09 偏見などは捨てるべき

「では、王子暗殺は私ひとりで?」

「だから、イズラン殿と一緒だと言っている。タイオスのことは巧く使え。信用はするな」

(正解)

 タイオスは唇を歪めた。

(大正解だよ、坊や)

(何だか安心した、とでも言うべきかな)

(シリンドルには、簡単にされる王子様か、一から十まで人を疑う嫌味眼鏡しかいないのかと思ったが)

(雇い戦士なんてただの駒と考える、まともな均衡感の持ち主もいるってことだ)

 タイオスは皮肉混じりに考えた。

「僧兵たちも連れ戻る。ルー=フィン、お前には必要ないだろうからな」

「必要ありません」

 剣士は答えた。

「他者に指示を出して動かすより、自分で動く方が早く、確実だ。最初からそうしていれば、タイオスも仕留められました」

(何を。この野郎)

(……その通りだろうがな)

 渋々と、中年戦士は力の差を認めた。

「そんなことを言っているようでは、人の上には立てん」

 ヨアティアは鼻を鳴らした。

「いずれは学んだ方がいいだろうな。だがいまは、その時間もない。イズラン殿と協力し合え。彼の助言にはよく耳を傾けるように」

「それがヨアティア様と、ヨアフォード様のお言葉でしたら」

 いささか不服そうながら、ルー=フィンは受け入れた。

「そうだ。俺と父上の、命令だ」

 「命令」という言葉を強調し、神殿長の息子は満足気に笑った。

「今夜休んで、明日の朝には発つ。お前も、一日でも早く王子とアンエスカの死んだ証拠を手にして戻ってくるんだ」

「ですが、どこを探せばいいのか……」

「そこにご協力できます」

 魔術師が口を挟んだ。

「どうやって。王子の居場所は判らないと、戯けたことを言っていたのだろうに」

「護符の力が強い。ですが」

 イズランは咳払いをした。

「王子と接触した者からたどっていくやり方があります」

「タイオスか」

 戦士は窓辺でぎくりとした。

「彼は『覚えていない』と言うのでしたね。それが事実にしろ出鱈目にしろ、私は彼の記憶を読むことができます」

「本当か」

 と、言ったのはヨアティアとルー=フィンの両者だった。前者は興味深そうであり、後者は胡乱そうだった。

「試させていただければお判りになりましょう。もっとも、該当者は眠っているとか」

「叩き起こせ」

(まずい)

 慌ててタイオスは、隣室の窓から離れた。

(焦るな、焦るな、慎重に)

(かつ、素早く。……我ながら無茶なことを考えてやがる)

(集中、集中)

 戦士は戦闘に臨むときのような集中力を発揮し、行きよりも短い時間でもとの部屋の窓にたどり着いた。汗を拭って窓枠に手をかけ、力を込めてよじ登る。

 無事に室内まで戻れば、寝台まで足音が出ないように全力疾走。所詮「部屋」であり、広いと言ったところで五ラクトもないのだが、ずいぶんと遠く感じる。

 タイオスが寝台にたどり着き、靴を脱ぎ捨てて布団のなかに潜り込むのと、部屋の扉が開いたのはほぼ同時だった。

「――タイオス!」

 ルー=フィンが呼んだ。

(やべえ)

(息が荒いわ)

 大して体力を使った訳ではないが、緊張のし通しで、最後には頭が痛くなるかと思うほどだった。横になるという行為で筋肉が緩むと、不自然なほどに呼吸が乱れているのがよく判る。

(クソっ)

 タイオスは思い切りよく起き上がった。

「うわあっ、何だ、おどかすな」

 彼の声は裏返った。演技をするつもりではいたが、裏返ったのは意図しない演出だった。

「や……夜襲はないと思ったのに」

「お前を殺しにきた訳ではない」

「ああ」

 戦士は息を整えようと必死になった。

「ああ、そうだろうとも」

「何だ。様子がおかしいが」

 ルー=フィンはもっともなことを言った。

「悪夢でも見たのか」

「み、見た」

 タイオスはこくこくとうなずいた。

「それは、もう、酷い悪夢を」

 地上四階からの落下だとか、陵辱される美少女だとか、窓から入ってくるところにルー=フィンと鉢合わせとか、いろいろな悪夢を。

 ルー=フィンはじろじろとタイオスを見た。タイオスが息を弾ませている理由は悪夢のためだと考えると、若者は鼻を鳴らした。情けない戦士だ、と思うのであろう。

「イズランという魔術師が、お前と話をしたいそうだ」

「魔術師、だと?」

 彼は顔をしかめて、意味が判らないというふりをした。

「何だそれは。お前たちは、まあ、神官の一種なんだろうに。魔術師なんかも仲間にいるのか」

「私は〈峠〉の神を信じているが、その神官という訳ではない」

 若い剣士は首を振った。

「神殿長のお考えだ。状況に有用となれば偏見などは捨てるべき」

 ルー=フィンは、自分に言い聞かせるかのようだった。

「嫌なこった」

 タイオスは即答した。

「俺は、魔術師なんざ大嫌いだ」

 嘘をついた。特に好きでも嫌いでもない。

「あんな黒ローブ野郎とお話なんざ、するもんかね」

「お前は雇われているんだぞ」

「そうとも。契約は、クソ眼鏡を殺ることだ。魔術師のことなんざ聞いてない」

「王子とアンエスカの居所をお前が覚えていれば、魔術師の手など必要ないが」

「忘れたのが悪いってのか?」

その通りアレイス

「待て。思い出すから」

 タイオスは片手を上げた。

「あんな不吉な連中と相向かうなんてできるもんか」

 そう言って彼は、偏見の塊であるふりを続けた。

「俺に話しかけたら斬ると言っておけ」

「タイオス」

 ルー=フィンは苛ついたように言った。

「正直なところを言うなら、私も快く思っていない。だが、使命だ。任務、仕事と言ってもいい。お前も、私も」

「嫌なこった」

 あくまでも、タイオスは繰り返した。

「俺にそいつと話をさせたけりゃ、もう五十、いや、もう百、別料金でもらわないとな」

 とんでもない吹っかけ方だ。ルー=フィンは怒るよりも呆れた顔をした。

「いいか。そうでもなけりゃ、斬るぞ」

「魔術師を斬れるか? 術を使われれば、ミィのようにのどを鳴らしてすり寄るしかないのに」

「馬鹿野郎。だから、不吉で忌まわしくて、死ぬほど嫌なんじゃねえか」

 タイオスは言い張った。

「もっともだな」

 戦士にとっては意外なことに、ルー=フィンは同意した。確かに若い剣士は魔術師を好いていないが、命令ならば一も二もなく従うようだと思っていたタイオスには、その返答が驚きだった。

「十ティム、やる。思い出せ。さもなくば、どうあろうと魔術師だ」

「努力する」

 宣誓するように、タイオスは片手を上げた。

「だが、魔術師が俺に寄ってきたら、まじで剣を抜くからな」

「話は近寄らずともできる」

 そう言うとルー=フィンは踵を返した。ヨアティアとイズランに報告をしなくてはならないからだ。

(ヨアティアは引きずってこいと言いそうだが)

(さっきの様子じゃ、イズランはそれなら十分だけ待とうと言うだろう)

 タイオスはそう予測した。

(さて、どうしたもんか)

 両腕を組んで戦士は考える。

 実際のところ、彼はキルヴン伯爵の館がどこにあるか、覚えていた。

 仮に忘れたところで、伯爵の名前を覚えていたなら、それを告げればよいだけだ。すぐに探せるだろう。

 なのにそれをしなかったのは、やはり、ハルディールを死なせたくないという思いがあるからだ。

 麺麭ホーロを恵んで縁のできた王子様。たとえ、タイオスがこの先ほかの王族と接する機会があったとしても、こんな珍妙な出会いはもうないだろう。

 国を思い、誇りを持つ、古典物語に出てくるような王子。

 真剣な顔、笑った顔、はにかんだ顔はどれも可愛らしかった。素直な反応、まっすぐな気質、もしも自分にこんな息子がいたらさぞかし嬉しいことだろうと思う。

(シリンドル国がどうなろうと、俺には関係ない)

(だが、あの坊やが権力闘争で殺されるなんてのは)

(――痛いな)

 どうするべきか。

 彼が「思い出せなかった」ところで、魔術師が彼の記憶を読み取るのだと言う。偏見の持ち主のふりを続けて暴れてみても、ルー=フィンの言った通り、何らかの術を使われればおとなしく言いなりになってしまうだろう。

(ひとつ……)

(賭けるか)

 ふと、思いついたことがあった。

 そこに、賭けごとなど――とアンエスカが顔をしかめる様子が思い出され、タイオスは罵倒文句を吐いた。

(ハルは死なせたくない)

(だが、あの野郎は、許さん)

 彼は考えた。

(舐めきった態度を取り続けたこと、後悔させてやる)

 戦士は唇を歪め、新品の剣に手を伸ばした。

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