03 すぐに戻ります

「いいだろう」

 少しのののちに、ハルディールは呟いた。彼は本心から「もうよい」と思うのではなく、アンエスカが何かについて黙っていることは確信さえしていたが、いまだ騎士団長に語るつもりがないと判ったのだ。

「魔術師が問題でないと言うのなら、やはりルー=フィンか」

「そこも問題ありません」

「何だって?」

 王子はまばたきをした。

「タイオスはルー=フィンが負傷したのではないかと言いましたが、私は、彼がヨアフォードの指示を受けに戻ったものと考えています。我らがヨアティアを捕らえたことで、命令も変わりましょうから」

 シリンドレンの息子は、死ななかった。瀕死ではあった。どうすると、タイオスはハルディールに問うた。王子は迷ったものの、殺せとは言えなかった。

 アンエスカがそう命じるのではないかとハルディールは思ったが、彼もそうは言わなかった。自分の意向を尊重したのだろうかと王子は考えていた。

 積極的に殺さずとも、そのまま放っておけば死んだだろう。

 だが、それは結局、意図して殺すのと同じことだ。少年は悩んだ末にヨアティアを館に運ばせ、治療を受けさせた。その上で死んだのであれば仕方のないことであったが、神の恩寵か気まぐれか、ヨアティアは生き延びた。

「と言ったところで、あまり時間は置けない」

 アンエスカは考えた。

「殿下、ご即位の際の演説をお考えになっていてください」

「そのような、呑気なことを」

 ハルディールは顔をしかめた。

「大事なことです。それに、何かを考えていれば、お気持ちも紛れますでしょう」

「紛れさせてどうする。いまは、ほかにも考えなければならないことがたくさんあるだろう」

「戦うことは、われわれが考えます。殿下はどうか、平和になったあとのことを」

「お前たちにばかり任せていては、シリンドル家の名がすたる」

「殿下」

 騎士団長は息を吐いた。

「失礼ながら、申し上げます。殿下には訓練が不足されております。最終的な決定は殿下よりいただきますが、計画と遂行は、我らにお任せを」

「不足、か」

 王子は息を吐いた。

「僕にはまだ、何もかもが、早すぎたという訳だ」

「ですが、ご即位はしていただきます」

 そのための演説を――と彼は繰り返した。少年は渋々と同意した。

「エルレール殿下がお上手ですからご相談ください。お決まりになりましたら、畏れながら私が確認いたします」

「クインもなかなか弁が立ったな」

 レヴシーが言った。

「町びとたちを前に、けっこう決まってた」

「彼は?」

「お医者様の薬が効いて一旦は眠ったけれど」

 エルレールは心配そうに両手をもみ合わせた。

「意地でも深く眠るまいと思うかのよう。すぐに目を覚ますわ。休んでほしいのに」

「彼も騎士だ。まだ休むときではない、という思いが強いのでしょう。ですが、あの状態では休むほかない。私からも言います」

 団長が宣言すれば、王女はほっとした。

「どうか、ハルディール殿下とご相談を」

「承知したわ」

「俺は?」

 仕事を命じられなかったレヴシーは、心配するかのように団長を見た。

「まさか待機とか言わないよな?」

「負傷していない騎士を休ませておくような余裕はない」

 アンエスカはそう答えた。

「殿下方の身辺警護だ」

「それはもちろん、警護はするけど」

 団長は、と少年はアンエスカを見た。

「私は出てくる」

「どこに?」

 驚いてレヴシーは、もっともな問いを発した。

「この館に、そう長く立てこもってはいられない。民たちも見ていたであろうし、殿下方がこの館にいらっしゃることはすぐに知れる。ヨアフォードが息子の命を重んじるかどうかは判らないが、まさかわれわれが彼を人質とする訳にもいくまい」

 息子の命が惜しければ兵を引け、などとやるのは、「正義あり」とする側の選択とは言いづらい。

「ヨアティアのことは、しばらく放っておいてよいだろう。ミキーナが献身的に介護をしているが」

 エルレールのふりをさせられた娘は王家の館に残されたままだった。アンエスカに彼女を捕らえる気はなかったが、ミキーナはヨアティアの負傷を知り、ヨアフォードの息子を看ると言って聞かなかったのだ。

「治療が功を奏しても、普通に動けるようになるには時間がかかるはず」

「そのことよりも」

 ハルディールは顔をしかめた。

「レヴシーの質問に対する答えは? つまり、お前はどうするつもりなんだ」

「決着を」

 短く、アンエスカは答えた。

「ヨアフォードはおそらく、神殿でしょう。まさかこちらから乗り込むとは、思っていないかと」

「ちょ、ちょっと待った」

 レヴシーは両手を上げた。

「我らが団長殿。まさか、それが『計画』?」

 少年騎士は追及した。

「まさか、暗殺者の真似事ですか?」

「そのような言い方をするな。外聞が悪いではないか」

「アンエスカ」

 ハルディールはしかめ面をした。

「それは、駄目だ」

「殿下」

 男は眉間にしわを寄せた。

「暗殺に暗殺で返す、ということをお気に召さないのは判ります。ですが、戦では将をやってしまうのが一番だ。それを避けるのであれば、僧兵らをひとりひとり斬り殺していかなければならなくなります。それもまた殿下のお望みではありますまい」

「確かに望まない。彼らとてシリンドルの民なのだということ、先ほどの件でよく判ったのだから」

「どちらかを採らねばなりません」

 アンエスカは言った。

「そういうことを言っているのでもない」

 王子は手を振った。

「お前が危険を冒すということじゃないか」

「誰かがやらねばなりません」

「しかし……」

「ご心配なく」

 騎士団長は片手を上げた。

「いますぐ侵入して暗殺をなどとは思っておりません。神殿の様子を探ってくるだけのつもりです。すぐに戻ります」

「それはどうなのかな、アンエスカ」

 王子は胡乱そうに彼を見た。

「お前のことだ、そんなふうに言っておきながら戻ってきたときに『やむなく、予定とは異なる手段を採ってまいりました』などと言いかねない」

「私が初めから騙すつもりであるとお考えとは」

 情けない、とアンエスカは息を吐いた。

「では、お約束いたします。警護の様子をうかがうのみにとどめ、神殿そのものには五ラクト以内に近寄ることをしないと」

「十ラクトだ」

「では、七ラクトで」

「商品を値切っているんじゃないんだから」

 レヴシーが苦笑した。

「すぐに戻ります」

 それをきっかけに、アンエスカはもう一度そう言うと、ハルディールの反論を切り上げさせた。

「少しの間、殿下方を頼むぞ」

 騎士団長は最年少騎士に顔を向けた。

「あれ? でもそれじゃ」

 少年は心細そうな顔をした。

「俺、ひとり?」

 クインダンは動けず、タイオスも不在。僧兵たちは階下におり、ハルディールに忠誠を誓いはしたものの、いざというときにどれほど頼れるものかは判らない。

「自信がないか?」

 アンエスカは片眉を上げた。

「そっそんなことはないけどさ」

 慌ててレヴシーは胸を張った。アンエスカはかすかに笑った。

「お前が頼りだ」

「よっしゃ、任せといてくれよ」

 最年少の自分に団長が王子と王女を任せてくれた、それは少年にはとても誇らしいことで、彼は不安を抑えて両の拳を握った。

 だが彼は、誇らしさと同時に、奇妙な感覚を抱いた。

 いつも少年を叱責してばかりの団長が、どうして突然、こんなふうに言うのかと。

(どうしても、何も)

(いまは……俺しかいないんだから、それだけさ)

 団長の背を見送りながらレヴシーは首を振った。心に浮かんだ、不吉な感覚を振り払うべく。

(俺たちの団長は、死んだと言われながらも遠くから帰ってきたじゃないか。ちょっとばかり神殿を見てくるくらい)

 どうってことないはずだ、と思った。

(不安になってるだけだ)

予感フェルシーなんてものじゃ、ない)

 少年騎士は湧き出してくる不安を振り払おうと頭を振り、神の加護を祈る仕草をした。

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