06 私たちのシリンドル

「ならだいたいの概要は掴めてるだろうが、奴らは俺を信用してる訳じゃない。ヨアティアもそうだ。金で買える戦士、という印象は抱いてくれてるままだが、わざわざシリンドルくんだりまでやってきたことを不審にも思ってる。まさかクソ眼鏡……じゃない、アンエスカを『殺した』俺がハルや当のクソ禿げと組んだとは思っていないが」

 タイオスは語り、エルレールは目をしばたたいた。

「ん?……ああ、失敬。王女様の前で使う言葉じゃなかったな」

 男は苦笑して謝罪の仕草をした。

「アンエスカ殿と組んだと思っているはずはないが、様子を見ようと考えている感じだな。王女殿下の護衛なんてのは重要任務のようでいて、同時にほかにもいる僧兵の見張りが、殿下だけじゃなく俺の見張りも兼ねる」

「秘密の通路は容易に使わないように、とのアンエスカの言葉よ」

 エルレールはそっと呟いた。

「この部屋にそんなものがあることは知られていないから、こっそり逃げだそうとすれば簡単よ。でも万一、逃げ延びる前に捕まってしまったら、そうしたものの存在を疑われるわ」

 そうなれば、救出は難しくなる。万全を期して準備が調うまで通路のことは忘れるようにと、彼女の父王の側近は言ったのだった。

「それまで護衛をつけるから、と」

「その話は、いつ?」

「昨日のことよ」

「あの眼鏡野郎め」

 タイオスは低く声を発した。

「俺が連絡を取ったのは今朝だってのに。俺がハルを連れてやってくることも、やってくる時期もお見通しって訳か。腹の立つ」

 ぶつぶつと彼は言った。

「ハル、というのはハルディールのことね?」

「ああ、これまた失敬。弟君に勝手な愛称を」

 長ったらしくて、と戦士は言い訳した。エルレールは笑う。

「あの子がハルなら、私はエル?」

「まさか。王女殿下を呼び捨てになんかできませんや」

 タイオスは頭をかいた。

「まあ、俺はいい加減な戦士のふりして、あちこちうろつくつもりでいる」

 彼はそんなことを言って、手をひらひらさせた。

「ひとつ訊きたいんだが、いいか」

「何なりと」

「気になってるんだが、町憲兵隊はどうしてる?」

「何ですって?」

 王女は目をしばたたいた。

「つまり、どちら側について治安維持をしてるかってことだ」

 ヨアフォードに押さえられているのか、町びとを守る位置にいるのか、戦士はそれを聞いておきたいと思っていた。軍隊はないという話だが、町憲兵であれば日々訓練をしているはずだ。味方であれば頼もしく、敵であれば厄介。

「――ああ。町憲兵」

 王女は判ったというようにうなずいた。

「シリンドルには、他国で言うような町憲兵という存在はないのよ」

「は?」

 今度はタイオスが目をしばたたいた。

「んな阿呆な。……っと、失礼」

 慌てて彼は謝罪の仕草をしたが、呆然とした。

「いない? それじゃ、犯罪の取り締まりは」

 まさか騎士団がやっている訳でもあるまい、と戦士は思った。

「自警団はあるわ。成人した若者が、持ち回りで町や国境を見回るの。犯罪は滅多に起こらないけれど、起きれば神殿で裁くわ」

「はあ」

 まるで、鍵をかける風習もない田舎町だ。

(本当に)

(小国なんだな)

 これまでに繰り返し思ったことを戦士はまた思った。

「まあ、ないならないで、いいか」

 味方にはならないが敵にもならないということだ。

「それじゃ問題は、僧兵だけかね」

 彼は考え直すことにした。

「――シリンドルの民同士が、争うことになるなんて」

 エルレールはうつむいた。タイオスは、自分はシリンドル人じゃないが、などと軽口を叩くのは避けたが、王女の呟きに気づかなかったふりで続けた。

「俺を警戒してる僧兵とも仲良くやるふりをする必要がある。だがシリンドル生まれの本物の僧兵以外は、放浪戦士上がりのようだからな。どうして同じ立場のはずの俺が僧兵としての忠誠を要求されずに仕事をもらっているのか、と反感でも買ったら、ちょいと面倒臭い。こういうのは交渉次第なんだがねえ」

 肩をすくめて、彼は続けた。

「場合によっちゃ連中の前で、俺の実情以上に品なく振る舞ったりすることもあるかと思う。だが、品性下劣などとは思わんでほしい」

「そのような勘違いはしないと約束するわ」

 王女は片手を上げた。今度はタイオスが笑う。

「気軽に約束をする姉弟だ」

「ハルディールが何を?」

「俺なんぞに、金貨を三百枚も払うと」

「まあ」

 彼女は目を丸くした。戦士はひらひらと手を振る。

「ハルはその気でいるようだが、俺はそこまで要らんよ。ヨアティアから二百五十もせしめたし、もう、無料奉仕でも釣り銭がくるくらいだ」

「シリンドル国の王子が払うと約束をしたのなら、きちんと払うわ」

 真面目な顔で王女は言った。やめとけよ、とタイオスは首を振る。

「どうしても払わなけりゃ気が済まないと言うのだとしても、この混乱が治まり、国が元通り、いや、それ以上に潤ってどうしようもなくなってからにすればいい。そうなったら、ちっとばかしは受け取るさ」

 その言葉に、エルレールは顔を曇らせた。

「うん? どうした」

「――シリンドルが以前よりも潤う。それは、ヨアフォードの考えていることよ。ハルディールが王位に就き、国が元に戻れば、それ以上の発展はないの」

「おいおい。そりゃ悲観的と言うか、その、何だ」

 タイオスは言葉を探した。エルレールは首を振る。

「現状維持。ヨアフォードはそれを馬鹿げていると思っているわ。峠の通行権を巧く使えば、いくらでも富むのだと。でもそれは……私たちのシリンドルではない」

「ううむ」

 戦士は両腕を組んだ。

「俺の感性じゃ、富めることは基本的にはいいことだと思うがね。だが貧乏なんてのは金持ちがいるからできるもんであって、みんなが同じだけ持ってて不満がないなら、大国に比べて貧乏でも……かまわんのかな」

 ううむ、と彼はまたうなった。

 彼の感覚では、金はいいものである。金が全てではないが、ないよりはあった方がいい。

(しかし、あんまりありすぎても)

(……確かに困る)

 ヨアティアからの金貨は多くを宝石に換えてあるが、大半はシリンドル国に返すつもりでいた。アンエスカがうるさそうだからだ。

 楽な暮らしは理想だが、働く動機がなくなってしまっても、自分は駄目になりそうだと思っていた。

 彼の望む平穏な暮らしは、自堕落な生活と同じではない。

「まあ、貧窮にあえぐ、とまでいかなければ、それもいいんじゃないか」

 タイオスは曖昧なことを言った。

「何しろ神様の国だ。清貧というやつが似合う。うん」

 とってつけたような台詞だったが、エルレールは特に不快には感じなかった。タイオスが寄り添おうとしてくれていることが判ったからだ。

「タイオス。あなたは、〈峠〉の神について何をご存知?」

「何って……山の神様の親戚で、シリンドルの守護神だとしか」

「そう。その通りよ」

 巫女になる少女はうなずいた。

「〈峠〉の神はシリンドルを守っている。だから、我が国に悪いことは決して起きないと……」

「信じて、いた?」

 慎重にタイオスは尋ねた。エルレールは黙った。

「悪かった。いまのは」

「――いまでも信じていると言ったら?」

 王女は呟いた。

「それは……どういう」

 タイオスは戸惑った。

 彼女とハルディールの両親が殺され、邪な神殿長が自らの言いなりになる若者を王に据えようとしている。彼女は、これが「悪いこと」ではないと言うのか。

「〈峠〉の神が、お父様やハルディールより、ルー=フィンを王に選んだのであれば。それは、シリンドルに悪いことではない、ということになる」

「……おいおい」

 戦士は困惑した。

「ハルにも言ったがな、そういうのは狂信の一歩手前と言おうか、ええと、やばい考え方だぞ」

「どうして?」

 エルレールは首をかしげた。

「私は、ずっと〈峠〉の神を信じてきたわ。あの日からは、絶望を覚えることもあった。神はシリンドルを見放したのかと思ったこともある。でも、〈峠〉の神はいつでも峠にいるのよ。シリンドルを見守っているわ」

「それは見守ってるだけなんだろう」

 タイオスは言った。

「伝説みたいに、神様が降臨するってこた、ないんだろうよ。ただ、神様がそこにいるってのと悪人が罰されないってのは、決して同一線上の話じゃないと思うね。俺ぁ神学には詳しくないが、八大神殿の神官たちは、悪事がなくならない理由を神様がいないせいだとはもちろん言わないだろうが、悪人が実は正しいんだとも言わないはずだ」

 たどたどしい調子でタイオスは述べたが、そのようなことはエルレールも判っているはずだった。

「あー……その、何だ」

 彼は言葉を探した。

「まあ、後ろ向きなことを考えるのはやめとけよ。この前はちょっとうっかりしただけで、今後は神様も反省して、お前さんやハルを守ってくれるさ」

 探した挙げ句に出てきたのはろくな言葉ではなかった。両親を亡くした娘に「神様のだ」はないだろう、とタイオスは気づいたが、言ってしまったものは仕方なかった。

 エルレールは軽く目を瞠った。だが彼女は、たとえタイオスの言葉に憤ったとしても、大人の態度でそれを見せなかった。

「何であれ、ハルディールが守られない理由はないはずだわ。――あの子は?」

「無事だ。誰も彼もが王子様に『カル・ディアでおとなしく時を待て』と言ったが聞き入れず、金目当ての流れ戦士が勝手に依頼を受けて、シリンドルまで送ってきた」

 タイオスはにやりと笑った。

「もうアンエスカと合流してるだろう」

「よかった」

 少女は胸をなで下ろした。

「もうひとつ、いいかしら」

「何でもどうぞ」

「〈白鷲〉は?」

 その問いにタイオスはぐっと詰まった。

「……いない」

 彼はそうとだけ答えた。

「ハルはそいつを見つけられなかった」

「……そう」

 少女の心によぎったのは、それではやはり、〈峠〉の神はこれをシリンドルの危機だとは考えていないのか、というような疑念だった。だがエルレールは繰り言を口にはしなかった。

「いない誰かを求めても仕方がないわ。シリンドルには、立派な騎士が三人もいる。充分よ」

 そう言って、王女はまっすぐ、前を見た。

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