第7話 研究所へ

 いたって真面目な表情で狂人のような問いかけをする男と、そいつと互いに見つめ合う黒猫。何がどうなったらこんな状況が生まれるのだろうか。

 クロウは地球に来てから自分に対する認識を二転三転させる必要に迫られていた。

 自分が本来「喋ることのできない生物」だと再認識したと思ったら、間を置かずに「喋ることができるのか」ということと、ほとんど同義の質問をされる。

 経験したことのない思考の使い方に苦労し、適当な返答に窮したクロウはシンプルにいくことにした。


「ああ、俺がパイロットだ」


 男は大きく口を開け唖然とする。

「まさか……本当に」

 その後に言葉は続かなかったが、男は何か納得したような顔を作った。

「よし、わかった。俺は研究所所属のキースだ、キース・ジェフリー。よろしくな」

 キースがそう言って差し出してきた右手に、クロウは抱えられながらも右手を突き出す。

「クロウだ。つい先日仕事は辞めた」

 キースは笑顔でクロウの小さな手を丸ごと握った。

「早速だが、所長に会わせたい。一緒に来てくれないか?」

「待って、私も着いてく」

 それまで、むすっとした表情でクロウ達の様子を見ていたセナが割り込んできた。

「構わないが、大人しくしていろよ」

 キースはクロウをゆっくり地面に下ろすと、温室の外へと向かった。

「二人は先に車で待っていてくれ。それと、セナ、家の電話を貸してくれないか? 所長に報告しておきたい」

 セナが了承すると、キースは小高い山の方に、セナの家の方へと駆けて行った。その近くには大型のSUVが停めてある。灰色の塗装に、角張った古臭いデザインで軍用車のようだ。

 その車を見た時、クロウの頭に小さな疑問が生じた。

「キースはあの車に乗ってきたのか?」

「ええ、それがどうしたの?」

 そう答えられ、クロウはさらに頭を悩ませた。キースの車はいかにもな軍用車両で、さぞ駆動音も大きいだろう。しかし、クロウが接近を察知できた時には予想よりもかなり近づいてきていた。

「どうしたの? 乗らないの?」

 既に車の後部座席に座っていたセナに声をかけられ、思考から引き戻される。

 まあ、特に深刻なことでもないだろう。理由が判明したところで、どうでもよい話だ。

 クロウも車に乗り込み、座席に寝転がった。目が覚めてからあまり時間は経っていないが、随分と疲れている。

 そのままの体勢で車内を見回した。一切の装飾はなく、ラジオすら設置されていない無骨な設計だ。シートの座り心地というか寝心地も良いとは言えない。

「キース、随分と話し込んでるね」

 窓の外、自分の家の方を向きながらセナが呟いた。

「そりゃ、猫が宇宙船のパイロットだったんだ。当然だろ」

 クロウは湿った体を少しでも乾かそうと、シートの上で転がりながら答える。

 そんなやり取りのあともキースはなかなか戻らず、ぶつぶつと文句を言うセナの横で、クロウも愚痴をこぼした。

「ったく、ケータイか無線機の一つも持ってないのかよ」

 クロウがそう言った直後、軽いBGMのように流れていたセナの文句が止んだ。

 何事かと思ってセナの方を見上げると、セナもクロウのことを怪訝そうに見つめていた。


「ケータイって……何?」


 報告を終えて車に戻ってきたキースに聞いても、ケータイを知らなかった。

 名称に変化があるのかもしれない、とも考えたが、そういうわけでもなさそうだった。ケータイどころか、一切の無線機器の存在を知らないようだ。

 つまり、無線機を持っていないわけではなく、無線機そのものが存在していない。ラジオも設置されていないのではなく、ラジオ事態が存在しないのだ。いや、正確にはラジオのようなものはあるらしいが、有線接続で各家庭に備え付けられているだけだという。

 ケータイに関する問答は車が走り出してからもしばらく続いたが、二人とも「知らない」の一点張りだ。

 それと、車の方の疑問はあっけなく解決した。キースが車のキーを回した時に体に伝わってきたのは小さい振動。むしろ小さすぎる。

「なんで電気自動車があるのに無線機がないんだよ」

「知るか、俺に聞くな。所長に聞け」

 クロウにうんざりするほど同じ質問をされ、キースは若干苛立ちながら答えた。

 この件については、その所長とやらに尋ねるしかなさそうだ。クロウは諦めて、窓の外に目をやった。

 セナの家を出てから、かれこれ三〇分で森を抜けた。それなりのスピードで飛ばして三〇分だ。かなりの距離があるだろう。少なくとも徒歩でどうこうしようとは思わない。

 森を抜けてもあいかわらず道路は未舗装で、小石の上を滑る音と振動が車内に伝わってくる。

 周囲の光景は一面の畑に様変わりした。クロウは農業に詳しくないため、どれが何の畑か区別できないが、様々な種類の作物を育てているのだけは分かった。

 時折、農業機械に乗って作業をする住民が確認できた。あれも電気駆動なのだろう。キースの話では、現在の地球において地下資源は非常に貴重なのだという。

 畑の持ち主の家も遠くにちらほらと見える。白壁に断熱材のような灰色のブロック、飾りすぎていない人工的なシンプルな扉、綺麗な窓ガラス。決して古いものとは言えない、とても現代的なものだ。

 それだけになぜ無線機が存在しないのか理解できない。

「あっ、クロウ見て見て! あそこがキースの家のじゃがいも畑よ」

 そのままの状態でも十分に見えるのに、セナはクロウの脇を抱えて持ち上げた。

「あんたがじゃがいも掘ってるのは想像できないね。銃構えてる方が似合ってる」

 前で運転しているキースにそう言うと、

「フォレストシティの四割は農家さ。ついでに残りの三割は工場で働いていて、さらに残りの三割はその他かな」

「『フォレスト』ってのはどういう意味なんだ?」

 キースはクロウの問いに少しの間唸ってから答え始めた。

「所長の言葉を借りれば、俺達は特定の思想に従っているわけじゃない。生きていくために研究所という機関の近くに集まっただけの、相互協力的なコミュニティでしかないからな。だから『森フォレスト』なのさ」


 あまりピンとは来なかったが、この際まとめて所長に教えてもらうことにしよう。セナもキースも、物事を尋ねるには適切ではない人物だ。

 さらに三〇分程走り、畑と建物の比率が半々になったところで、キースが車の速度を落とした。体を捻って後部座席の方に向いてくる。

「これから街に入るんだが、その前に検問がある。クロウの存在はまだ伏せてあるから、バレないようにして欲しい」

 この言いつけに、なぜかクロウではなくセナが疑問を返す。

「バレないように、ってどうするの?」

「……普通の猫らしくしてくれ」

「オーケー」

 セナはキースの指示を聞くと、嬉々としてクロウを抱きかかえた。抵抗もむなしく、シャツ越しに感じるセナのぬくもりに身を預ける。

 セナは鼻歌混じりに頭を優しく撫でてきたが、不思議と悪い気はしない。昔、同僚だったおっさんに同じことをやられた時は殺意が湧いたものだが。

 クロウは、気持ちの良い心音と体温にリラックスして眠りそうになったが、運転席からキースがニヤニヤしながらこちらを眺めているのに気付き、慌てて不機嫌そうな表情を作る。

「さ、そろそろだぞ」

 前方に車が列を作っていた。どれも地味なデザインとカラーだが、小さなモーター音を軽く響かせている電気自動車だ。

 その先頭では、道の両側に簡易的な小屋やバリケードが備えられていて、都市型迷彩服に身を包んだ数名の兵士たちが、車のトランクを開けたり運転手をチェックしていた。

 何事もなく列は進み、クロウ達の番になった。サングラスをした中年の兵士が運転席の窓を叩く。

 キースが窓を開けると、兵士は陽気な様子で話しかけてきた。

「よう! キース。所長のお使いは終わったのか?」

「ああ、まあな」

「そうか、ご苦労さん。後ろのお嬢さんは、なんかふてぶてしい猫を抱っこしてるな」

 後部座席を覗き込んできた兵士に、セナは笑顔で答える。

「えっへへ、可愛いでしょ。昨日保護したの」

「ああ、うちの婆さんも似たような猫を飼ってたな。じゃ、キース通っていいぞ」

「ありがとな」

 何事もなく検問を通過した。まあ、一匹の黒猫以外特筆すべきものは積んでいないのだから当然だろう。

 クロウは全身をくねらせてセナの腕の中から這い出ると、また窓に顔を押し付けるようにして外を見た。

 街の中はアスファルトで舗装された広い道路が敷かれ、両端には白いコンクリートの歩道が沿っている。白や灰色、もしくは薄明るい色の建物が建ち並び、その前をぽつぽつと人々が往来していた。

 クロウの感じた第一印象は、「落ち着いている」だ。

 所々に鮮やかな花や明るい緑にきらめく街路樹が植えられており、そういうものに囲まれたお洒落なカフェや飲食店もあるので、決して「無機質」ではないが、「落ち着いて」いる。蛍光色の看板やポスターなどどこにも見当たらない。

 街ゆく人々の服装を見ても、セナのような地味な労働者然としたものもあれば、それこそ花のように快活でデザインに凝った服に身を包んだ女性もいたりと様々で、まったく均一ではない。

 しかし、そのどれもが「落ち着いている」のだ。

 クロウが宇宙中を飛び回っていた頃に降り立ったいくつかの都市では、やかましいロゴやアイコンが貼り付けられた服を着た、歩く広告塔のような若者を見ないことはなかったが、この街ではそういったものは見受けられなかった。

 こんな光景はそうそう見られるものではない。惑星間企業が幅をきかせている現代宇宙では、意図的に作ろうとしなければ存在し得ない光景だ。

 一種の感動を抱きながら窓の外に釘付けとなっているクロウに、キースが唐突に話しかけてきた。

「どうだ、街の様子は? 地味だろ?」

「ああ、随分と大人しそうだな」

 クロウが答えると、隣で頬杖をつきながら退屈そうにしていたセナが口を挟んでくる。

「大人しすぎなのよ、みんな。つまらないくらいに」

 確かにセナはこの街に似合わない。宇宙船の近くに倒れている猫を連れ帰って、家で質問攻めにするような少女には物足りない街だろう。

 数分真っ直ぐ走ると、正面にひときわ大きな建造物が複数見えてきた。空高くそびえる鉄塔のようなものも確認できる。電線が繋がっているわけでもないので、無線機の存在しないフォレストシティでどのような役割を果たしているのだろうか。

「あれが研究所だ。もう一度検問があるが、こちらは素通りできる」

 かなり幅の広い道路の向こう側、頑丈そうなフェンスで囲まれた内側にも広大な敷地が広がっている。分厚そうな金属製のゲートにある検問所も、街の入口とは打って変わって、頑丈そうなコンクリート造りの建物や、土嚢に囲まれた重機関銃に守られていた。

 大勢の自動小銃を抱えた兵士達が警備をしている中、クロウ達の乗った車が近付いていく。すると、直ちにゲートが開けられた。

 敷地内は細い道路が張り巡らされ、それ以外の部分は芝生に覆われている。銃を持った兵士が数人グループで巡回していたりと、かなり警備は厳しい。

 研究所はいくつかの棟に分かれていて、ガラス張りのドームを持ったいかにもな研究施設もあったが、ほとんどは傍目には何の施設か分からないような、四角くて大きいだけの建物だった。

 キースは、そのうちの一つ、窓の少ない鉄筋コンクリートの施設の近くに車を停め、降りるよう指示してきた。


 そこでクロウは大きな選択を迫られることとなる。


 セナとクロウよりも先に降りたキースが、後ろの荷台から引っ張り出してきたのは、クリーム色のキャリーバッグ、猫を入れて持ち運ぶためのものだ。

「これから研究所内に入る。すまんが、クロウにはこれに入ってもらいたい」

 それだけはクロウにとって許容できないことだった。小さい檻に入って他人に自分の身を任せるなどごめんだ。

「何があったって、絶対にその箱に入るつもりはない」

「おいおい、頼むよ。そんなに長い時間じゃないんだからさ」

「いやだね」

 キースも食い下がるが、クロウは一歩も譲るつもりはなかった。人類社会で圧倒的マイノリティである〈喋る猫〉は、知的生命体としての権利についてはとても敏感なのだ。

 しばしの攻防の末、キースは少し考え込んでから提案してきた。

「じゃあ、箱に入るか、セナに抱っこされるか、だ。これ以上は妥協できない」

「ぐっ……」

 期待に満ちた瞳をこちらに向けているセナ。


「……いいだろう。後者を選択する」

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