第3話 墜落

 始まりの星、終わった星、負の遺産。地球に関する現人類の一般的な認識はこのようなものだ。いずれも人類の罪の証としてのイメージが主で、詳しく語られることのない禁忌とされている。


 一〇〇年前の反重力機構の発明を端に発した核戦争により、人の住めない死の星となった。というのが学校で習う地球の歴史であり、人類の宇宙進出のきっかけである。逆に言えばそれが全てであるから、大人だろうが子どもだろうが認識に差異はない。クロウも例に漏れず地球について大した知識は持ち合わせていない。


 だからこそ現在の地球は想像を裏切った。無論一〇〇年も人の手が触れなければ、人間の犯した罪の跡など綺麗さっぱり拭い去られてしまうだろう。その証拠に、今現在人の住んでいるどの惑星よりも、地球は美しかった。

 着陸どころか居住すらできる惑星の発見だ。想定をはるかに凌駕する幸運に、クロウは興奮すれども、胸が躍るというようなことはなかった。

 悠然と誰かの帰りを待っていたかのようなこの星と、禁忌の地であるという認識。その両者を隔てているのは、ただの『過去』であり、『罪悪感』だというのだろうか。


 なぜ誰も「地球に帰ろう」と言い出さない。


 なぜ地図に載っていない。


 このノイズだって無関係とは思えない。

 この光景を見なかったことにして引き返すべき理由はいくらでもあった。しかし、その先に待っているのは、ボロい船を棺桶に闇の中を永遠に彷徨うという未来だけ、というのは子供でも分かる。

 クロウは意を決して船を進める。

 そんな大それた覚悟とは裏腹に何事もなく青い星は近づいてきた。スコープで地表を見たところで、何かおぞましいものが映っているわけでもない。一時間も経つころには、透き通るようでいて、果ての見えない深い青が視界を埋め尽くした。

 漂流による緊張が無駄な思考回路を生み出してしまっただけだろう、とかクロウは考えを改め始める。

 だが、船の装甲を叩くような音で、はっと我に返った。警戒心はどれだけ持っても損のないものの一つだ。

 ここは地球だ。人工衛星の残骸だとかが無数に飛び交っているのは想像に難くない。

 分かっていても、黒い爬虫類のような生物が、長い鉤爪で装甲を一枚一枚引きはがしている絵面が脳裏から離れない。

「映画の見過ぎだ、くだらねえ」

 言い聞かせるように呟いた次の瞬間、

「ぐあっ!」

 船が大きく揺れ、その衝撃でクロウは操縦席から転げ落ち、床にしたたかに打ち付けられた。

「一体全体、何だっていうんだ」

 背中をさすりながら立ち上がり、状況の把握を試みる。

 貨物室に大きな損傷。分析してみるに、ただ飛翔体が衝突しただけではなさそうだ。何か爆発したような、そんな損傷跡だ。

 だが、それについて考察している暇は無い。緊急を要する事態が進行していた。船窓から見える景色が高速回転しているのだ。しかも、目を凝らしてよく見ると、地球にどんどん近付いてる。早い話が落下していた。

 船の床に発生させた重力のおかげで、機体が高速回転している中でも平然と立っていられるが、遠心力と地球の重力の影響でそれも不安定になりつつある。

 先ほどの衝撃でスラスターは破壊されてしまっていたが、クロウは焦っていない。こんな事態の対策など大昔に考案されている。地面と衝突する前に反重力エンジンを出力させればいい。それだけだ。

 クロウはよろけながらも貴重品やその他の物をシェルターに放り込むと、自身を操縦席にシートベルトで繋ぎ止めた。エンジンにエネルギーを集中させるため重力発生装置を切る。

 途端に信じられないほどの揺れがクロウに襲いかかる。内臓が口から飛び出そうだ。

 意識が飛びそうになるのを何とかこらえた。レーダーを使えない今の状況じゃ、衝突直前の反重力エネルギー出力を、全て自分の手で行わなければならない。

 光を失いそうになる視界に、歯を食いしばって追い縋る。

 着陸地点など気にしている余裕はない。ただ、砂漠でも海でもないことは確かだ。


 両手をレバーに伸ばし、一気に引いた。


 ふっと全てが軽くなる。

 間髪入れずに、世界は重さを取り戻し、衝撃とともに地に着いた。

 これまで経験したこともない吐き気に襲われながら、シートベルトを外し、もたれかかるように船のハッチを開けて外に出る。

 地平線に薄赤い光の帯を残しながら、名残惜しそうに沈みつつある夕日。優雅な宇宙旅行で訪れたのであれば感慨深い場面であろうが、クロウにそんな余裕はなかった。

 丈の短い芝生に覆われた地面に転がると、激しく嘔吐した。脳味噌を直接殴られているような感覚はそれでも治まらない。

 クロウは胃の内容物を全てぶちまけると、意識を失った。

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