02 シリンドルの行く先
タイオスを見送るともなく見送ってから、ハルディールはアンエスカに視線を戻した。
「ところで、アンエスカ。階下のあれらは、お前がひとりで?」
ハルディールが言うのは、王家の館に残っていた見張りたちのことだった。数名の僧兵たちはみな意識を失い、後ろ手で縛られていた。
「同じ神を崇める者たちですからね、殺すには少々、しのびなかったもので」
アンエスカは答えたが、それは答えになっていなかった。王子は首をかしげた。
「どうやって?」
「殿下にお話しいたしますと、また『卑劣な手段で』と言われかねませんので、あまり申し上げたく思いませんな」
「何だって?……ああ、そんなことを言ったことがあったな」
ハルディールは苦笑した。
コミンの裏路地で、店の主人から話を聞き出したときのことだ。アンエスカは短剣を店の主人の首筋に突きつけ、ならず者のように、脅しつけたのである。
あのときの騎士団長の行動に少年王子は驚いたが、卑劣だと言ったのは冗談のようなものだった。必要なことだと、判っていたからだ。
「判った、尋ねないことにしよう。あのときはすまなかった」
「謝罪などは、なさる必要はありません」
男は首を振った。
「それよりも、好機です。殿下のご帰還を知った民たちが、殿下を支持するために町に出ています。性急ではありますが、ハルディール王陛下の即位を宣言いたしましょう」
「何だって? いますぐにか?」
王子は目をしばたたいた。
「いますぐとは申しませんが、ごく近くに」
「だが、僕は成年前だ。まだ継承することは」
「本来のシリンドルの法に則れば、そうです。しかしこれは犯罪や悪用を防ぐための法ではなく、慣習を明文化しただけのようなもの」
第一、と彼は続けた。
「そうした不測の事態に混乱を治めるべき神殿長こそが反逆者。大臣たちは殺され、生き残った者はヨアフォードに尻尾を振ったという由々しき状態です。だからこそ正常に戻すべきと、殿下には安全なところで成人していただくつもりでしたが」
「僕は帰ってきた」
「
「特例を認めるのは、この場合、神殿長になる」
困惑してハルディールは言った。アンエスカは顔をしかめる。
「いまは国王不在、神殿長も不在です。あれは神殿長などではない」
「神殿長は罷免できないじゃないか」
「ええ、忌々しいことにそれもまたその通りです。ですから慣習を破っていくほかはない」
彼は息を吐いた。
「王国に王がいないというのは異常だ。他国では有り得ません。王が崩御すれば、王位継承者が成年に達していようといまいと、王位継承者がそのまま王となる。即位式などは内外に知らしめるための形式的な儀式にすぎないという考えです。ですが」
「シリンドルでは、有り得ることだ」
ハルディールがあとを引き取った。
「他国では、未成年の王に摂政がつくものとか」
「そうした例が多いようですね。我が国では、王不在の期間には摂政が代理をするという形になりますが、実質的にはどちらも同じことです」
形式だけ王となった子供か、成人すれば確実に王となる王子か、どちらであろうと実質的な決定権を持つのは彼ではなく、摂政という立場の人物だ。
「此度は、他国の例に倣いましょう。カル・ディアルは傍観でしょうが、アル・フェイルはこの交代劇に興味津々だ」
「民にではなく、アル・フェイルに知らしめるのか?」
「内外にと申し上げました。これまでは不要であり、将来的にもそうであることを望みますが、此度だけは」
アンエスカはすっとハルディールの前にひざまずいた。
「ハルディール王子殿下。シリンドル国王をお名乗りください」
「もちろん、そのつもりだ。だが……」
「何を迷うんです?」
レヴシーが口を挟んだ。
「殿下が怖れておいでなのは何ですか。神の怒り? 神が、成年前の王を認めないとでも? まさか。ルー=フィンを認めるくらいなら、〈峠〉の神も特例を認めるに決まってます」
「根拠は?」
「俺がそう思うからです」
王子の友人は真顔で言った。ハルディールは笑う。
「僕は怖れているのではない。いや、畏れていると言えるのかもしれないな。神は僕を罰しないだろうが、以前にも考えたことがあった」
罰されないからとたかをくくって何らかの行為をする、それは神を試すことではないかと感じた。
「いや……神が罰することも有り得る悪徳だと、自ら認めているということ」
「――では、『王子』のままでお話を進めますか」
「ヨアフォードが破戒をしたからと言って、僕までつき合う必要はない。僕は父の息子としてヨアフォードを処罰し、新たな神殿長を指名させ、成人を待つ」
「誰が指名を?」
「お前以外にいるのか、団長」
「騎士団長は騎士団長です。それ以上の何者でもない」
「確かにお前に権力はない。だが過去には、騎士団長が摂政を指名した例も」
「稀な例です」
「そういうのを特例と言うんだろう」
ハルディールは指摘し、アンエスカは苦い顔をした。
「こればかりは仕方ないと、僕も思う。お前が言うように、神殿長に任せる訳にはいかないのだから。誰かがやらねばならないことで、それは僕かお前かだ。言っておくが、僕に選ばせるなら、摂政はお前にする」
「お待ちください」
アンエスカは珍しくも焦ったようだった。
「私は門外漢です!」
「何を言う。父上にはよく助言をしていたじゃないか」
「ラウディール陛下が私の話などお聞きになったのは、素人ゆえの意見が目新しかったからというだけですよ。私は政治家じゃない」
「いまのシリンドルには王も神殿長も不在だと言うなら、政治家も不在だな」
年若さに似合わぬ皮肉めいた笑みを浮かべて、ハルディールは返した。
「それならお前は、誰を摂政にと考えているんだ?」
「老ウォード前団長を想定しております。彼は大臣経験者の息子ですからね。ご無事でいらっしゃればですが」
「――彼は亡くなりました」
レヴシーが答え、哀悼の仕草をした。アンエスカは嘆息した。
「ならば、確かサイドーイ殿の縁者に、適切な年代でよく学んでいる者が」
「もういい」
ハルディールは手を振った。
「お前の第一候補たる老師は亡くなった。僕の第一候補は生きている。決まりだ」
「殿下」
「声明を発してもいい。だがいますぐ王を名乗るのではなく、ヨアフォードに正義の鉄槌を下した暁に即位すると宣言する。これでいいな、摂政」
「そういうことを提案するのが摂政であるはずなんですがね」
アンエスカは口の端を引っ張った。
「よろしいでしょう。では、お若い殿下と門外漢の年寄りの共闘です」
唇を歪めて、アンエスカは了承した。
「アンエスカ。顔色が悪いのではなくて?」
心配するように言ったのは、タイオスと交替するようにクインダンの休む部屋から出てきたエルレールだった。男たちは一斉に、王女への敬礼をする。
「いくらか、強行軍でしたからな。もっとも殿下もご同様、レヴシーも疲労の極限にあるはずですが、私ばかりがそう見えるとは、年ですかな」
「休んでくれ」
王子は言ったが、男は首を振った。
「まだそのときではありません。片がつけば、いくらでも休めます」
「休むことも重要だ、と僕に説いたのはお前であったはずだが」
「私は自分の限界を知っています。失礼ながら、殿下が無茶をされるのとは訳が違う」
「アンエスカ」
気遣わしげにハルディールは、摂政として彼を支えるべき人物を呼んだ。
「何が気にかかっている?」
「シリンドルの行く先のみです」
「もう少し具体的に」
王子は追及した。
「僕に隠していることは」
「ございませんと、先ほども申し上げました」
「本当か」
「何をお疑いですか」
困惑したようにアンエスカは言った。
「クインダンらにはそのときではないと言いましたが、いますぐここで我が剣を捧げましょうか?」
半ば剣を抜きつつ、騎士は言った。ハルディールは片手を上げ、首を振る。
「彼らをとめておいて団長だけがという話もないだろう。だいたい、剣の誓いの有無など、僕のお前に対する信頼の指針にならない」
誓おうと誓うまいと信じるのだ、と少年王子は言った。
「だがお前は、僕を信じていないな。言うな、判っている。お前は信じようとしてくれている。それは僕の資質をだ。いま現在の僕については、いまだ幼いと危ぶんでいる」
ハルディールは息を吐いた。
「だから、お前が僕に告げるべきではないと考えることがあっても致し方のないことなのだ。僕は知っておきたく思うが、聞いたところで何もできぬ、何も変わらぬ、或いは物事が悪くなるとお前が判断しているなら」
致し方ない、と彼はまた言った。
「敬愛すべき王子殿下」
アンエスカはひざまずいた。
「お聞きください。我が剣は〈峠〉の神と、神に認められしシリンドル王家のものだ。〈峠〉の神シリンディンに誓って、このシャーリス・アンエスカ、ハルディール様の御為にならぬことはいたしません」
彼は真摯に言ったが、結局は同じことを繰り返しているにすぎなかった。
告げるべき隠しごとなど、ないと。
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