第5話 質問
セナは束の間しゅんと沈んだ顔を見せたが、次の瞬間には打って変わって好奇心に満ちた笑顔になる。
「じゃあ、最初は私の番ね! えーと、あなたはどうして地球に来たの?」
やはりここは地球らしい。質問が一つ省略できた。
「色々あって遭難した。まあ急ぎの用があるわけじゃないから、さほど問題はないんだが」
海賊稼業云々は無垢な少女にする話でもないだろう。しかし、こちらから何を真っ先に聞くべきか、クロウは頭をひねる。なるべく実用的な質問が良い、と考えているうちに、かなり重要なことを思い出す。
「そういえば、俺の船はどうなった?」
「あー、あれならラボの人達が回収していったわ」
「ラボっていうと、あそこの手紙に書いてあった中央研究所のことか?」
ええ、と頷くセナ。文字通り頭を抱えるクロウ。自身が拘束されなかったのは幸運だが、面倒なことになってしまった。
セナはそんなクロウの様子を見て、可笑しそうに小さく笑った。ここが猫の辛いところだ。本気で困っている姿も人間からしたらコミカルなギャグでしかない。
「次は私の番ね。クロウは二つ質問したから、私も二つ分よ」
あまりにも理不尽過ぎる。
「初めから気になっていたのだけど、どうしてあなたは言葉を話せるの? 元から猫なんでしょ? ロボットではないみたいだし」
セナはテーブルの向かいから、ぐいと身を乗り出し、クロウのことをまじまじと観察する。本能的に顔を上げたクロウは、セナの瞳から目が離せなくなった。曇りのないそれの奥に、何かが見出せるような気がしたのだ。
少し長めの沈黙に気恥ずかしくなったのか、セナは目を逸らしてきちんと席に体を戻す。同時にクロウも催眠が解けたかのようにわずかに体を震わせた。そして、問いに対する上手い返答を思案し始める。
なぜクロウのような〈喋る猫〉が生まれたのか、というのはかなり難しい質問で、そもそも確実な正解は存在していなかった。
「あまり資料がのこされていないからな、確実なことは言えないが。どこかの医者か学者が遭難した宇宙船で一人だけ生存してしまって、寂しさが極まりそうになった時、俺達〈喋る猫〉の先祖を作り出したそうだ」
「何だか、ちょっと怖い話ね」
「ま、ほとんど都市伝説みたいなものだけどな。ただし」
ここでクロウは声色を低く変える。
「四〇年ぐらい前に銀河連邦の端っこの植民惑星に、〈喋る猫〉しか乗っていない船が突如着陸したのと、その船と同型の船が出航したのがそれよりもさらに一〇年以上前だった、というのは事実だ」
「何よ、もっと怖い話になったじゃない」
「本当の話なんだから仕方がない」
クロウはわざとらしく肩をすぼめてみる。
「うーん、二個目の質問はどうしよう」
セナが腕を組んで首を傾げている隙を突いて、クロウは料理を口に運ぶ。久しぶりのまともな食事だ、温かいうちに食べたい。
ふとテーブルの上に立ててあるシリアルの箱に視線をやると、違和感を覚えた。
形こそ見慣れた平べったい直方体なのだが、その各面には一切の装飾やアピールが存在せず、製品名と必要な情報が控えめに記されているだけだった。言うなれば戦闘糧食レーションのような梱包だ。さらに注視してみると、箱の片隅に『中央研究所』の文字。
「随分と地味なパッケージだな。ラボっていうのはシリアルまで作っているのか?」
「ええ、そうよ。大体のものはラボ製、つまんない見た目でしょ」
セナは心底つまらないものを見る目で、箱を持ち上げたり振ったりした。
「二つ目の質問はいいのか?」
「たくさんありすぎちゃって、決められなさそう。それに、クロウの方が色々と重大なんじゃないかな~、とか思って」
そう言って優しく微笑むセナに、クロウはなぜか申し訳なさすら感じる。だが、クロウにとって下手をすれば命に関わる状況なのはその通りだ。
「そのラボっていうのはどんな機関だ? 俺が捕まったらヤバかったりとか……」
「所長のルーカスさんには、私が小さい時に良く遊んでもらったし、すごくいい人よ。殺されたりとかはありえないと思う。そもそも研究所と言ったって、シリアルとか車とか何でも作ってるようなだけのところで、別に宇宙人の研究とかしてないし」
身内に優しいのは何ら人格の保証にはならない。顔色一つ変えずに敵を葬る軍人だって、家に帰れば理想のパパ、なんてのは珍しくない話だ。
「だったら、なぜ君は俺を匿ったりしたんだ? 研究所が危険な組織でないなら、わざわざそうする理由などないだろう」
少々きつい言い方になってしまったか、とクロウが気付いた時にはもう遅く、セナは若干傷ついたような不機嫌な顔をしていた。
「ちょっとクロウと話がしたかったの。ラボの人達に連れて行かれたら会わせてもらえないだろうし」
そう聞いて、安心してよいのかは分からなかったが、気ばかり焦っても仕方がない。身の安全を確保するにも、船を取り返すにも慎重を期さねばならないだろう。それに、セナの協力も不可欠だ。
それはそうと、セナの話した内容には気になることがいくつかあった。
「地球の現状について想像ができないんだが、車まで作ってるのか?」
「車くらい誰でも持ってるけど、何かヘン?」
セナはさも当然といった顔で答え、「私の家にも一台あるわよ」と壁を指さす。というより壁の外の車を示しているのだろうが、この部屋から出たことのないクロウには、家と車の位置関係など知る由もない。
「まあ、確かにそうなんだが、俺の知っている話だと、地球は一〇〇年前に滅んでいるはずなんだ」
十代そこらの少女にはショックな話か、と意を決して打ち明けた事実に、セナが動じている様子はなかった。
「その話、私にはピンとこないけど、ラボの人達も同じことをよく言ってる。でも一〇〇年も生きている人なんていないし、実感なんて持ってない」
「そうか、それもそうだな」
親はおろか祖父母も生まれていないような時代の話だ、無理もない。
クロウは食べ終わった皿にスプーンをそっと置く。対照的にセナの前には全く手を付けていない朝食が残っていた。話に夢中で食べるのを忘れていたらしい、急いでかきこみ始めた。
「ま、助けてくれたことは本当に感謝する。おかげでうまい飯にありつけた」
セナは口いっぱいにシリアルを詰め込んで膨らんだ顔で頷く。
「ゆっくり食べろよ。喉に詰まらせたって助けてやれないからな」
クロウはそう言い残して椅子から飛び降りた。
「ちょっとクロウ、どこにも行かないでよ」
「行かないよ。そんなに勇敢じゃない」
セナの、子供が親に頼むような言い方をおかしく思わずにはいられない。慣れた手つきで食事を準備する姿と、こうした子供っぽい一面の共存が奇妙でいて興味深い。
クロウはセナの視線を感じながら部屋の中を歩き回る。
一人暮らしにしては多い椅子の数の答えはすぐに見つかった。
部屋の中央付近の壁に、カーテンの陰に隠れそうな部分に数枚の写真を留めたコルクボードを認め、視線を這わせる。
輝いていると錯覚するほどの木漏れ日を作り出している紅葉の樹々、それを背景に小さな赤ん坊を抱く男女。三人全員にセナの面影を見ることができた。
そんな疑いようのない幸福を写した写真が意味することを、クロウは何となく察してしまう。
「お前、親はいないのか?」
もうちょっと気を遣った言い方があるだろう、と自分でも思う。しかし一歳前に親離れする猫には、あまり想像のしにくい問題だ。
セナは作ったように平坦な調子で答えた。
「父は一〇年以上前に、母は二年前に死んだわ」
聞いてみたはいいものの、答えに窮したクロウは曖昧に返事をした。
自ら生じさせてしまった静けさの中、もう一度例の写真に目をやる。セナの話通りなら、この男は写真を撮影した数年後には亡くなったのだろう。
死の影なんてものは全く見えないものだ。死は、いつも突然やってきて、そいつの時間を杭で打ち付けてしまう。とある過去の記憶としてしか、存在できなくしてしまうのだ。
このまま感傷に浸っていても良かったが、それではセナに申し訳なさ過ぎる。どうにか話題を見つけなければ。
「その歳の女一人で暮らすのは、大変じゃないのか?」
朝食を食べ終えたらしいセナは一息ついていた。ほんの少し前の暗い雰囲気は彼方に消え去っている。
「外に、家の発電設備を利用した温室があるの。そこでコーヒー豆を作って、ラボに売ってるわ。それだけで十分過ぎるお金が手に入るし、あまり苦労はしてないわね。何なら見てみる?」
「そうさせてもらおう」
外の様子を窺う良い口実ができた。食器を片付けているセナの足下をうろつきながら、クロウは、はやる気持ちを抑える。
「じゃあ、行くわよ」
セナが重い金属の扉を力を込めて開き、クロウは頭の通る幅が生じると同時に、彼女の足下をすり抜けた。
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