02 たまにはいいか

 タイオスは、格別、凄んだ訳ではなかった。だが、剣に手をかけたのは本気だった。その気迫は、戦い手ではない伯爵にもはっきりと伝わった。

 しばらくの沈黙のあとでキルヴンは息を吐き、護衛を呼ぶつもりはないと言った。

「これ以上、死人を出したいとは思わん」

 屈強の護衛がハルディール少年を取り押さえるのと、熟練戦士と本気でやり合うのとでは、話が全く違う。意味のない負傷者、場合によっては死者が出るだけだ。

「すまんね」

 タイオスが謝罪をしたのは、脅迫同然のことを口にしたためだけではなかった。

 キルヴンの言う「死人」とは、もちろんアンエスカではなく、館の門番であったヘイシンのことだ。タイオスは館に侵入するため、ヘイシン殺しを見逃したのである。

 戦士は死んだ男に悪いと思ってはいたが、もしも何かの魔術が彼をあの夜に戻したとしても、彼は同じことをしただろう。ああして連中と一緒に侵入をしなければ、僧兵の足を払って階段から落としてやることも、僧兵の頭数を減らすことも、アンエスカの死を作り上げて彼の単独帰国を隠すこともできなかった。

 もっとも、タイオスは本来ならば、侵入者としてお尋ね者にされてもおかしくない。しかし伯爵は、そのことでタイオスを咎めはしなかった。

「アンエスカ殿に、申し訳が立たん」

 キルヴンは嘆息した。

「しかし、仕方がないだろうな」

 カル・ディアルの伯爵は、シリンドルの王子に視線を向けて、敬礼をした。

「殿下。ご無事のご帰国をお祈り申し上げます」

「申し訳ない、閣下。――有難う」

 ハルディールは心から礼を述べ、それからタイオスに笑いかけた。

 彼は王子の選んだ護衛であり、アンエスカが発ったいま、少年が頼れるただひとりの人物であった。

 タイオスがハルディールにあの夜のことを話したのは、そのあとだった。

 襲撃者と被襲撃者はアンエスカの死を素早く偽装し、ふたりして部屋の窓から逃げるという、いささか奇妙な真似をした。まさか襲撃の最中にのんびりその先の相談はできなかったからだ。

 最低限の意志の疎通だけで、彼らはその場を逃れた。戦士がヨアティアらに「着替えて風呂に入る時間が必要だった」と言い訳をしていた時間、彼らは、返り血くらいでは町憲兵を呼ばないようなたくましい裏通りの店へ行き、着替えを買った。

 それから娼館〈青薔薇の蕾〉を訪れた。

 もちろん、女を買うためではない。男同士の密談に相応しく場所だからだ。

 彼らは部屋を借り、情報を補い合って、ざっと話をまとめた。

「護符を?」

 アンエスカは顔をしかめた。

「冗談ではない。奴らに渡せるものか」

 シャーリス・アンエスカの死の証拠として〈白鷲〉の護符をヨアティアに渡すという案は、アンエスカの気に入らなかった。

「そう言うがな、俺は連中を信用させなきゃならん。ハルが巧いことやっても、俺がしくじったらばれる。お前は追われるし、俺は殺される」

「追われることは想定の上だ」

「俺が殺されるのもか?」

「いちいち想定する必要もない」

 どうでもいいという訳だ。この野郎、とタイオスは思ったが、拳を握ってアンエスカを殴る想像をするだけで我慢した。

「だが、追われながらよりもそうじゃない方が楽に南下できるだろうが。それにほら、あれだ」

 タイオスは肩をすくめた。

「ヨアティアに渡せば、護符はシリンドルへ帰るだろ。そうすれば、お前らの神様が新しい本物の〈白鷲〉を見つけて、どうにか護符を託すさ」

 二十年前の〈白鷲〉が死んでいたという話を聞いたタイオスは、半ばいい加減にそんなことを言った。戦士が適当なことを言っていると王子の従者は気づいたが、生憎と言おうか、彼にはそれは腑に落ちる考えだった。

「確かに護符は、力強き象徴だ」

 呟くようにアンエスカは言った。

「致し方ない。ヨアティアは満足するだろうし、神はシリンドルの民を〈白鷲〉に選ぶやもしれん」

 お前などではなく、と加わった。

「そうだろうさ」

 いささか腹が立ったが、自分は〈白鷲〉などではない。そう思ってタイオスは同意した。

「今後だがね」

 それからタイオスは続けた。

「俺ぁ、ヨアティアからは離れる。足を引っ張り続けるのも悪くないが、深みにはまっちゃたまらん」

「そうか」

 男はそうとだけ言った。

「あとは」

 慎重に戦士は続けた。

「――ハル次第」

 「殿下に近寄るな」とでもくるかと思ったが、王子の従者はただ黙っていた。

 アンエスカはもはやタイオスを「信用ならん」とは言わなかった。もちろんと言おうか、謝罪もなければ「認める」という言葉もなかったが、少なくとも「敵ではない」と認識したようだった。

 それを言うならば、中年戦士はことの最初から、ハルディールの敵に回ったことはない。ヨアティアに声をかけられたときから、考えていたのは連中を騙くらかすことだけだ。

 アンエスカが具体的にどんな計画を立てているものか、それはタイオスには判らない。彼は尋ねず、向こうも言わなかった。

 タイオスの役割は、アンエスカのそれとは違う。戦士が従者のように、王子を守り、立て、国のために動くことはない。

 忠誠心の類を除けば、仕事というのは雇われたり依頼を受けたりして、約束を果たす引き換えとして金をもらう、という形が多い。タイオスも多分に洩れず、ハルディールとは当初、金貨三百枚の契約をした訳だ。

 〈白鷲〉を探すまでという条件はアンエスカによるタイオス追放で崩れ去り、王子と戦士の間は白紙となっていた。

 そこにヨアティアが持ちかけた話にタイオスは乗る。ただしこの「乗る」は、巧いこと報酬だけをせしめてしまおうという腹づもりのことを指す。

 金を得て、仕事をしない。これは詐欺だ。

 だが、だから何だ、と戦士は思っていた。

 ハルディールの話を聞き、ルー=フィンの話を聞いたタイオスには、しかし正義がどちらにあるのか、判定できない。それでもやはり、王を殺害し、王子の命を狙う男より、国を救わんと見知らぬ土地へ旅をし、国を守らんと危険を顧みずに帰ろうとする少年の方が、手伝ってやりたい気持ちになる。

 アンエスカを殴ってやりたいとは思ったが、金をもらっても殺したいとは思わなかった。あれはあれで愛国心が旺盛なためにタイオスを煙たく思うことくらい、判っていたからだ。

 もしもアンエスカがもっと頭の切れない男であれば、タイオスは彼をぶん殴って気絶でもさせ、「失敗した」と言って戻り――つまりはヨアティアについたふりを続けながら彼らの足を引っ張るという助演を続けなければならなかった。

 それはそれで、たいそう危険だった。魔術師がいつタイオスの出鱈目に気づくとも限らなかった。いや、魔術など使わずともルー=フィンはすぐに、タイオスの近くにいる僧兵ばかりが致命的な失敗をすることに気づいただろう。

 気づけば間違いなく、銀髪の剣士は中年戦士を斬ったはずだ。

 そうなればタイオスは死に、影ながらの手助けも終わり。それよりは、これでよかったと彼は思っていた。

 自分で決めたことであり、詐欺も働いて金貨も手にした訳だが、ハルディールに「タイオスは敵に回った」と思われたままでいるのは少し残念だったのだ。

 それがこうしていまや、タイオスがハルディールの護衛につき、王子をシリンドルに向かわせることになっている。

 これがよいことであるのかどうか、戦士には何とも言えなかった。アンエスカやキルヴンの言うことも判るからだ。

 だが、自分がシリンドルの民であれば、遠くで正式な名乗りを上げられるより、王位に就く資格がまだなくとも、彼らの国で戦う王子の方に親愛を覚え、忠誠を誓いたいと思うだろう。

 もっとも、タイオス自身はハルディールに忠誠を誓うつもりはない。彼はシリンドルの民ではなく、ただの戦士だ。

 ただ、いたいけな少年王子に肩入れしている。

 そうする理由はない、と思うのは理屈の上であって、助けてやりたいと思うのは心の方だ。

 彼の望む平穏なる生活からはほど遠い仕事だが――たまにはいいか、と考えることにした。

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