10 十四歳の少年

 時刻は、夜半を迎えようとしていた。

 ハルディールは寝つかれず、寝台の上で何度も寝返りを打った。

(エルレール)

(レヴシー、クインダン)

(アンエスカ)

 みな、国を守るために命を賭けようとしている。なのに自分はこんなところで、のうのうと。王子は悔しくてたまらなかった。

 しかし、アンエスカの言うことはもっともだと判っていた。

 自分に何かあれば、終わりなのだ。「シリンドル王子」の身は、成人まで守られなければならない。

 ナイシェイア・キルヴン伯爵は、アンエスカの言った通り、立派で信頼できる人物だった。

 伯爵は、亡くなった〈白鷲〉サナースがどんな好人物でどんな見事な剣士だったか、まるで自分の手柄のように語った。かけがえのない友を失ったことに伯爵がどれだけ心を痛めているか、身近な者の死を知ったばかりのハルディールにはよく判るようだった。

 キルヴンは、ハルディールを助け、守ると真摯に誓ってくれた。有難い。とても、有難い。

 だが――。

(本当に、それしかないんだろうか)

 姉と騎士たちを危険にさらしたまま、父王の側近も危険のもとへ返し、自分はここで伯爵の庇護のもと、「時を待つ」。

 少年は歯がゆかった。

 どうして、自分は幼いのか。

 涙が出そうだった。

(駄目だ)

(そんな心弱いことで、どうする)

 王子は自身を叱咤した。

(泣くな)

(父上がご覧になったら、情けないとお思いになる)

(――父上)

(母上)

 優しく、時に厳しかった両親。王族の誇りを教えてくれた彼らは、もういない。

 シリンドルを守る父の背中を見て、彼は育った。まだずっと、その時間が続いていくはずだったのに。

 こらえきれず、瞳が熱くなった。少年は布団をかぶる。

 泣いていなかった。これまで。

 あまりの衝撃に遭うと、人は涙をなくしてしまうものだ。ハルディール少年も、そうだった。

 怖ろしい一夜を越えれば、そのあとは慣れない旅路。アンエスカは頼りになる存在だったが、不安がなかったとは言えない。

 ようやく、落ち着いた。安心して眠れる場所にいる。

 同時に安心できない。心配で、不安で、恐怖で、怒りで、哀しみで、切なさで、胸が張り裂けそうだ。

(しっかりするんだ、ハルディール・イアス・シリンドル)

(お前は、シリンドル国の王子なんだぞ)

(こんなことで、めそめそと)

 こらえようとすればするほど、涙がこぼれた。

(でも怖い)

(怖いんだ)

(もしもまた、誰かが死んだら)

 ハルディールはうつぶせになって、枕の端を握り締めた。

『――大丈夫だ』

 誰かの声が、耳に蘇った。

 強張っていた身体から、すうっと力が脱けた。

『夜は必ず明けるもんだ』

『頑張れよ、坊ず』

 そう言ってハルディールの頭を子供にするように撫でたのは、見知らぬ戦士だった。

 もちろん、あのときのタイオスはハルディールが王子であることも、その境遇も知らず、貧しい子供だと思っただけ。

 だがハルディールは、その言葉はとても嬉しくて――彼の腰帯に〈白鷲〉の護符をそっとくくった。

 礼をしたかったことが何よりだ。飯と、それから励ましの。

 彼の言葉を思い出すと、涙はとまっていた。

(でも)

 頬を拭いながら、少年はあのときのことを考える。

(僕はどうして、あんなことをしたんだろう)

(タイオスに礼をしたいのなら、ほかにも、やり方はあっただろうに)

 あとでアンエスカと麺麭屋を訪れたように、タイオスの名前や行きつけを知ることなら簡単だったはずだ。なのに何故、ハルディールは大事な護符を彼に託したのか。

(もしかしたら)

 ハルディールは闇のなかで身を起こした。

、〈

 ああして、熟練の戦士に気づかれることなく王子が護符を結ぶことに成功したのは、神の導きがあったからでは。

 その考えは、少年の鼓動を弾ませた。

(判らない。考えすぎかもしれない。僕がただ、ぼうっとしていただけとも言える)

(タイオスも疲れていて、気づかなかっただけかも)

(でも)

(――タイオスを探そう)

 アンエスカを見送ったあと、あの戦士を探すのだ。王子は心を決めた。

(もう一度、頼むんだ。今度は僕をシリンドルまで護衛してくれと)

 断る、関係ないと言われるだろうか。契約は終わったと。

 それでも、どうか頼むと繰り返そう。

 もし。もしも本当に、タイオスが神の定めた男であれば。

(必ず)

(手を貸してくれる)

 それは根拠のない願望に過ぎなかった。

 だが、その考えは少年の心を落ち着かせる。

 他者に頼ることなく自らの足で立たねばならないと、そう思ってきた。彼は十四歳の少年である前に、シリンドル国の王子なのだと。自身に厳しくあるように、教育を受けてきた。

 その教育は彼に根付いている。

 もっとも、ひとりでできることには限界があり、頼るべきところで頼らぬのは逆に愚の骨頂である。たとえば父王が急な病で亡くなったのだとして、いまのハルディールでは、誰の助けもなしに国を治めることなどできない。当然、アンエスカやほかの人物の助けを必要とする。いや、成長をしたところで同じだろう。助言を受けながら、シリンドルを守っていく。

 だが王は、王子は、心弱いところを見せるべきではない。どんなに迷いがあったとしても、決定は常に自信を持って下すべき。少年王子は父王からそう教わった。

 それは、王子としての彼の価値観の根底にある。

 同時に、彼はまだ、十四歳である。

 重要すぎる局面に立ったとき、誰かにすがりたい、助けてほしいと思う、十四歳の少年としては当たり前のことだった。

 アンエスカには、頼ると同時に見栄も張る。彼の前で泣き言は言えないと、そう考えている。

 ハルディールが涙を見せても、アンエスカは怒らないだろう。泣きじゃくって取り乱してもおかしくないのに、気丈に頑張っていると理解しているだろう。

 だからこそ、彼の前では泣けない。

 気丈に頑張り続ける王子でなければならない。

 しかしタイオスには、本心を口にできるような気がした。

 どうか力を貸してくれと。自分は子供で、何の力もないのだと。怖いのだと、涙を流すことすら。

 もしタイオスが笑って「大丈夫だ」と言ってくれたら、それはアンエスカに言われるよりも安心できることのような気がした。それはタイオスが、シリンドルの民ではないからこそ。

(タイオスを探そう)

 もう一度心のなかで繰り返すとハルディールは再び横になり、今後は穏やかに、眠りについた。

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