうな雰囲気は皆無だ。まだまだ深い夜のど真ん中だろう。
セナは隣で、すーすーと小さく寝息を立てている。改めて見ると美しい顔をしている。
「美しい」などという表現しか出てこなかった自分の言語化能力に歯噛みしたクロウは、上手い表し方を頭の中から引っ張りだそうと努力した。
繊細だが、花ではないな。似た系統で表すなら蝶だ。少し触れただけで脆く崩れてしまいそうな。しかし、そんな顔から眩しすぎるほどの笑顔を振り撒いてみせるのだから面白い。
そんな風に一人納得し感嘆していたが、ちょっと冷静に考えてみる。隣で眠っている少女の寝顔について思考を巡らすというのは、控え目に言ってもかなり変態的行為じゃないか。
何らかの一線を越えてしまう前に眠りに戻らなければ、と体を丸め直してみたが、到底我慢できそうな寒さではなかった。おまけに、外から聞こえてくる犬の遠吠えが本能的な恐怖を掻き立てる。
こんな状況で寝るのは無理だ。
クロウは無音で立ち上がると、セナの所に気配を殺して近付き、彼女の毛布に潜り込んだ。
暑い、息苦しい……。
何か物凄い力で締め付けられている。
たまらず目を開けた。開けたのだが、何も見えず、顔全体に圧迫感がある。温かく柔らかいものを顔に押し付けられ、背中側から大きな力で拘束されているようだ。
渾身の力を振り絞っても脱出できない。呼吸困難で焦りが募り始め、ひたすらにじたばたと手足を動かすことしか考えられなかった。
何があったのか分からないが、最早これまでか……。
諦めかけたクロウの耳は甲高い人工的な音を拾った。震えるようなアラームの音が断続的に鳴り響いた。何の音だ?
すると、不意に拘束の力が弱まった。クロウはここぞとばかりに全身をバネのように使って抜け出す。そして転がりながら自身を拘束していたものから距離を取った。
「ん……ん~ん……」
それは詰まるような声を発しながら起き上がった。
新鮮な空気を肺に吸い込んだクロウの頭は回転を始め、適切な記憶と、それに基づく答えを算出する。
ああ、たしか昨日の夜にセナの毛布に潜り込んだんだっけか。
「あ~よく寝た、何だかいつもより暖かかったし。……ん?」
セナは自身の服に付着しているクロウの短い毛や、もがいた時に残った爪痕と、クロウの姿を交互に見てにやりと笑う。
「おい、違うぞ! お前が寒そうだったから……その……」
苦しすぎる言い訳だった。
「はいはい、何にも言ってませんよー」
セナは当然だが聞く耳を持たない。嬉しそうな様子で優雅にベッドから立ち上がると、わざとらしく体を伸ばす。もちろんその間、クロウの方にちらちらと目を向けてきた。
やめてくれ、そんな可愛い子猫を見るような目でこっちを見ないでくれ。
まだ日が昇り切らず薄暗い中、キースの車が到着した。外で待っていた二人の前に停車すると、キースが運転席の窓を開ける。
「時間ピッタリ、上出来だな。寝坊したら置いていくつもりだった」
「遅刻なんかするわけないじゃん」
セナは子供っぽい調子で抗議する。べー、と舌でも出しそうな勢いだ。
昨夜の出来事の後だと調子が狂うというか、何とも言えない感覚だった。
「分かった分かった、昨日はよく眠れたか?」
「ええ、誰かさんのおかげで」
この場で「誰かさん」などと名を伏せられても意味がないだろう。選択肢は一つしかない。
「それは良かった。ほら、時間がないんだ、早く乗れ」
キースに促されて後部座席に乗り込む。荷台に満載された物資が一部侵食してきていた。まあ、クロウには問題ないのだが、それにしたって積み過ぎだろう。これじゃあ航続距離にも影響が出る。
既に発進し始めたキースにそのことを聞いてみた。
「おいおい、人間二人と猫一匹にこれだけの物資が必要なのか?」
「いや、今回の遠征ついでに東部調査拠点への補給も行う予定だ」
「調査拠点?」
いまいち理解の追い付かないクロウに、セナが説明を引き継いだ。
「フォレストシティの外、東西南北一〇〇キロ前後離れた場所にそれぞれ基地が建造されてるの。警備局の兵士が数十名と議会の担当者が常時滞在してる」
「前線基地みたいなものか?」
「そうね、あと窓口的な役割も果たしてる」
セナの話だと、もし外部の人間との接触が起きた際に適切な対話が進められるように議会の人間が常駐しているらしい。無論、拠点まではシティからの電話回線が繋がっているため、基本的にはそこからの指示に従うが、もしものためというやつだ。
「食料や燃料、弾薬等の消耗品の補給は大掛かりな補給隊を組織するんでな、今回は医薬品や壊れた電子機器などの交換部品が主だ」
たしかに積み荷はガラスや金属の擦れる音を盛大に奏でていた。
土や砂利が踏み固められただけの道が森を這い回るように蛇行している。路面の凹凸が酷く、時折車体が大きく跳ねると、シートベルトを着けていないクロウは座席を転がってしまう。この状態がいつまで続くのか。
「心配するな、もう少しで森は抜けられる。そうすれば旧時代の道路がある程度残ってるよ」
クロウが悲痛な声を上げて転げ落ちるのが六度目を数えた時に、キースが振り返ってそう言ってきた。
言葉の通り樹々の密度が少しづつ減っていき、ほんのり明るくなった空が開ける。
その調子で進むと、小さな小屋や軍用テントで構成された検問所に差し掛かった。キースが速度を落とすと、森林迷彩服に身を包んだ兵士が一人駆け寄ってきた。眠そうな目をこすりながらあくびを噛み殺している。
「キースだな? 報告は受けてる。後ろに乗ってる子供は?」
「新人研修みたいなもんだ、許可は下りてる」
キースは手元に置いてあったファイルを兵士に手渡した。
「ふむ、そのようだな。じゃあ、そっちのふてぶてしい黒猫は?」
一体どのように誤魔化すつもりだろう。犬だったら爆弾探知犬とか色々とやりようはありそうだが、猫にそんな使い道はない。古来からネズミ捕りくらいしか期待されていないだろう。
「えーと、あの、アレだ。東部調査拠点のみんなに……癒し的なアレをするカンジだ」
何だその説明は。
「そうか、たしかに補給物資として許可は下りているな。問題ない、通っていいぞ」
よりにもよって補給物資扱いだったが、無事通過できたのだから文句は言えない。
「じゃ、気をつけてな」
兵士に見送られて森を出た。ここからがフォレストシティの外、セナにとっては初めて見る世界だ。
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