02 一緒にきてください

「いったい、何なんだ?〈シリンディンの騎士〉だの〈白鷲〉だの……いや」

 タイオスは首を振る。

「どうでもいい。俺には関係ない。ただ、あのヨアティアとかルー=フィンとかいう奴に、俺がそんなもんじゃないと説明しといてくれ。それだけで充分だ」

「ルー=フィンだって」

 ハルディールは顔をしかめた。

「町を走る連中の姿と騒ぎから、ヨアティアとその手の者のことは判ったが……彼まできているのか」

「本気で殿下を消そうとしている証拠です。ルー=フィンに手柄を立てさせるつもりでいるのでしょう」

「おいおい。消すの何のと物騒な……」

 弱々しくタイオスは言った。聞きたくない、聞かせないでくれ、という気持ちを言外に込めている。

 果たしてそれが通じたのかどうか、ハルディールとアンエスカは、揃ってタイオスを見た。

「一緒にきてください」

 次に王子が口にしたのは、そんな言葉だった。

「何?」

 つい、タイオスは聞き返す。

「申し訳ないですが、まさか僕が彼らの前に姿を見せて、この人は関係ないんです、と言う訳にもいきません。仮に言ったところで、信じてもらえないでしょう。却って逆に、隠そうとしている、ほら真実だ、と思い込まれるだけだ」

 それはもっともな台詞と言えた。タイオスはうなる。

「じゃあ俺は、どうすればいいんだ!」

「ですから、一緒にきてくださいと」

 ハルディールは繰り返した。

「彼らはあなたを〈シリンディンの白鷲〉だと信じている。あなたを捕らえ、拷問でもして、存在しない僕との約束を吐かせようとするでしょう。アンエスカは、それで彼らの目が逸れるのならば、あなたを犠牲にと言いましたが」

 その言葉にタイオスはアンエスカをじろりと睨んだ。男はどこ吹く風という様子で、少しも悪びれなかった。

「僕はそんなことをしたくない。恩を仇で返すようなことは、シリンドルの王子としても、人間としても、成すべきではないと考えます」

「充分、返してもらったよ」

 仇を。

 タイオスはそう思ったが、ハルディールが首をかしげたので、手を振るに留めた。

「とにかく、もっと話をしましょう。ですが、いつまでもこんなところに立っているのは馬鹿げた話だ」

「お返しに飯でもおごってくれるのかい?」

「それがお望みなら」

「冗談だよ」

 中年戦士はひらひらと手を振った。

「のこのことついていく前に、ひとつだけ確認だ」

 彼は指を一本立て、ハルディールに突きつけるようにした。礼儀知らずな、とばかりにアンエスカが顔をしかめたが、無視をした。

「お前が直接連中に誤解を解かない代わりに、俺が無関係だとあいつらに知らせる術はあるんだな?」

「あります」

 こくりとハルディールはうなずいた。タイオスはじっと王子を見た。

 青い瞳がまっすぐに、彼の焦げ茶のそれと合う。

 最初に出会ったときと同じように、視線はまっすぐでてらいなく、タイオスは腑に落ちる思いだった。

(――成程)

(そんじょそこらの坊ちゃんにゃあ、出せない)

(これが王族の気品ってやつなのかな)

 彼の戦士生活は長く多岐に渡り、過去には貴族の姫君の護衛をしたこともあったが、王様王子様と言葉を交わしたことはなかった。

(成程な)

 繰り返し、彼は思った。

(これが王子殿下……ゆくゆくは国の頂点に立つ、それを宿命づけられた人間ってもんか)

 施しは受けないと、言った。

 古びた衣服は変装の一種なのだろうが、物乞いだと感じなかったのは、身についた気品や誇り高さのためもあっただろうか。

 シリンドルは小国だと言う。おそらく、大国の持つ安寧さはそこにない。首都カル・ディアに住む複数の王子のなかには庶民にさえ悪い評判が伝わってくる甘えん坊もいるが、小国にはよくも悪くもそうした余地がないのだろう。

 ハルディール・イアス・シリンドルは、タイオスも知らない「古き良き時代」の、神話や伝承に出てくる「王子様」の質をいまだに保っているようだった。

「あーその……殿下」

「どうか、ハルディールと呼んでください」

 鷹揚にも王子は言った。

「殿下。なりません」

 素早くアンエスカが制した。王子は首を振る。

「いいじゃないか。彼はシリンドルの民じゃないし、僕の恩人だ」

「こうした手合いは調子に乗ります」

 神経質な様子で眼鏡の位置を直しながら、憤然とアンエスカは言った。タイオスはむっとした。

「ハルディール」

 そこで躊躇なく、王子を呼び捨てにしてやる。今度はアンエスカがむっとした。

「狙われてるなら出歩くんじゃない、馬鹿野郎」

「この、無礼者が!」

 そう言うのは無論、アンエスカだ。

「何が無礼だ。お前は護衛か、侍従か? どちらにせよ、命を狙われてる王子様に夜の町を歩かすな。このコミンは治安のいい方だが、お前さんたちの状況に限って言えば、治安のよさで名高い〈学園都市〉ルシアの夜だって危ないだろうよ」

 ぴしゃりと戦士は言ってやった。王子の従者は、詰まった。

「金はあるか」

「ええ、困らない程度には」

「金をせびるつもりか。何と下賤な」

「うるさい、黙れ」

 タイオスは一喝した。

「金さえ出せば、邪魔が入らずにゆっくりと話せる場所を知ってる。そこで話の続きをしよう」

「勝手なことを言うな」

 アンエスカは黙らなかった。

「お前のような者の指示を受ける謂われはない」

「はあ?〈魔術師協会では魔術師の言うことに従え〉って言葉を知らんのか。ここは俺の町だぞ。まあ、留守にしてることも多いが、それでもお前らよりここに詳しいことは間違いない」

「タイオスの言う通りだ、アンエスカ」

 ハルディールはうなずいた。

「案内してくれ」

「話の判る王子さんだ」

 タイオスはにやっとした。

「よし、ついてきな」

 〈痩せ猫〉との約束をすっぽかすことになるな――と戦士は気づいたが、彼がプルーグに求めた情報は、既に得られた。シリンドルの話も、プルーグより確かな情報源から聞くことができる訳であり、情報屋の報告を待つ必要はなくなった。

 せっかくの「信頼」が地に落ちるかなとも思ったが、仕方がない。約束通り、情報屋の情報ではなく労力に金を払ってやれば、今後もつき合いができるだろう。

 そう考えるとタイオスは、ハルディールとアンエスカを連れて歩き出した。

 どうしてこのとき、関係ないと言い張って逃げてしまわなかったかと悔やむのは、もう少しあとのことである。

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