第8話 地球の今

 クロウを抱えたセナは、清潔感のある廊下をキースとともに歩いていく。窓は少なく、一切の案内標識もない。ただ白い壁に時折灰色の扉が覗くだけだ。広間や何らかの特徴ある空間には遭遇せず、ひたすら同じような通路を何度も曲がる。

 たまに白衣を着た所員らしき人間とすれ違ったが、特にこれといった反応は見せず、何事もなかったかのようにどこかの部屋の中へと消えていった。

 厳重な警備を敷かれた施設内に、猫を抱いた少女がいるのだからもう少し不自然に感じてもよさそうなものだが。

 ふと湧いた疑問をこの場で尋ねるわけにもいかず、そっと胸の内に収めた。

 階段での上下を何度か挟み、方向感覚も失われてきたあたりでキースが立ち止まる。今まで通り過ぎた扉と何ら変わらない、ただ灰色の塗装がされただけで鍵もついていない鉄製の扉の前だった。

 キースが手を伸ばしドアノブを捻ったその時、扉の中央付近、ちょうど胸の高さの一部分が裏返った、としか形容のできない挙動を見せ、液晶パネルが姿を現した。

 キースがそこに手のひらを押し付けると、一秒も経たずに鍵の開く音がする。


 なぜこんな技術があって、無線機すら存在しないのか。ますます疑問は深まるばかりだ。


 扉を開けて入った部屋はとても広かった。圧迫感のある廊下と比較しなくとも間違いなく広い。

 二階分はありそうな天井に、それに見合うだけの大きな空間、格納庫のようだ。そして、その中央に鎮座しているのは、クロウの宇宙船。それ以外には簡易的な机やパイプ椅子が秩序なく置かれている。

 セナの胸から飛び降り、急いで船に駆け寄ろうとしたが、その近くに二つの人影が見え、足を止めた。

 一つは背の高い細身の男で、もう一つは椅子に座った太ったシルエットだ。そのうちの背の高い方がクロウ達に気が付き、こちらに歩いてきた。


「君達か、随分早かったじゃないか」

「トバせばこんなもんですよ。それよりも所長、彼が」

 キースはクロウを目で示しながら、所長と呼ばれた男に答える。

 クロウは会話の様子を見上げながら所長のことを観察してみた。綺麗に整えられた灰色と白の中間くらいの短髪、これまた丁寧に切りそろえられた髭。深い皺の刻まれたその肌は健康的な色を見せている。セナと同ようにジーンズとシャツという出で立ちで、すらりと引き締まった体型も合わさって、研究者というよりは経験豊富なビジネスマンといった雰囲気を醸し出していた。

「彼がパイロットか……。とりあえず君達、座ってくれ」

 所長は周囲に転がっている椅子を人数分、クロウのも含めて引きずってくると、座るように促す。クロウは素直に飛び乗って席に着き、所長はその正面に座ると、早速切り出した。

「私は研究所所長のルーカス・ブロフィーだ。急な話で悪いんだが、君には選択してもらわなければいけない。我々に協力するか、しないか。どちらを選ぶかで少々対応が変わる。もちろん、どちらにせよ君の身の安全は保障しよう」

 温和な表情ではあるが、その言葉は然るべき威圧を含んでいる。長く大きな責任を背負い、耐え続けてきた者の声だった。

 クロウが返答する前に、その隣に座っていたセナがルーカスに抗議する。

「こういう状況でそういうのって不公平じゃない? クロウに選択肢なんてないじゃん」

 セナの言うことももっともだが、世の中とはそんなものだ。クロウが生きてきた世界はこれよりも数段ハードだ。

 セナの抗議に少々困った顔をしているルーカスのために、クロウは彼女を諫める。

「いいんだ、セナ。こんなの、当たり前のことだし、所長にも立場があるんだろう。俺は構わないから、『協力』とやらの詳細を教えてくれ」

 ルーカスは感謝のアイコンタクトをクロウに送ると、一度咳払いしてから続けた。

「どこから話せばよいものか。まあ、一言で言うのなら、地球をスタートラインに引き上げる、そのために協力してほしい」

 全く意味が分からなかった。そんなクロウの様子を横で見ていたキースがルーカスに耳打ちした。

「彼は本気で知らないみたいです。ここに来る前の会話からしても、その可能性は高いです」

 人間同士の小声の会話など、クロウにとっては大声で叫んでいるのと変わりない。どうやらケータイや無線機についての件らしい。

「何か期待しているようだが、俺は何も知らないよ。ただのしがない運び屋だったんでね。それも下っ端の下っ端、最底辺さ」

 二人は話の内容を聞かれたことに驚いていたが、ルーカスはすぐに冷静な表情でクロウに向き直った。そして、真っ直ぐに目を見つめてくる。


「くだらん牽制など時間の無駄だな。正面からぶつかる方が私は得意だ」


 少年っぽい笑顔でそう言い放ったルーカスに、キースは「ご自由にどうぞ」と小さくため息をついた。

「とはいえ、どこから始めればいいのやら。現状認識の差異を埋めないことには難しいものがあるな……」

 ルーカスは一人思索にふけっていたかと思うと、突然大きく手を叩いた。

「よし! 一から始めよう。君が地球について知っていることを話してくれ。なるべく全部だ」

 全部、か。はっきり言って面倒だな。

とは言えわがままの通る状況じゃない。クロウは言われた通り、地球について知っていることを全て洗いざらい話した。自分の認識だけでなく、一般的な地球についての認識も交えて語ったが、大した時間はかからなかった。

「っていうのが地球についての認識だな。まあ、俺は特別インテリなわけじゃないが、不勉強でもない。かなり一般の感覚に近いと思うぜ」

 そこでクロウは言葉を切って、格納庫の中を見回した。

「ここまでちゃんとしているのは……少々意外だったな。もっと荒廃しているか、全く違う姿にでもなっているかと思っていた」

「一〇〇年も経ったんだ、残飯を喰らって生きていける年月じゃない。……しかし、そういう認識か。当たらずも遠からずだが、重要なファクターが抜けているな。いや、抜かれているのか……」

 そう、クロウの今までの知識では説明のつかないことがある。

「そのファクターっていうのは、ケータイや無線機が存在しないことと関係があるのか?」

「察しが良くて助かるよ、その通りだ。君の話した地球の歴史、『地球に居住することが困難になり、人類の大半が脱出した』という、この二つの間に何かがあった」

「その『何か』ってのは一体?」

「それは……」

「それは?」

 思わず前のめりになるクロウ。ルーカスは一息溜めると言い放った。


「不明だ」


 前に行き過ぎてたクロウは、椅子から転げ落ちこそしなかったが、つんのめってバランスを崩してしまう。

「こっちは真面目なんだ。おちょくらないでくれるか」

「少しふざけてしまったのは謝るが、事実だ。何が起きたか分からないから困っている」

 ルーカスは近くに置いてあったマグカップからコーヒーをすすると、少し顔をしかめた。しかし、すぐにすこぶる真剣な表情で、またクロウのことを見つめる。

「最後の移民船団が太陽系外に消えた数分後、全ての電波機器が使用不能になった。その時点で、地球上には多少の行政機構は生きていたし、それなりの数の小国家はまるまる残存していたが、今も残っているのはいくつだろうな。それすら確認できないのが現状だ」

 広い格納庫の中、ルーカスの声だけが静かに響く。彼は自嘲めいた笑みを浮かべながら続けた。


「人間というのは長いこと連絡を取らないと、勝手な妄想を繰り広げて相手のことを歪めてしまうものだ。そして、不幸なことに地球には大量の兵器が残されていた。重たくて持っていけなかったんだろうな。それに、身の丈に合わない野心を持った軍人や、猜疑心の膨らみ過ぎた政治家もほんの少し地上に残っていた」

 脆くなった世界と人間を壊すには十分過ぎる材料だ。

「本来の持ち主すら持て余していた最新兵器での殺し合いさ。どこから持ってきたか、核だって使われた。最悪なことに、降伏しようにも伝達手段がない」

 ルーカスは両手の指を一〇本立てて見せた。

「地球脱出が決定される前に、既に世界の人口は三割ほど減少していた」


 指を三本折る。


「五千回を超える移民で地球を脱出したのは四割だ」


 手惑いながらも指を四本折る。


「残りの三割のうち、どれだけ残っているか……」

 ルーカスは力なく両手を収めた。陰る表情からは諦めに近いものが読み取れる。

 クロウは今までの話でだいぶ要領を得ていた。何を求められているのか。

「つまり、協力してほしいことっていうのは、電波の通じない原因を解明することか?」

 ルーカスは深く頷く。

「ああ。我々のように残存しているコミュニティは少しずつ発展回復を遂げているが、このままでは同じことの繰り返しだ」

 長々と話を聞いていたクロウだが、答えはとっくに決まっていた。


 たまにはヒーローを気取ってみるのも悪くない。


「いいだろう。手を貸してやる」

「そう言ってくれると思っていた。ありがとう」

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