第2話 シリンドル
第1章
01 一夜が明けて
男は落ち着かない様子で、卓の前を行ったりきたりしていた。
そうしたところで何か進展がある訳でもない、そのことは彼自身、よく理解していた。だが、じっと座っていることができなかったのである。
静寂を破って扉が叩かれると、彼ははっと歩みをとめた。
「入れ!」
叫ぶように命じる。入ってきた使用人は頭を下げた。
「ご報告し申し上げます」
使用人は言った。
「
「そうか」
彼はほっと息をついた。
「せめてもだ。侵入者の方は」
「死者四名、逃亡者二名。もっとも、兵士たちが全て斬り殺した訳ではありません。彼らは生け捕りにするつもりでしたが、毒を……あおって」
「何と」
男は顔をしかめた。
「アンエスカ殿の言っていた通りだ。信じなかったのではないが、まさか本当にそこまで」
「閣下」
使用人は不安そうな顔で、ナイシェイア・キルヴン伯爵を呼んだ。
「このカル・ディアで、この館で、あのような惨劇が起きるとは……」
「案ずるな。裏門をヘイシンひとりに守らせていたのは、私の判断が甘かっただけ。軍兵に死者が出ていれば軍団長は兵をもうお貸し下さらなかったかもしれんが、その線は守られた」
キルヴンは唇を噛んだ。
「その線だけは、な」
シリンドル国王子は、彼が考えていたより、立派な少年だった。正直、アンエスカの身びいきがあるに違いないと考えていた自分を叱ってやりたかった。
少年は実に気丈に、シャーリス・アンエスカの死に対処した。どれだけみっともなく取り乱しても不思議ではないのに、顔を青くしながらも、気丈に。
ラウディール王はよい息子を育てた。自分は息子を甘やかしてしまったと考えているキルヴンは、羨望を覚えると同時に頭が下がる。
かの王とはもっと話をしてみたかった。
だが詮無きこと。怖ろしい運命が彼を襲った。サナースが生きていればすぐさま彼をシリンドルへ救援に送ったが、それもまた詮無きことだ。
過去は戻らない。決して。
「殿下のご様子は」
キルヴンが尋ねれば、使用人は少し躊躇った。
「どうした」
「このように申し上げるのは、出過ぎていると思うのですが……」
その前置きに、伯爵は眉をひそめた。
彼は思ったのだ。使用人たちはこう考えるのではと。
縁もゆかりもない、聞いたこともないような小国の王子のために、どうしてキルヴンや自分たちが危ない目に遭わねばならないのか。彼らは気の毒なハルディールを厄介者と感じているのでは、と。
「――どうか、閣下。かの少年王子殿下に、できます限りのことを」
「何」
出てきた台詞は正反対で、伯爵は目をしばたたいた。
「われわれのような使用人にまでいちいち礼を仰る王子殿下というだけでも驚きでしたが、わずか一日で身の回りのお世話をする者の名前を覚えてくださり、昨晩のことはご自身が招いた凶行と、われわれにまで頭を下げられるなんて」
「そうか」
伯爵は驚きつつも、納得をした。
カル・ディアの王子こそキルヴン邸にきたことはないが、名だたる貴族、その妻子、そうした客は珍しくない。誰もみな、使用人を「自分たちに都合よく動くからくり」と思っている。話しかけたり、名を尋ねたり、ましてや謝罪などするはずもなかった。
(場合によっては、誇りがない、とそしられることもあろうが)
(シリンドルでは、普通のことなのかもしれん)
小国ゆえに、上下間の距離が短いのだ。
(少なくともいまは、いいように働いた)
「殿下は、サナースとゆかりある方だ。政治的、金銭的損得いっさいなしで、俺は彼を守るつもりでいる」
キルヴンは言った。使用人は安堵する。
「ご様子は、顔色はお悪いものの、落ち着いておいでです。ようやくお食事もお召し上がりに」
「それはよかった。食欲をなくしていては、よいことなど何もないからな」
「半刻後に、閣下とお話をと」
「こちらはいつでもかまわぬ故、いつでも気分の向かれたときにとお伝えしろ」
「はい」
使用人は頭を下げた。
悪夢のような襲撃から、一夜が明けていた。
仕事の早いカル・ディア
もっとも、指揮官級と思しきふたりを捕らえられなかったのは痛い。
と言っても、キルヴン邸の護衛兵や借り受けた軍兵が彼らを取り逃がしたのではない。
――魔術師にさらわれてしまっては、この世で最も優秀な兵であったところで、捕縛は難儀だ。
だが突如現れた黒ローブの魔術師は、ハルディール王子をさらうのではなく、仲間の剣士を助けるだけにとどめた。
目撃した兵たちの話によれば、銀髪の若い剣士は凄腕だったとのことだ。一対一ではとても敵わず、複数名で挑んでも危うかった。しかし全員で取り囲めばさすがにどうしようもないだろうと彼らが円陣を組みはじめたとき、黒ローブ姿の魔術師が現れ、銀髪の剣士を連れて逃げた。
「夜襲は、あの若い剣士の独断だったのかもしれんな」
キルヴンはそう考えた。
「襲撃者らは、あくまでも命令を受ける立場だ。あの一団の指揮官は、首領ではない」
つまり、と伯爵は言った。
「魔術師は剣士を救うため、上からの命令で彼を引かせた。ハルディール殿下を暗殺するよりも、退却を選んだ。カル・ディアルと本格的にことをかまえるのを避けようとしている、と考えられる」
「では、もう、襲撃はない」
使用人は
「もっとも、油断は禁物だ」
青い顔でキルヴンは言った。
「警戒は続ける」
それから彼は、緊張を振り払うように頭を振った。
「ほかに、報告は」
「死体の処理ですが、王城に派遣され得る等級の処理屋を手配する予定でおります。よろしいでしょうか」
「それでよし。不穏な噂が立つことは避けられないにしても、根も葉もないものが一夜で街じゅうに広まる事態は避けたいからな」
王城御用達の処理屋なら、口も固い。得体の知れぬ襲撃者が毒で自害したなどという気味の悪い話が出回ることはないだろう。
「あとは」
「門番のヘイシンは独り身で親兄弟もおりませんでしたから、特に補償をすべき人物はおりません。老ススアですが、処罰を怖れています」
「致し方ない。訓練を受けた兵士ではないのだ。剣で脅されれば、俺の寝室だろうと王陛下のご寝所であろうと、ぺらぺら喋っただろう」
キルヴンは唇を歪めた。
「だが、彼にも責任はある。解雇はせんが、しばらくは休ませよう。俺の許可があるまで、勤めを禁じる」
宣言してキルヴンは、片手を額に当てた。
「全く、油断をした。護衛の人数だけ増やせば当座は大丈夫などと。アンエスカ殿は再三、俺に警告をしてくれたのに、俺は彼の信頼を裏切ったも同然だ」
昨夜から彼は、何度悔恨の言葉を口にのぼせたか判らなかった。
キルヴンは宮廷に人脈ならばあるが、亡き友のようには、戦いに巧みではなかった。警備を強化すれば大丈夫に違いないという考えは間違いではなかったが、侵入する側としてもそれを警戒するからこそ、いち早い襲撃を目論んだ。
あとになってからであれば何とでも言えるものだが、それでもキルヴンは、自らの油断が悲劇を招いたものと、責任を覚えていた。
だが、後悔に意味などない。過ちは繰り返さず、次には誰も、死なせない。
(死んでしまえば)
(次などない)
キルヴン伯爵は追悼の仕草をして、逝った男の、無事に聖なる大河へたどり着きしことを願った。
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