03 俺の命は俺の命

 王子が体力を維持できるだけの範囲で、彼らはケルクを飛ばした。

 ハルディールの〈コラーレ〉号はあるじのことをよく知っていつでも従順だったが、〈イルシア〉号はその主と同じくタイオスを好かないようで、よく反抗した。しかしハルディールが声をかけるとおとなしくなり、タイオスは、そんなところまで乗り手に似なくてもいいだろうにと乾いた笑いを浮かべた。

 ヨアティアもルー=フィンも帰国したと思しきマールギアヌの地は平和で、ごく普通に盗賊やらの危険だけを気にしていればよかった。

 もっともそれを成せるのはやはりヴォース・タイオスがいてならではだ。ハルディール王子がどうにかしてひとり旅に出たとしても、一日とかからずに身ぐるみ剥がれただろうことは、まず確実だった。

 ただし、タイオスが同行していたとしても、楽な道ではなかった。

 通常の大街道を使うよりも早く行ける方法がないかと、そう尋ねられたタイオスが選んだ道のなかには馬一頭がせいぜい通れるだけの狭い道もあったし、風雨の厳しい渓谷もあった。

 だが幸いにして、彼らは何の障害にも出会うことなく南下を続けることができた。

「この時季のレバール渓谷は、か弱い女子供だと前にも進めないような強風が吹くもんだが、今日は穏やかだった。運がよかったな」

 タイオスがそんな話をしたことがあった。

「神が守ってくださっている」

 毎度のように、ハルディールはそう言った。

 それが王子の本気か冗談か、混ざっているならどちらが何割か、タイオスは判定しづらかった。彼は同意も反論もせず、ただ肩をすくめた。

「――ああ、あんたら、向こうからきたのか」

 酒場の給仕が彼らの話を何気なく耳にとめて、声をかけてきた。

「いったい、いつ。今朝方くらいかい」

「うん? つい先ほどだ。この町に着いたのは、半刻も前じゃない」

 何の話だろうかとタイオスが答えれば、給仕はへえと言った。

「確かに、幸運神ヘルサラクの加護があるようだよ、戦士さん。俺はたったいま、裏で聞いたぜ。渓谷につむじ風が巻き起こって、今日はもう通れんそうだ。このところの気候だと、下手すりゃ一旬は悪天候が続く」

「……へえ」

 今度はタイオスがそう言った。給仕が去ると、王子は当然のようにまた言った。

「神のご加護だ」

 ほかにも、ほんの十数分の差で、彼らの通ってきた街道に獣人が姿を見せたという話を聞いたこともあった。耳にしなかっただけで、ほかにも「強運」があったことも有り得る。

 幸運神か。はたまた〈峠〉の神か。

 どちらであろうと加護があるならばタイオスに文句はなかったが――偶然だろう、とも思った。

 〈峠〉の神は、峠を離れても、王子を守る。

 少なくとも、アンエスカがいればそう言っただろうが、タイオスには、にわかに信じがたかった。

「さて、そろそろ休みを取るか」

 いくつ目かの町にたどり着いたとき、いつものように戦士が言えば、王子は必ず、首を横に振った。

「まだ大丈夫」

「阿呆。ふらふらじゃないか」

 タイオスがハルディールを小突けば、若い王子は長槍で突撃でもされたように上半身を揺らした。戦士は笑い、少年は顔をしかめる。

「タイオス。僕はふざけたい気分じゃないんだが」

「そりゃ奇遇だ。俺もだよ」

 戦士は馬を寄せると、大きな手を伸ばしてハルディールを子供のように持ち上げてしまう。

「タイオス!」

 そのまま中年戦士は少年王子を抱きかかえたまま、馬を下りた。ハルディールは、タイオスの勝手な決断と、それから姫君か何かのように横抱きにされたことの両方に抗議の声を発した。

「僕は、大丈夫だと」

「三日前、お前さんのその言葉を信じたら、もうちょっとで落馬するところだったじゃないか?〈コラーレ〉号じゃなかったら、間違いなく落ちてた」

「あれは……少し、ぼうっとなっただけで」

「またぼうっとなって次には落馬、骨でも折ってみろ。ヨアティア辺り、指さして笑ってくるぞ。いや、腕や足ならってもんだ。首を折ったらどうする」

 厳しく年上の男が言えば、少年はしゅんとなった。

「まあ、何だ。気ばかり焦っても仕方ない。目的は『帰ること』じゃなくてその先にあることを忘れるなよ。たどり着いて疲労困憊じゃ、お前を待つ連中はがっかりだ」

 ハルディールを地面に立たせると、タイオスはその両肩をぽんと叩いた。

「無理のない歩調で行くのがいちばん」

 そう言われると少年は、もどかしく感じるのとタイオスの手に安心するのとで、どうにも複雑な表情を浮かべたが、黙ってこくりとうなずいた。

(――やばい話には関わらない。それが生き残るコツだと、そう思ってやってきたんだが)

 タイオスもやってきたことのない町で、適当な宿を探すのはしかしやはりタイオスの役目だ。彼はハルディールの召使いではないが、旅慣れている人間がやった方が合理的だ。

(どうにもこの王子様は、放っておけない)

(こんなふうに思うことはあんまりないんだが……)

(ことによると、息子みたいに思っちまってんのかね)

 彼は子供を持ったことはない。いや、どこかの春女が偶然はらんだというようなことはあるかもしれないが、産まれたか堕ろされたかも判らない。女だって、子の父が誰かは判らないだろう。

 少なくとも、ひとりの女と愛し合い、子供を持ちたいと思ったことはなかった。彼の人生にいちばん関わっている女はコミンの町にいるティエだが、それでも彼女と家庭を持とうと思ったことはない。

 これまで、ひとりでやってきた。

 いずれは落ち着いて、とは思っているものの、それは若者が一攫千金の夢を見るのと大差ないのかもしれない。

 現実感のない、茫洋とした夢。

 彼はその夢のなかで、ハルディールのような少年が自分の息子だったらと願っているのかもしれなかった。

(四十を越した戦士なんて、生ゴミの一歩手前なんだから)

 と、彼は思った。

(口先ばかりじゃなく、真面目に引退を考えなきゃならんのだがなあ)

(――こいつを最後の大仕事、とするか)

 たとえ誰も知らない小国でも、王子殿下を守って国盗りの逆賊から国を取り返す手伝いをした、などというのは、五ラクトの毒蛇退治より、老後の自慢話にずっと相応しい。

「タイオス」

「うん?」

 寝台に入り込んだ王子が彼を呼んだので、タイオスは燭台の灯を消そうと伸ばした手をとめた。

「どうした」

「本当のことを言うと、僕は少しだけ、後悔をしています」

 それはシリンドル国まであと一日と迫ったフリートの町でのことだった。

「何にだ」

 片眉を上げてタイオスは尋ねた。

「あなたのことについて」

「へえ? 俺みたいなのを頼るなんて馬鹿げたことだと、ようやく気づいたのか?」

 タイオスが茶化せば、ハルディールは顔をしかめた。

「どうしてそういうことを言うんです。そんなはずがないでしょう」

「判った判った。信頼は有難く受けるよ」

 苦笑いを浮かべて中年戦士は片手を上げた。

「それで、何を悔やんでるって?」

「あなたを巻き込む形になっていること」

「何だ」

 そんなことかとタイオスは笑った。

「何度も言ってるけどなあ、嫌ならとっとととんずらだ。だいたいな、俺が金目当てでお前を死なせかけたこと、忘れんじゃないぞ」

「そのことは、いいように働いたではないですか。だいたい、金目当てなどは嘘でしょう」

「どうかな。また連中に高額を提示されたら、俺はあっちにつくかもしれないぞ」

 戦士は言った。少年は笑う。

「まさか」

「……もう少し、疑えよ」

 信じられている、という感覚は単純に嬉しいが、いくらか重くもあった。

 彼はただの一戦士にすぎないのに、王子は噂の〈シリンディンの騎士〉のような忠誠や能力を彼に期待しているのではないかと、そう思うのだ。

「本当にそんなことを考えているのだったら、あなたはむしろ『自分を信じろ』などと言うでしょう」

「あー、そりゃいまはな、その気はない。だが人間、いざとなったら判らんもんだ。――俺はお前の騎士じゃないんだから、裏切られることも視野に入れて、判断しろよ。俺が言うのも妙だが」

「妙です」

 ハルディールはまた笑ったが、ふっと笑いを途絶えさせた。

「あなたはそうして、自分の裏切りの可能性まで、誠実に僕に話してくれる。だからこそ、信じられるんだ」

「そんなふうに言って騙す詐欺師だって、いなか、ない」

「あまりいないと思います」

 王子は指摘した。

「ただ、同時に思う。僕はヨアティアのように即金を出せる訳ではないのに、あなたは『契約だから』と協力をしてくれる。これこそ……一種の詐欺ではないかと」

「何を言ってるんだ。成功報酬だという約束なんだから、後払いでいいんだ」

「それは判っています。でも、〈白鷲〉を見つける約束とは違う。シリンドル国にたどり着いたら、僕は手持ちの金を全部あなたに渡してもいいんですけれど」

 金貨三百にはとても足りない、というようなことを少年は言おうとしたが、戦士は遮るように手を振った。

「おいおい。国に入ったらはいさよなら、なんて意地の悪いことはせんぞ」

 約束は「シリンドルまでの護衛」だが、本当に厳しいのはその先だ。「護衛」はそこから本領を発揮すると、タイオスはそう考えていた。

「ですがそれなら、どこまでが契約の範疇だと思っているのですか?」

「あー、そうだな。アンエスカなりほかの誰かなりに、お前さんを引き渡すまで、かねえ」

「アンエスカはあなたを引き込むでしょう」

 真顔でハルディールは言った。タイオスは目をしばたたく。

「は? 追い払う、の間違いだろう?」

「いいえ。僕には判る。彼はあなたに厳しい視線と言葉を投げかけ続け、不要な邪魔者だと思ったからこそ、キルヴン閣下の館から追い出したのでしょう。だが、その後の彼の対応。彼はあなたを信頼した」

「それこそ『まさか』だ」

 タイオスはまた苦笑いを浮かべた。

「あのクソ野郎が信じたのは、ハル、お前だよ。お前が巧く立ち回ると信じたから、そのまま発ったんだ」

「生憎と、彼の希望とは裏腹の行動を取っていますが」

「どうかねえ。本当にお前さんがカル・ディアでおとなしくしてたら、あいつはちょっとがっかりしたかもしれんぞ」

 にやにやとタイオスは言った。ハルディールは肩をすくめた。

「少なくとも、こっぴどく叱られることは間違いない」

「王子様を叱る召使いか」

 声を出して彼が少し笑えば、少年は片眉を上げる。

「彼は、僕の召使いではありませんよ」

「判ってる。配下、臣下、手下、下僕、とにかく本来、お前さんの命令に従う立場って程度の意味合いだ」

 王の側近という立場が、王子の「何」になるのかはタイオスにはよく判らなかった。だが教育係であれ助言者であれ、シリンドルの民であれば王子に命令される側だ。教育係も助言者も唯々諾々と従ってはその仕事を果たせないものだが、「苦言を呈する」辺りではなく「こっぴどく叱る」となると、本当に学舎か何かの教師と教え子のような印象だ。

「ともあれアンエスカがあなたを信じなければ、あなたを斬ってから、発ったはずだと思う」

「あんなのにおとなしく斬られやせんぞ」

「結果がどう出たとしても、彼は試みたはずだ。それをしなかったのは、あなたがヨアティアにつくことがないと判断した、つまりは信じたからです」

 それが王子の考えだった。どうかねえ、とタイオスはまた言った。

「まあ、仮に、そうだとしよう。だが、お前があいつに叱られるなら、俺はそれこそ、剣を抜かれるんじゃないか。余計な真似をして、と」

「そんな無駄なことはしないと思う。それどころか、使える手札のひとつと考え、あなたを雇う方向に行くでしょう」

「あー、まあ、そうだな」

 タイオスは唇を歪めた。

「お前がきちんと地位を取り戻さないと、俺は報酬をもらえん訳だから。必要なら、最後までつき合ったるわ」

「……ほら」

「何だ」

「既にそこまで決めている。それが、気にかかるんです。これまで以上に、危ないかもしれないのに」

「あのなあ」

 戦士は呆れた声を出した。

「俺の判断は俺の判断。俺の命は俺の命だ。好きにやるし、好きに使う。お前は、お前の民でもない俺の安全になんか気を回さず、それどころか使い捨ての戦士だと割り切って接しろ。それくらいで充分だ」

「あなたは使い捨ての戦士なんかじゃない」

「……餌付けがここまで功を奏するとは思いもしなかったが」

「何ですって?」

「何でもない」

 唇を歪めて、タイオスはひらひらと手を振った。

「つまらんことをくよくよ考えるのはもうやめて、さっさと寝ろよ。明日はシリンドル入りだろ。髪も染めたりはしてないんだし、見られればすぐにばれる。お前の味方に行き会う前に僧兵団とばったり、なんてことになったら、死ぬ気で逃げなきゃならん。無事にアンエスカと会えたら会えたで、そのあとは下手すりゃ不眠不休。いまの内に休め」

「――判りました」

 こくりとうなずくと、王子は掛布をかぶり直して目を閉じた。それを見届けてから、タイオスは改めて燭台の灯を消した。

 明日は長い一日になりそうだと、そんな気がした。

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