第4話 出会い
瞼に柔らかいぬくもりを感じ、クロウは目を開ける。
まず見えたのは荒い塗装の施された金属の天井。
その時点でクロウは本能的に飛び起きようとしたが、酷い頭痛とだるさのせいで思うように体が動かない。
仕方なく頭を切り替え、このままの状態で周囲を観察することにした。
クロウが横になっているのは体と同じくらいの段ボールの中で、ご丁寧に毛布が敷き詰めてある。着ていたはずのジャケットは見当たらなかった。
すぐ隣には人間用の、あまり綺麗とは言えないシングルベッド。後から断熱材を張り付けたような無機質な壁に三方を囲まれ、残りの一面は緑色の厚いカーテンで隣室と区切っているようだ。ベッドの他には、天井や壁と釣り合わない木製のクローゼットが一つ。
日光は天井付近の小さな窓から差し込んできており、傾きから推測するに昼前ぐらいだと思われた。
クロウはゆっくりと上半身を起こし、さらに状況把握を続ける。拘束されたと勘違いする程殺風景に思えたこの部屋も、細部を見ると生活感が垣間見えた。
ベッドの下には、木や紙の箱に手紙やら小物やらが詰め込まれているし、クローゼットからは服がはみ出してひらひらと揺れている。
拘束というよりは保護といった様子であるが、どちらにせよクロウの頭には疑問が浮かんだ。
捨てられた星である地球で、なぜ保護されたのか。
もちろん、地球から人間が一人残らず脱出できたとは思えないし、クロウのように地球へ漂着した者もゼロではないだろう。しかし、そのどちらも、宇宙船のそばに倒れている猫を保護する人種とは考えにくい。
そこまで考えて、一旦止めた。
人の親切を素直に受け止められなくなったら人間終わりだ、と誰かが言っていたような気もする。
頭の痛みも治まり、何とか起き上がれるようになった。物音を立てずに立ち上がり、気配を殺して部屋を物色し始める。
手始めにベッドの下から箱を引きずり出し、中に入った手紙を調べてみる。
そこで判明したのは、非常にありがたいことに文字が読めるということだった。
クロウが扱うことのできる銀河連邦標準語は、地球での覇権言語がそのまま用いられたものであるから、驚くほどのことでもないが、見知らぬ土地で知っているものに出会った時の安堵は計り知れないものがある。
読み進めていくと、次に分かった事実には驚きを隠せなかった。
『フォレストシティ中央研究所からの通知』と題され、配給や水道についてというような行政連絡が続いている。
記された日付に関しては何とも言えないが、紙の状態から見ても最近のものだった。
つまり、この近辺には何らかの統治機構が生きているということだ。
「こりゃ、すごい発見だな。研究所っていうネーミングが気になるところだが」
フォレストシティという都市に聞き覚えは無いし、研究所からの行政連絡っていうのも不思議な話だ。
独りで呟きながら、今度はクローゼットの方に近寄り、ジャンプして取っ手に捕まる。そのまま体重移動で戸を開けた。
中にはジーンズ、無地のシャツなどの地味な服、シルエットから察するに細身の女性用だろう。サイズも統一されている。
「女の一人暮らしってトコかな」
クロウはこの探偵ごっこを若干楽しく感じながら、次なる現場検証ポイントを探そうと、部屋を見渡した。
その時、カーテンの向こうで金属の軋むような音ともに、土の香りが漂ってきた。家主が帰ってきたらしい。
段ボールに戻って寝たふりで様子を見るか、それとも礼儀正しい挨拶でもするか。
しかし、そう悠長に迷っている時間はなかった。
家主らしき足音は、予想外なことに、一気に走って隣の部屋に入ると、勢いよくカーテンを開けたのだ。
「ふにゃ!」
クロウは一連の出来事に不意を突かれ、情けない声で床に転がり、本能的に体を曲げて構えてしまった。
「あー、ごめん、ごめん、びっくりさせちゃった?」
そう明るく透き通った声で謝った声の主は、わずかに少年っぽさの残る少女だった。
色の落ちたジーンズに使い古した白いワイシャツという出で立ちで、胸元までボタンを外した襟からは、若々しくハリのある褐色の肌が覗いている。
視線を上に持っていくと、ほんの少し癖のある黒髪のショートカットに、整った目鼻立ちに、クロウのことを見つめている、輝くような無邪気な瞳。
見た目で判断するのは危険だが、あまり危なそうな人間には見えない。クロウは警戒を解いて返事をする。
「いやいや、大丈夫だ。そんなことより、助けてくれたことについて礼を言いたい」
かしこまって感謝の礼をしようと少女の顔を見上げると、目の輝きが一層増しているような気がした。
その刹那、クロウは脇を抱えられ宙に浮いていた。少女と同じ目の高さ、丁度小さな子供に父親がする形で抱きかかえられている。
突然の出来事に困惑するクロウをよそに、少女は弾けるような笑顔を見せていた。
「すごい! やっぱり喋るんだ! 服を着てたから、もしかしたらって思ってたけど」
クロウは、一番重要で単純なことを見落としていたことに思い当たる。
猫は本来言葉を話さないし、二足歩行もしない生き物だ。
「うーん、でも私と同じ言語を喋るってことは宇宙人ではないのかな?」
少女は、自らの失敗を噛み締めているクロウのことなどお構いなしに、首をかしげて疑問を口ずさんでいる。
「ねえねえ、もしかしてあなた、元は人間だったりするの?」
「そんな悲劇の生物じゃないのは確かだな。生まれた時からこの姿だ」
思わず、すらすらとクロウは答えた。何だか、この少女が相手だと話しやすい。一種の催眠なのでは、と感じさせるほどに。
少女は、はっとした表情で「ごめん、ごめん」とクロウを優しく床に下ろした。
「私、セナって言うの、セナ・レイランド。あなたは?」
「正式な名は持ってないが、クロウと呼んでくれ」
セナは満足そうに微笑むと、身を翻して部屋を仕切っていたカーテンを完全に開け、照明のスイッチを入れる。
暖かい日の光に、白っぽい人工的な光が混ざって部屋を照らした。
カーテンで区切られていた部屋はキッチンダイニングになっていた。壁に備え付けられた小さめの冷蔵庫や調理設備、食器棚。非常に機能的な設計で、それとは対照的に部屋の中央は木製のテーブルと三人分の椅子が占拠していた。別の部屋へと繋がるのであろう扉と、玄関扉らしき重たそうな扉が確認できる。
セナはキッチンに向かうと、冷蔵庫を漁りながら背中越しに聞いてきた。
「朝食まだなの。あなたも何か食べるでしょ?」
「あ、ああ」
完全にペースを持ってかれてしまっているが、不思議と不安には感じなかった。こんな少女に怯えたら、それこそ元宇宙海賊の名折れに他ならないが。
「肉類は切らしちゃってるんだけど、卵は大丈夫?」
〈喋る猫〉を見るのは初めてに違いないのに、当然のように朝食をご馳走しようとするなんて、神経が図太いとかいう問題じゃないだろう。
「……人間の食事なら大概は大丈夫だ」
「うん! じゃあすぐに作るから座って待っててね。逃げないでよ、絶対」
「逃げないよ」
クロウは椅子の一つによじ登り、心地よいフライパンの音と卵の焼ける匂いを楽しむことにする。全く予期していなかった状況であるが、何であれ、まともな食事にありつけるのは良いことだ。
セナも見るからに浮かれた様子で、鼻歌混じりに朝食を作っている。時折その鼻歌が途切れたかと思えば、クロウのことを肩越しにちらりと見てきた。
その度にクロウは、逃げやしないよ、と手を振って返す。
このようなやり取りが四回行われて、五回目にクロウが備え始めた時に朝食は完成した。
クロウの前には、白い清潔な皿と、その上に滑らかな黄色のスクランブルエッグが置かれた。
「さ、召し上がれ。口に合うと良いけど。喋る猫に料理を作ったのなんて初めてだから」
「ありがとう、おいしそうだ」
小さなスプーンを受け取り、早速一口目を口に入れる。まろやかな卵の甘みとバターの風味が口いっぱいに広がった。
「すごくうまいよ。恩人の飯が不味かったらどうしようかと思っていたが、心配はいらなさそうだ」
「そう、よかった!」
セナはシリアルの箱と牛乳の瓶を両手に持ち、安堵と喜びの入り混じった表情で、クロウの向かいに座った。
クロウが朝食をせわしなく口に運んでいるのを、子供っぽい眼差しで見つめるセナは、思い出したように口を開いた。
「ねえねえ、私、あなたに聞きたいことがたくさんあるの!」
そこから質問の弾幕が続きそうになるのを、クロウは左手を伸ばして制した。
「まあ待て。質問は交互に、一つずつにしよう」
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