07 雇われ戦士なんて使い捨て
男は渋面を作った。
少年は、まっすぐにそれを見た。
「まず、僕に言うことがあるな、アンエスカ」
「ございますとも」
うなずいて、アンエスカは答えた。
「私は、カル・ディアで時節を待つよう、殿下に申し上げたはずですが」
「その話じゃない」
ハルディールは相手の言葉を遮って手を振った。
「僕が、お前の合図に気づかなかったら? アンエスカは死んでいない、と言い立てたらどうなったと思っているんだ」
「タイオスがルー=フィンに殺されたくらいでしょう」
肩をすくめて男は応じた。
「私は追われたやもしれませんが、もとより、それは想定の上でしたから」
「お前は、タイオスが殺されても何とも思わなかったのか? 彼は危険を冒して、お前の殺害を偽装したのに」
「報酬はヨアティアから得たのでしょう。多すぎるほどのものを」
第一、と眼鏡の位置を直しながら男は言った。
「私が依頼した訳でもない」
その台詞にハルディールはアンエスカを睨んだが、ふと首をかしげた。
「そう言えば、どうしてまた眼鏡を?」
「眼鏡をかけた私を見たヨアティアは軟禁中で、ルー=フィンや僧兵たちは、ほとんど見ていません。ぱっと見の変装としては、まだ役に立つでしょうから」
そう言ってアンエスカは眼鏡を外すと、鼻の頭を押さえた。
「この辺りが痛くなるので、どうにも好かないのですがね」
「どうせいまに必要になるんだから、慣れておいた方がいいですよ」
言ったのはニーヴィスだった。アンエスカはじろりと元騎士を睨んだが、特に何も言わなかった。
「もっとも、いつまでも隠れてはいられません。ただ、言いたくはありませんが」
男はまた渋い顔をした。
「タイオスとの連携が必要です」
アンエスカの生存が知られれば、タイオスの騙りも知られる。タイオスがハルディールを守ってここまでやってきたと知られれば、アンエスカ殺害は嘘だと知られる。どちらも長く続けられる演技ではないが、片方の決断は片方に影響を与えるのだ。
「アンエスカ。タイオスは僕によくしてくれているんだ。今後は、彼の安全にも気を使った行動を」
「雇われ戦士なんて使い捨てです」
「何てことを」
王子は抗議をしようとしたが、男は片手を上げてそれを制した。
「彼自身、そう考えています。使い捨てられながらも生き延びるのは一種の才能でしょう。私は、彼のそこならば買ってもいいと思っています」
限定的ながらも初めてアンエスカの口からタイオスを認める言葉が出たことに、ハルディールは目を瞠った。
「殿下。どうやって彼が私に連絡を取ったか、ご存知ですか?」
「いや……タイオスが戻ってくる前に、あの店の男がやってきたから」
部屋に現れた見知らぬ男に、ハルディールは驚いたものだ。
男はアンエスカの書状を持ち、一緒にシリンドルへと言った。タイオスはもう、向かっているからと。
間違いなく知った男の手蹟であると気づいたハルディールは戸惑いながらもそれに従い、問題なく国境を越え、小さな酒場〈古柳の根っこ〉亭の地下に案内されて、アンエスカと再会した。
そこはヨアフォードと僧兵らに抵抗を続ける一団の隠れ家にもなっており、アンエスカは彼らの手を借りて情報を集めつつ、次の手を練っていたとのことだった。
「だが、国境付近でどうやって連絡を取るか、お前たちで決めていたんだろう? だから彼は、僕をひとり置いて先にシリンドルへ向かった」
「決めていた、と申しますか……」
アンエスカは言い淀んだ。
「私はですね、殿下。フリートの町には〈水色の釣り針〉という、世にも不味い飯を出す食事処がある、という話をしただけです」
「何だって?」
少年は目をしばたたいた。アンエスカは、店の名を告げただけだと言ったのだ。そこに連絡をしろとも何とも言わなかったと。
「どうしてそんな半端なことを? まだ、タイオスを信じていなかったのか?」
「
言葉を濁すこともなく、彼は認めた。
「私を討つ依頼を受けた男です。殿下の情報は売らなかったとしても、店の名前くらいなら売ったかもしれない」
詳細が判らなければ売るには向かない。だから具体的なことを言わなかったのだ、というのがアンエスカの言だった。
「依頼を受けたと言うが、あれはヨアティアたちを欺くための演技だったと知っているだろう」
「その演技力をこちらにも向けなかったと、どうして言えますか?」
アンエスカはあくまでも主張した。
「もういい、アンエスカ」
ハルディールは手を振った。だが言葉と裏腹に、彼は苛ついたのでもなければ、腹を立てたのでもなかった。
「お前はタイオスを信じていたんだろう。だから、彼の判断に任せた」
王子はにっこりと笑ってそう言った。
「まさか」
ふん、と男は鼻を鳴らした。
「偶然や、幸運というものは馬鹿にならないと申しますか、或いは天が殿下に味方していると思う辺りです」
「……お前たちはどちらも素直になって、互いを信用していると言えばいいのに」
ハルディールは呆れた顔をした。タイオスがいれば、やはり「まさか」と言っただろう。
「ともあれ、お戻りになってしまったものはどうしようもありません。いまからまたカル・ディアにお送りする訳にもいかない。事態も、急変しておりますし」
「急変だって」
王子は表情を引き締めた。
「聞かせてくれ。全て」
「お話しいたします。但し今度こそ、お約束を」
アンエスカは片手を上げた。
「私には、殿下に何ごとも命じる権利などはございません。しかしながら、ここから先はこのアンエスカの言葉に従っていただきたい」
「可能な限り、そうしよう」
「そのお言葉では、これまでと変わりありません」
男は首を振った。
「〈峠〉の神にお誓い下さい」
「そこまで要求するのか?」
ハルディールは顔をしかめた。
「そうしていただけないのでしたら、私はやはり、どうにかして再び殿下をカル・ディアへ」
「判った、判った」
王子は降参するように両手を上げた。
「この国の王子であるというのに、重要な局面で遠くへ追いやられるのはご免だ。アンエスカ、僕は〈峠〉の神に誓って」
彼は片手だけを下ろし、宣誓の仕草をした。
「お前の言葉を尊重すると誓おう」
「……殿下。ですから、それでは同じですと」
眼鏡の男は頭痛をこらえるように額に手を当てた。少年は首を振る。
「ここまでだ。それ以上のことは言えない。何しろお前のことだ、誓いましたねと言って、さあカル・ディアへ戻りなさい、などと言うかもしれないじゃないか」
「そのような詐欺は働きません。これからは荒事になる可能性が高いのです。私の指示に従っていただかないと、殿下ご自身だけではない、あなたを守ろうとするほかの者が不要な負傷をしたり、命を落とすことになりかねない」
「危険な状況でお前たちの指示を疎かにしたりはしないさ」
「かっとなると、訓練を積んだ人間であっても、何をしでかすか判らないものです。あなたは訓練を受けていらっしゃらず、お若くもある。命令、禁止、強いものの力で冷静さを取り戻していただく必要のある場面が訪れるやも」
「そのときはそのときで、『尊重する』ことをきちんと思い出す」
ハルディールは再び片手を上げて言った。
「僕を信じろ、アンエスカ」
「信じております」
彼は息を吐いた。
「致し方ない。その誓いで満足せざるを得ないようですね。その代わり、くれぐれも」
「忘れないさ」
少年ははっきりとうなずいた。
「では、お話しいたしましょう。もっとも、私も戻ってきたばかりですから、聞きかじりにすぎないことが多い。誤りがあれば、彼が正してくれるでしょう」
「お任せを」
言われた元騎士は男に敬礼をし、改めて王子に礼をした。
「ニーヴィス……だったな」
少年はゆっくりと長身の元騎士を眺めた。
「はい。〈シリンディンの騎士〉の座から退いた愚か者ですが、私の手でもお役に立てることができればと思い、アンエスカに協力させてほしいと頼み込みました」
「有難い。本当にそう思う。だが」
ハルディールは懸念を顔に浮かべた。
「奥方は、大丈夫なのか」
「念のためにシリンドルをしばらく離れるよう、言っておきました。――私の決意を知っていますから、妻も覚悟は決めています」
「覚悟だと。何の覚悟だ」
王子は顔をしかめた。
「お前が死ぬ覚悟か。それとも、お前のために奥方が危ない目に遭う覚悟か。ニーヴィス、僕は騎士を退いた者にまで、そんな
「お気持ちは嬉しいですが、殿下。まさかここで『はい、それでは自分たちは安全なところにいます』とは言えませんよ。妻にも捨てられかねない」
笑ってニーヴィスは答えた。
「王女殿下の安全は確保されていますから、まずはクインダンとレヴシーの救出から考えましょう」
「救出だって。では、やはり捕らわれて……」
ハルディールは顔色を青くした。
「そう、そこからはじめなければなりませんな」
アンエスカは厳しい顔を作った。
「まず、彼らはいま現在、生きています。ですから、取り乱すことなくお聞き下さい」
そう前置いてから彼は、少年の友人と師匠たるふたりの騎士、そして少年の姉王女がヨアフォードの手に落ちていることを語った。だが支度さえ整えば、エルレールを助けることはすぐにでもできることも伝え、王子を少し安心させた。
「あのときは驚きましたよ」
少年王子の気持ちを軽くしようとばかりに、ニーヴィスが笑ってみせた。
「王女様をお助けできないかと、話に聞いていた秘密の通路を探していたら、その入り口の前でアンエスカにばったりですからね」
「神の思し召しだな」
アンエスカも少し笑うように唇を歪めた。
「おかげでニーヴィスがヨアティアを退治できた。私では、そうそう一撃で昏倒させ得たか判らない」
「またまた」
ニーヴィスは苦笑した。
「花瓶を振るうことくらい、できるでしょうに」
「ヨアティアを退治だって? 先ほど、彼が軟禁中だと言っていたようだが、どういう事情だ」
「それは」
アンエスカは真顔を取り戻した。
「ニーヴィスが間に合いましたので、騒がれませんよう」
また前置いてから男はヨアティアの動物並みの行動について語り、ハルディールは怒りで顔を赤く染めた。
「何ということを。叩き斬ってやりたい」
「殿下、それはクインダンがやりますよ」
元騎士は意味ありげな笑みを浮かべて言った。王子は首をかしげたが、騎士に任せろという意味にとって、仕方なくうなずいた。
「ともあれ、彼らの救出と、ヨアフォードを筆頭に、彼に与した者の処罰。それを早急に進めなければなりません」
アンエスカの言葉にハルディールは真剣にうなずくと両の拳を握り締め、これから続くであろう混沌を意識した。
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