第2話 宇宙漂流

 ワープドライブについての説明は困難を極める。というよりも、高次元空間への干渉に他ならないのだから、根本的な理解は不可能だ。

 しかし、「仕組みはよく分かりません」では誰もワープなんて使おうと思わない。そこで用いられる例え話がある。「板の上の蟻」だ。

 宙に浮いた板の上を歩く蟻が、突如穿たれた穴に落ちる、というもので、ワープの原理はこのようなものらしい。二次元生物に対する三次元的干渉という仮定だ。

 落ちてしまうと目的地から遠ざかりそうなものだが、自分よりも高い次元の「方向」については観測不可能であり、距離も存在しないと同義だという。

 クロウは、そんな意味の分からない話の載っているぼろぼろのワープマニュアルを閉じた。

 かといって窓の外を見ても理解不能な空間が広がっているだけ。

 そもそも空間なのかすら分からない。一面黒い壁のように見えることもあれば、次の瞬間には白い無限の空洞になっている。平面から立体へ、空間認識の変遷とともに光の反射も変わり、青、黄、赤、緑、と光景の色も様々な様相を呈す。

「何度見てもうるさい風景だな。頭が痛くなってくる」

 そう一人愚痴をこぼしたクロウは、人間と同じ色覚能力を持っていた。人間社会に溶け込めるよう、原種の猫から変更された点の一つだ。

何はともあれ、この空間に長く居すぎれば精神に悪影響を及ぼすのは明白である。先ほど閉じた役立たずのマニュアルにも、度を過ぎたワープドライブの犠牲者がうんざりする程記されていた。考えなしの馬鹿の末路だ。

 そもそも、通常のワープドライブは事前の綿密な座標計算、空間移動とエネルギーの変換効率計算など諸々の計算、そして二回分のワープエネルギーが必要だった。

 一回分は三次元の壁を蹴破って、今クロウがいる空間に到達するため、もう一回分はそこから脱出するための分だ。

 クロウが持ち合わせていたのは最初の一回分のエネルギーだけ。目的地に関してはどうでもよかったので煩雑な計算は放棄。愛しの三次元空間に戻るためのエネルギーは絶賛充填中である。

 クロウは目をつぶって大人しくアラームの音を待つことにした。ワープ中は外部と時間の流れが異なる。最終的に経過する時間は変わらないのだが、縦波のような密度の変化が生じ、認識している時間と、実際のそれとの乖離が脳に悪影響を及ぼすらしい。宇宙船乗りに早死にが多いことの一因だ。

 甲高いアラームがクロウの意識を引き戻したのは、目を閉じてから一〇分程度経過した時だ。

 ぼんやりとした頭を振って脱出手順に移る。方法は入る時と何ら変わらない。莫大なエネルギーの放出によって空間に隙間を開け、そこから這い出るだけだ。

 また、ワープの性質上、気が付いたら石の中にいる、なんてことはありえないのでそこは安心だ。なぜなら、物質の存在する空間というのは真空空間と比較して圧倒的に安定しているため、クロウの宇宙船が生成できる程度のエネルギーでは、隙間を開けることはできないからだ。

 多少の気休めは置いておくことにして、クロウは肩を回し気合を入れる。

「せめて地図に載っている宙域で頼むぜ」

 眼前に生じた黒い亀裂、その先の誰へとも知れず祈った。


 見慣れた宇宙空間へ戻ったクロウは、まず自分の位置を確かめることから始めた。

 一番手っ取り早く確実な手段から試していく。


「とりあえずネットワーク接続」


 コクピットのディスプレイに無慈悲に表示される『接続失敗』の文字。

 辺境の宙域にはありがちなことだ。クロウは焦らず次の手を試す。


「レーダーで付近の惑星を分析、搭載アーカイブで類似データを持つ星を検索」


 今度はレーダーのノイズが酷く十分なデータが集まらない。それでも何とか体裁を整え検索にかけても『該当なし』。条件を変えてみても結果は同じだった。

 他にも考え得る全ての手を試したが、この宙域が地図にない未知のものであるという事実を塗り重ねていくばかり。

 別に、帰るべき家は持ってないし、急いで果たすべき約束などもしていない。今乗っている船だけが全財産だった。いや、積み荷の横流しで得た金を隠し口座に置いていることを忘れていた。半ば命がけで得たものだけに、かなり惜しい。

 しかし、帰る理由がなくとも、未開の地で生きていける自信はなかった。帰る理由はなくとも、帰る必要はある、ということだ。で、問題はどうやって帰るか。

 どこか人類の気配がする宙域を目指してひたすら航行するか、ワープを繰り返すか、というのもできなくはない。だが、水と食料のあるうちにそれを達成できる可能性は非常に低く、また、さっきから異常数値を各種メーターに繰り出してくるこの船が無事でいるとは思えない。

 そういう風な、無謀で、後ろ向きな希望的観測満載の博打はクロウの嫌いなタイプだ。しかし選択肢はそれしかない。

 そこで、まずは暗い展望を明るくすることにした。船をできる限り修復し、水や食料も補給するのだ。

 機体のリソースをレーダーに注ぎ込み、近くに着陸可能な惑星がないか探索する。できれば大気が有毒物質を含まず、水が沸騰しない程度の気温も欲しいところだ。そのために最寄りの恒星へと進路を向ける。


 クロウが適当な惑星を探す決断をしてから二日が経過した。

 未だに、原因不明のノイズのせいでレーダーの探知範囲・精度は著しく低下していて、クロウの肉眼と大して差があるようには思えない。

 そんなレーダーが持ってくるデータを定期的にチェックし、失望とともにゴミ箱のアイコンへとスライドさせるのがひとセット。

 知的生命体にとって大敵である「暇」については苦心しながらも対処できていた。

 まず第一に、猫であるクロウにとって『一人』乗りの船はかなり広い。機体前方の操縦スペース、その背後に、人間用の小型ベッドが二つ置けるかどうかという最低限の居住空間、そのさらに後ろには、居住空間よりは幾分か広い貨物室、という構造だ。

 まずベッドの大きさが猫と人とでは大違いだ。浮いたスペースに金庫を兼ねた耐衝撃シェルターを設置してあるが、それでもぴょんぴょん跳ね回る空間は残っている。

 一日四時間の運動を自身に課し、護身用の小口径ライフルを整備。開いたことのなかったサバイバルマニュアルを頭に叩き込み、未知の惑星に備える。

少なくともそうしている間は余計なことを考えずに済んだ。

 事態が変化したのはさらに数時間後。仮眠を終えたクロウが今後の食料配分を計算している時だった。

 目標としていた恒星に、光速で一三分二四秒のところまで接近したところでレーダーに興味深い惑星が映る。液体の水こそ無いものの、十分条件に合致する星だ。

 ほとんど奇跡と言ってもいい状況に興奮しながら、さらなるデータを収集しようとレーダーを調整する。

 しかし、ずっとクロウを悩ませてきたノイズがここにきて急激に増大し、レーダーは完全に使用不能になってしまった。原因を突き止めようと努力してみたが結果は失敗。船に問題は無い、何らかの外的要因に依るトラブルだ。

「クソッ、一体何だってんだ」

 ここまでタイミングが悪いと人為的な悪意すら感じる。世界が自分を殺しにきているような、そんな感覚。

 はっとして、クロウはその考えを頭の片隅から追いやる。


 根拠のない思い込みは命取りだ。特に宇宙船乗りには。


 一度大きく体を伸ばし、しっかりとした手つきで、スコープを使用した目視による観測へ変更する。

 惑星の表面は錆びた鉄のような赤い岩や砂に覆われ、レーダーからの最後の報告通り、液体の水は存在しない。そこまで求めるのは酷というものだ。推定される質量も、現在の人類が進出したいずれの植民惑星より小さい。

 もっと観測を続けようと、船を移動させ再度スコープを覗いた時、クロウの目は視界の片隅に、惑星の陰に、何かを捉えた。

 とても気になる何かを。

 突き動かされるように機体を全力で飛ばし、よく見える位置へと移動する。

 過負荷のアラームが限界に達しようという瞬間に、それは全貌を現した。

 第一の感想は「青」。

 液体の水に半分以上を覆われ、顔を出した陸地はグラデーションのある緑と砂地に彩られている。その上を白い雲が複雑な規則性とともに、調和を感じさせながら存在していた。

 こんな惑星はそうそう見つかるものじゃない。一目見た時に正体は想像がついた。データもそれを裏付けている。だからこそクロウも先人達に敬意を表して「青」という感想を用いたのだ。


「おいおい、こりゃあ地球じゃねえか」

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