猫の手借りてソラへ飛ぶ

福大士郎

第1話 脱走決行

 等しく視界を埋め尽くす無限の暗黒に、針先で開けた穴のような小さな光が浮かぶ宇宙空間。 

 その中を青白い光の尾を引きながら駆ける一隻の宇宙船と、それを追う船が二隻。どれも一人乗りかせいぜい四、五人乗りの小さなものだ。

 不規則な軌道で追手から逃れようとする船は、長方形の箱に羽をくっつけただけ、というような角張った単純なデザインだ。剥がれかかったオレンジ色の塗装もそれ相応と言える。

 追う側の船も大差ない。鋭角的で平べったく、一見スピードは勝っていそうに思えるが、機体後部のスラスターは時折不調を訴え点滅し、その度に前を逃げる船との差は開いた。

 こんな情けない逃走劇を繰り広げている逃亡者は、とある一匹の猫だった。比喩でも何でもなく、正真正銘の猫。

 その猫は毛並みのいい黒い短毛に覆われた小さな体を、丁度よいサイズのミリタリージャケットに包んでいる。本来は服など必要なかった。その証拠にズボンの類は履いていない。

 猫にとっては大きすぎる操縦席に二本の後ろ足で立って、もう二本の前足で操縦桿を慣れた手つきで振り回している。見た目以外は人間と変わらない様子で、おまけに口を開いて悪態までついた。

「ったく、しつこいヤロー達だな」 

 吐き捨てると同時に機体を鋭く旋回させ、追手を引き離すとともに、こちらを狙い定めていたであろうレーザーキャノンの射線から外れた。

 操縦席を覆うキャノピーには機体の状況を知らせる各種インジケーターなど、様々な情報が映し出されている。そして、その多くが緊急ではないにしても過負荷によって悲鳴を上げつつあった。

「これは、さっさと振り切らないとヤバいな」

 黒猫の表情に焦りが浮かび始める。この逃亡が決して無謀だったとは思っていないが、想定よりも船の調子が悪く、このような状況に陥ってしまった。

 打開策についてあれこれと思索していると、通信が入ってきた。発信元を分析してみるに、自分を追ってきている奴らからだ。

 おおかた投降でも要求してくるのだろうから、わざわざ応答してやる必要も義理もない。

 そう思って通信を拒否しようとした時、現状打破のアイデアが浮かんだ。賢いとは言えない一か八かの賭けだが、他に選択肢はない。

 黒猫はコンソールを操作し、スラスターの出力を低下させると、直ちに反重力エンジンの座標安定化シーケンス、いわゆるワープドライブの準備に移った。

 反重力エンジンは人類が約一〇〇年前に開発した技術で、全ての宇宙船の動力機構、さらには多くの都市のエネルギー源にもなっている。ついでに、黒猫が宇宙船内で「立つ」という芸当を可能にしているのも、この反重力機構を応用した重力発生装置だ。

 一連の操作が上手くいったことを確認した黒猫は、先ほどからうるさく呼びかけてきていた通信に応答した。

 キャノピー正面に痩せた男の顔が映し出される。何度か見たことのある顔だ。どこかの通信ルームのような背景から察するに、背後に迫っている宇宙船を中継して、どこか別の場所から通信してきているらしい。  男の頬はこけ、目はくぼんでいるが、底の見えない悪意に満ちた眼光と、几帳面すぎるほどに整えられた髪に、毎度何らかの恐怖を感じたことを覚えている。

 男はあくまでも余裕を持った、低く落ち着いた声で話し始めた。

「クロウ君、何やらお互い誤解があるようだ。一旦落ち着いて話し合わないか?」

 黒猫はクロウと呼ばれていた。自分からそう名乗り始めたわけではないが、いつの間にか付いた通り名を自分の名として使っていた。

 そして、クロウへ通信してきたこの男は、宇宙海賊の幹部だ。宇宙海賊といっても、その言葉から醸し出されるロマンなどとは縁遠い。民間の宇宙船を襲って船ごと何もかも奪うと、今度はその盗船を使って武器だとかドラッグだとかの違法貿易にいそしむ、いわば死の商人としての側面が強かった。

 せいぜい追手の船のパイロットが呼びかけてきているものだと思っていたクロウは、少々戸惑いながらも、余裕を演じて答える。

「誤解なんてないだろうよ。俺はあんたらのことはよーく知ってるし、あんたらも俺がどんな人間か、いや、どんな猫か分かってるだろ?」

 会話の調子からも分かるように、クロウは海賊に襲われた哀れな一般人などではない。むしろ、その一端を担う運び屋だった。

 日頃の薄給に不満を溜め込んでいたクロウは、先日の仕事で積荷の一部を横流しし、それが発覚しないよう鉄クズを混ぜ込んでおいたのだが、いとも簡単にバレてしまい現在に至る。

 生身で宇宙空間に放り捨てられても文句は言えない所業だった。しかし、存外男はクロウに理解を示した。

「まあ、報酬は少なかったし、ノルマが厳しかったのも事実、こちらの非は認めよう。今回の横流しの件は水に流すとして、どうにか考え直してもらえないか?」

 破格と言っていい程、割のいい条件だ。妥協に躊躇がないのも彼らの怖いところだった。利益を生むものには金を惜しまず、ならないものなら容赦なく切り捨てる。

 クロウの横流しによる損害よりも、一人の腕利きパイロットを失うダメージの方が大きいと判断したのだろう。

 まだ彼らはクロウを生かしておきたいらしい。その証拠に、クロウを死に物狂いで追ってきていた船二隻は、遠巻きに様子を見るに留めている。現在進行中の交渉が決裂するまでは手を出してこないだろう。一度目の賭けには勝った。

 もう少し時間を稼ぎたい。横目でワープエネルギーの充填率を確かめながら、もったいぶったように答える。

「うーん、条件によるな」

「そう、それが賢い決断だ」

 満足気な笑みを浮かべた男は、わざとらしく画面の前で電卓を叩き始めた。

「ノルマは据え置きで、報酬についてはこのぐらいでどうか?」

 目の前に掲げられた金額は以前の三割増し。かなり破格の賃上げだ。

「ノルマ据え置きはちと厳しいな。五パーセント減らしてくれないか?」

「ああ、構わんよ」

「いや、やっぱり八パーセント」

「前向きに検討しよう」

 この男だって馬鹿じゃない。クロウが人間だったならば、無駄な会話の引き延ばし、その意図に気づいたはずだ。ただし、この男の目にクロウは「金に目がない短絡的な獣」としか映っていなかった。

 事実、クロウのような〈喋る猫〉の多くは単純労働や人間の玩具等に従事しており、まともな教育を受けていない。自身の賃金の計算すら危ういだろう。

 クロウも物心ついた時にはダクトの清掃業者としてこき使われていた。給料らしい給料が支払われていた記憶はない。派遣先の大型貨物船が襲撃を受けた際に、猫としては物覚えの良かったクロウは、海賊にスカウトされ今の稼業へと転身した。そこで初めて多少の教育を受ける機会に恵まれたのだ。

 それについては感謝しているが、不当に低い報酬で働いてやる義理は無いし、そもそも恨みばかりを買うこの仕事からもいい加減足を洗いたい。

 クロウの雇い主でもあるこの男も、運び屋として〈喋る猫〉を採用するあたり、かなり革新的な考え、思考を持っているのだろうが、頭に染み付いた偏見までは拭い切れなかったようだ。

 エネルギー充填完了のアラームが鳴り響く。ワープ先の座標計算はしていないが、そこまでは待ってくれないだろう。ここからは二度目の賭けだ。

 ワープ操作を完了し、残り一〇秒のカウントダウンに入ったのを見届けると、クロウは満面の笑みで男に向き直る。

「わかったよ、あんたらの所に戻ろう。その前に一言いいか?」

「ああ」

 深く息を吸い込んで、一気に言い放った。


「猫だからって馬鹿にすんじゃねえよマヌケども!」


 直後にエンジンに蓄えられていた巨大なエネルギーは瞬間的に解放され、空間に亀裂が入る。

 普段生活している世界と、歪に重なり合っている別次元。その入り口が開いた。

亀裂の影響で通信は乱れ、切断されてしまった。男が今頃どんな顔をしているのか見てみたかったが仕方がない。

 クロウの船が吸い込まれるように亀裂の中へと消えると、同時に亀裂の方も消滅してしまった。残ったのは変化に乏しい黒い宇宙そらだけ。


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