05 ルー=フィン

 若者が黙々と剣の手入れをしていれば、中年の戦士はちらちらと彼を見ていた。

 だが緑眼の若い剣士は、気づいている様子も見せぬまま愛用の剣の手入れを続ける。

 特に話をすることもない、とルー=フィンは考えていた。

「おい」

 だが、タイオスの方ではそう思わなかった。彼は長らくの沈黙のあとで、息子ほどの年齢の剣士に呼びかける。

「少しつき合え」

 その言葉にルー=フィンは片眉を上げた。

「どういう意味だ」

「街だよ。こいつを」

 と、タイオスは持っていた剣を叩いた。

「新調する」

「するといい」

 ルー=フィンは視線を自身の剣に戻した。タイオスは舌打ちする。

「一緒にこいって言ってんだがね」

「何故、私が」

「そう言うなよ。一緒に仕事をしようってんだ。もう少し愛想を見せてもばちは当たらんぞ」

 タイオスは顔をしかめてそう言った。

 ヨアティアが何を考えてこの戦士を買ったのか、ルー=フィンには判らなかった。だが、口を挟むことではないと考えていた。

 ヨアフォード・シリンドレンはヨアティアの父であり、ルー=フィンの恩人だ。彼が幼い内に母を亡くしたとき、シリンドル王家が見向きもしなかった代わり、ヨアフォード神殿長が彼に手を差し伸べた。

 神殿長はルー=フィンのために寝る場所も食べるものも用意し、教育も施した。シリンドルを離れて行われた剣の訓練は厳しかったが、おかげで彼は類稀なる剣士に成長した。

 もともと、天賦の才もあった。だがそれを引き出したのはヨアフォード。

 ルー=フィンは、ヨアフォードにどれだけ感謝してもし足りない。

 その息子たるヨアティアにも、敬意を以って接する。

 彼には当然のことだった。

 シリンドル王子暗殺は彼自身の使命でもあるが、恩義を返すよい機会でもある。成功すればヨアフォードにはもとより、ヨアティアもルー=フィンを認めるだろう。そうなれば、ルー=フィンは安心する。

 と言うのも、ヨアティアには、何かと彼を見下して機会あらば貶める傾向があるからだ。そうされては彼も気分が悪いし、敬意を払い続けるのも難しくなる。

 彼がまだ少年だった頃、年上のヨアティアと模擬戦闘をしてルー=フィンが完全勝利を収めたことがある。神殿長の息子は、そのことをいまでも根に持っているのだった。

 それだけでも――ないが。

「ヨアティア様にお伺いしなければ、私は動けない」

 淡々とルー=フィンは答えた。

「だが、訊いてこよう。お前を野放しにするのも気にかかる」

「何が、野放し」

 タイオスはしかめ面を続けた。

「お前にゃ気に入らんのかもしれないが、金さえ出してもらえば、主義も主張もない。雇い主に都合よく動くのが雇われ人ってもんだ。金貨を五十ももらった以上、俺は残りの二百のため、ヨアティアの悪いようにはせんよ」

 にやにやしながら中年戦士は言った。若者は、冷たい目でそれを見る。

 最初に目にしたときは、これが〈白鷲〉かと警戒をした。だが結局、経歴が長いだけの、ただの戦士だった。ルー=フィンとしては、手応えのある相手と思って手合わせを楽しみにしていたところがあったから、少しがっかりした。

 コミンの路地裏で剣を合わせたときの、野蛮な戦い方。あの時点で彼らは、タイオスが騎士と呼ばれるような男ではないと気づくべきだった。

 もっとも、〈白鷲〉であろうとなかろうと、彼がハルディール王子を守ってカル・ディアへ逃亡を果たしたことは事実。彼らの追跡をいち早く感じ取り、襲撃をさせぬまま、大都市の人並みに紛れ込んだだけの能力がある。

 ヨアティアはそこを買ったのだろうか、ともルー=フィンは思った。

 しかし金で動くような人間は危険だ。ハルディールが改めて高額を提示したら、また王子につく可能性は充分にある。

「しばし待て」

 ルー=フィンは言って立ち上がると、無駄のない動きで細剣を鞘に収めた。

 高級宿〈樹氷花〉の一室は広く、彼らの全員が寝泊まりできるほどだが、ヨアティアにひと部屋、ルー=フィン――と、いまはタイオスも――にひと部屋を借り、残りは近くの食事処で休んでいる。金の無駄だとは、特に若者は思わなかった。持っているのであれば、使えばよい。

「ヨアティア様」

 彼は隣室へ行くと、戸を叩いた。少しの間ののちに、長い髪の男が顔を見せる。

「どうした」

 ヨアティアはじろじろとルー=フィンを眺めた。

「タイオスが、街へ剣を買いに行くと。私も同行した方がよろしいかと思いまして」

「そうだな……」

 神殿長の息子は考えるように腕を組んだ。

「行かせなさい」

 奥から、声がした。

「金で買える男は金で裏切る。見張っておいた方がいい」

 ルー=フィンが考えたのと同じことを言った声には、聞き覚えがなかった。若者は首をかしげる。

「誰か、いるのですか」

 もちろん、いるから声がするのだが、「誰なのか」という意味合いだ。

「……お前には」

 関係ない、とヨアティアは言おうとした。だがその背後から声がかかる。

「ルー=フィン殿ですな。ヨアフォード殿から話は聞いています。何でも、神殿長殿の秘蔵っ子であるとか」

 ゆらりと影が揺らめいた。いや、それは影ではなかった。

 ヨアティアの斜め後ろに姿を見せたのは、年の頃三十代後半と見える男だった。漆黒のローブを身にまとい、肩の上で斜めに切り揃えた灰色の髪を持った、ルー=フィンの知らぬ男。夜のような紺色の瞳は穏やかで、顔には笑みを浮かべていた。

「――魔術師」

 若い剣士は眉をひそめた。

「ヨアティア様、このような者と」

「父上の用意した協力者だ。偏見を持つな」

「ヨアフォード様の?」

「話は、あとだ」

 男は手を振った。

「タイオスを見張れ。王子がいる屋敷の場所は慣れない街を歩いて判らなくなった、などと言っていたが、ことによると本当はよく覚えていて、我らと王子に競りをさせるつもりかもしれん」

「有り得ます」

 ルー=フィンはうなずいた。

「では、あとでお話を」

 そうして若者が部屋に戻れば、戦士は既に外出の支度を終えていた。

「剣だけじゃない、胸当ても買っときたいところだな。お前もそんな革鎧だけじゃなくて、もう少しいいもんを用意したらどうだ」

 金ならあるんだろ、とタイオスは言った。ルー=フィンは肩をすくめる。

「重いものを身につければ動きが鈍る。私にはこれで充分だ。ヨアフォード様から祝福もいただいている」

「〈峠〉の神様の神殿長ねえ」

 胡乱そうに戦士は呟いた。

「聞いてると、八大神殿の神殿長より権力がありそうだな。八大神殿は普通、街町の政治自治に関わらんもんだが、神様からお言葉がありましたと王様ぶっ殺して、一部にだろうと支持されてるってのはすごい話だ」

「神の意志だ」

 ルー=フィンはタイオスを見ずにそうとだけ言い、行こうと扉の外にあごをしゃくった。

「俺ぁ最初、ハルの神とあんたらの神は違うのかと思ったが、おんなじようだな」

「無論。シリンドル王家とシリンドレン神殿長家は、長いこと共に〈峠〉の神を崇めて国を守ってきた」

「野心的な神殿長が野望を抱くまで、か」

「ヨアフォード様の個人的なお考えなどではない。神の意志だ」

 再びルー=フィンは言った。タイオスは降参するように手を上げる。

「そんなの、神殿長様にしか判らんだろ。それとも、神様だけがご存知だ、と言うべきかもしれんがね」

 ごくごく一般的、かつ世を知る年嵩の戦士と、神殿長を父親か王か、それとも神のように尊敬している若い剣士とでは、価値観や信じるものに大きな違いがあった。タイオスの方ではそれに気づいていたが、ルー=フィンは苛立った。

(このような男の手を借りてシリンドルの浄化などは、恥だ)

(ハルディール王子は必ず、私が仕留めねばならない)

 若い剣士は決意を新たにした。

「もう少し、あんたらの神様について教えてもらえないか」

 宿の階段を下り、カル・ディアの街並みに出て行きながら、中年戦士は尋ねた。

「ハルにとっちゃ当たり前のことすぎたんだろう。ろくに説明はなかった。訊いてもよかったんだが、クソ禿げに馬鹿にされるかと思うと、教えを請うのも悔しくてな」

 王子の従者をひとしきり罵って、タイオスは唇を歪めた。

「お前が何を知りたいのか判らない」

 ルー=フィンは肩をすくめた。

「私にとっても、当たり前のことだから」

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