06 シリンドルの一族
「あー、そうだな」
戦士は考えるように頭をかいた。
「たとえば、名前なんかは」
「シリンディン」
若者は答え、崇拝を表す仕草をした。普通は滅多に名を呼ばないものだった。〈峠〉の神とだけ言う。タイオスは軽く目を瞠っていた。
「じゃ、〈シリンディンの騎士〉ってのは」
「
〈白鷲〉だと思った男に〈白鷲〉の説明をするのを可笑しく思って、ルー=フィンは少し笑った。何が可笑しいものか判らなかったタイオスは眉をひそめる。
「〈峠〉の神は山神ルトレイスの兄とも弟とも言われるが、ルトレイスが世界中の山を渡り歩くのと違って、彼はザヘンデン山脈の峠にずっと棲まっている。もともとは、峠に小さな祠が建てられているだけだったと言う」
ルー=フィンは、シリンドルでは誰もが子供の頃に教わる伝説を簡潔に語った。
麓に住まう農民が、ある日、高熱を出した娘のために熱冷ましの薬草を探そうと峠へ入った。なかなか見つからなかったそれをようやく見つけ出したあと、農民は祠の近くで、旅人が行き倒れているのを見つけた。旅人は熱を出しており、農民は、娘にはまた薬草を探すからと彼にそれを分け与えた。
しかし日暮れが訪れて、農民はもう薬草を見つけられなかった。肩を落として家に帰れば、娘の熱は下がっていた。娘が父に話したところでは、親切な父親に感謝するように、との言葉を耳にしたかと思うと身体が楽になったのだということだった。
彼らは旅人が峠に住むと言われる神シリンディンの化身だったのだと考え、敬意を表してシリンドルと名乗った。
それからシリンドルの一族には、不思議なことが数多く起こった。
彼らが耕せば痩せた土地に見事な作物が実り、彼らが掘れば乾いた大地に井戸水が湧いた。彼らが手をかざせば病は癒え、彼らが祈れば吹雪は収まった。
麓の村人は何でも彼らに頼るようになり、やがて崇めていくようになった。
一族は驕らず、神の御業であると言って祠に祈り、神殿を建てた。
遙か昔の、王家の祖先だと言う。
あくまでも伝説であり、いまの王家にそうした不思議な力はないが、時折、奇跡が起こる。ルー=フィンはそんな話をした。
「奇跡だって?」
胡乱そうにタイオスは聞き返した。
「どんな」
「稀にだが、奇病が出る」
ルー=フィンは厄除けの仕草をした。
「もちろん、それは神の奇跡ではない。どちらかと言うならば
「聞いたことがないな」
「だから奇病だ」
よくあるものであれば奇病などと言わない、と若者は当然のことを言った。
「それは医師には治せない。王が神殿で神に祈ることによってのみ、治せる」
「はあ」
タイオスは曖昧な相槌を打った。
「神秘がかってきたな」
「いまのシリンドルには、峠と
奇病が発生したときも、王は峠の神殿に祈りに行く。王がひと晩祈りを続けると、峠のどこにも生えていない神の薬草が王の手に現れる。それを煎じて飲ませれば子供の熱は引き、縞模様も消える。
「へええ、そりゃすごいなあ」
感心した声音でタイオスは言った。
「だが、伝説だろう?」
「いや、事実だ。十年ほど前、実際に奇病が出た。ラウディール王は祈りを捧げ、薬草とともに峠を下りて、子供は治った」
「へええ」
タイオスはまた言った。
「んじゃ、神様も認める立派な王様だったって訳だ。お前さんたちは、そんな人を殺しちまったってことか」
その言葉に剣士はじろりと彼を睨んだ。
「神が王家の血筋を認めることと、ラウディールが立派な王であったかどうかは別の話だ」
「判った判った」
取りなすようにタイオスは両手を上げ、でもよ、と言った。
「奇病を癒すなんざ、むしろ神殿長の仕事じゃないのかね」
「もともとは、王が神殿長を兼ねていた。〈峠〉の神殿は、いまだに王家のものだ。シリンドレン家はシリンドル家の分家で、麓の神殿を任されている」
どういう経緯があったのかは語られない。記録もない。権力は分散された訳だが、それが平穏なる話し合いによって成されたことか、何か血みどろの――此度のような――闘争があったのか、歴史書は語らない。
かつて血のつながりがあったことだけは確かだが、いまでは彼らは縁戚と言うよりもシリンドル二大家として、それぞれ王の一族、神殿長の一族となってシリンドル国を保護してきた。
だと言うのに。
「ラウディール王は、〈峠〉の神を軽んじたのだ。彼の代になってからと言うもの、神への供物は減り、祭礼は規模を縮小された。神はお怒りになり、作物を多く枯らし、雪嵐を連発させ、酷い雪崩も起きた」
ルー=フィンは義憤に顔を赤らめた。
「ヨアフォード神殿長は王に諫言したが聞き入れられなかった。それでも彼は諦めずに王に退任を迫り、激高したラウディールが彼を反逆者として手討ちにしようとしたところ、神殿長を敬愛する僧兵が彼を守って、王を殺害する結果になった」
「……ふん」
タイオスは小さくうなずいた。
「それぞれに言い分があるもんだ」
「何だと」
「ハルディールにその話をしてみな。目撃者たる王子殿下は、全く違う話をするはずだぜ」
「王子は自分と王家に都合のいい話を作っているのだろう。いや、彼はまだ幼い。老獪なアンエスカが、神殿長の謀反だと言い立てている」
「成程ね」
戦士はまたうなずいた。
「俺にゃ、真実は判らんなあ」
「王だからと言って立派な人物とは限らない」
「まあ、そりゃそうだわな」
タイオスはそこには遠慮なく同意した。
「世の中は哀しいかな、私利私欲にまみれた王様貴族様方でいっぱいだ。カル・ディアルの王陛下は比較的まともな方だが、聞くところによると北東の」
「必ずしも金銭の話ではない」
ルー=フィンはタイオスの言葉を遮った。
「私の……」
だがそこで、若者は言葉を切る。
「何だよ」
年上の男は促したが、銀髪の剣士は緑色の瞳を伏せて何でもないと首を振った。
「まあ、とにかく」
仕方なしにタイオスは続けた。
「言ったように、俺はどっちだっていい。正義なんて人の数だけあるもんだ。俺はただ、金を出してくれる方につくさ。……お」
彼は歩みをとめた。
「ありゃ、よさそうな刀剣屋だ。見てみよう」
若者の返事を待たず、中年戦士は一軒の店に向かった。
「何だよ。こいよ」
タイオスは振り返って、ついてきていないルー=フィンを手招く。
「俺みたいな『下賤な男』の連れだと思われるのが嫌だってか?」
「そうだな」
ルー=フィンは認めた。タイオスは、何ぃ、と表情を険しくする。
「お前らと言い、アンエスカと言い、人を何だと思ってるんだ。ヨアフォードとやらも、どうせ俺を低俗だとでも言うんだろう。お偉い連中は、自分たちの暮らしを支えているのがどういう人間で、日々の稼ぎのためにどれだけあくせく働いているかなんて興味ないってんだな」
「そのことと、品のあるなしは関係がないな」
ルー=フィンは指摘した。
「貧乏人でも、上品な人間はいる」
「少数派だよ」
タイオスはひらひらと手を振った。
「だいたい、そう言うてめえはどうなんだ。額に汗して働いたことがあるのか?」
「私は、ヨアフォード様の温情を受けた」
「つまり、他人様の金でぬくぬくと暮らしてきたって訳だ」
ふん、とタイオスは笑った。
「お前の腕は見事だよ。それは認める。だが、生まれ持った才能だけじゃない。いい師匠、いい環境、飢えて腹を空かせることなく、訓練に励んできたからこそ腕が磨かれたんだ。同じ才能を持っていたとしても、それを開花させる前に喧嘩で死んじまうような奴もいるってのに」
「それは」
今度はルー=フィンが鼻を鳴らした。
「才能がなかったということだろう」
「は。幸運神の恩寵も才能の内、か。……まあ、言えなかないがな」
戦士は肩をすくめ、それ以上ルー=フィンに反論しなかった。
「とにかく。その才能ある目で、見てほしいんだよ。自分の武器なんざ自分で選ぶもんだが、たまには他人の意見も聞きたい」
タイオスが刀屋にルー=フィンを誘ったのは、そういう理由だった。
「いいだろう」
ルー=フィンはうなずいた。
「なまくらを持った男に、背後を任せる気にはなれない」
「そういうこと」
白髪混じりの黒髪を持つ戦士はにやりと笑って、再度ルー=フィンを手招いた。
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