第2章

01 王子

 人生には、ちょっとした刺激があったっていい。

 毎日毎日全く同じことの繰り返しであれば、誰だって日常に飽きる。

 だから、たまにはいつもと違う酒を頼んでみたり、いつもと違う店を訪れたり、いつもと違う女を抱いたりする。

 日々が平穏なら、それくらいの差異だって十二分に「刺激」だ。

 タイオスの仕事は剣を振り回しての立ち回りであり、町のなかで生きる人々にとってはたいそう刺激的で平穏のかけらもない生活だろう。だがそれは戦士なりに、単調で面白味のない暮らしだ。

 戦士としての日常と、仕事を終えて金を得てから過ごすごく普通の日々と、彼はそれらの繰り返し、殺伐と平穏の落差をこそ刺激として生きてきたとも言える。

 二十年超やっていればその繰り返し自体も日常と化してきたが、この年になるといまさら冒険なども求めない。

 そう、たまに違う酒を飲んで、違う店へ行って、違う女を抱いて。

 その程度で充分なのに。

(何が、白鷲)

 知らぬ店の裏口付近、積まれた空樽の影に座り込んで、ヴォース・タイオスは息を吐いた。

(早いとこ誤解を解いて、俺の日常に戻りたい)

 何ごともなければ、いまごろはティエの隣で寝息を立てていたはずだ。それともふたり共通の昔話で盛り上がってでもいたか。

 人肌の温もりが恋しい。ティエの匂いが懐かしかった。

 断じて彼のせいではないのだが、〈紅鈴館〉にも迷惑をかけたことになる。女将がキレて自分を出入り禁止になどしないといいが――などと、神妙なのか能天気なんか判らないことを考えながらタイオスがじっとしていたのは、十数ティムの間だった。

 不安や退屈に耐えきれなくなって動き出したと言うのではない。

 戦士と言うのは、ただ暴れ回ればいいというものではない。場合によっては十分も二十分も、一刻でも半日でも、ひたすらその場に佇んで敵の出方や味方の救援を待つ。

 それができないのは、戦士ではなくただの力馬鹿。二十年間も生き延びることなく、命を落とすだろう。

 待機状態に苛ついたとしても、それを抑えることができたから、タイオスは生き延びた。

 つまり、このときタイオスは、じっとしていることに我慢できなくなったのではなかった。

「……のはずだ」

「しかし……です。わざわざこうして……など……」

 ふたりの人物が、何か話しながら小路に入ってきた。

「放っておけばよろしい。われわれには関係ないどころか、利点すらある」

「僕にはそうは思えない」

「何故です。奴らはあの男を捜すのに総動員。期せずして、よい攪乱になっています」

「僕は礼をしたかったんであって、生け贄にしようとしたのではない!」

「しっ、静かに」

 タイオスこそが、静かに体勢を整えた。

 片方の声には、聞き覚えがある。

 そうと気づけば語られている内容にも、推測がつくようだった。

「こんなふうにうろついて、連中と鉢合わせをしたらどうするんです。下っ端ならばごまかせるやもしれませんが、追ってきていると判ったからにはおとなしく……」

 彼らが樽の影を通り過ぎようとしたとき、タイオスは素早く飛び出して、子供を羽交い締めにした。

「なっ」

「この――不埒者! 手を放せ!」

 しゃっと鞘走る音がした。もうひとりの人物が剣を抜いたのだ。

「その前に話が聞きたいもんだ」

 タイオスはうなるように言った。

「連中? 攪乱? 何の話だ。言わなくてもご存知だろうが、俺は〈白鷲〉なんかじゃない。何が楽しくて、あの厄介な護符を俺の腰に結びつけたんだ?」

「タ……タイオス!」

 広場で出会った少年は、青い目を見開いて彼の名を口にした。

「ほう。俺の名前もご存知ときた。だが負けんよ。俺も言ってやろう」

 タイオスは唇を歪めた。

「アンエスカ、だな」

「――どこで私の名を聞いた」

 言ったのは、剣を抜いた男の方だった。

 年齢はタイオスと同じか少し上というくらいだが、濃い茶色の髪は後退しており、より年嵩に見えた。細い身体に細い顔、鳶色の瞳に小さな眼鏡をかけている姿は「剣」というものに似合わなかったが、姿勢はしっかりしていて、危なっかしいところはなかった。

「……あれ?」

 てっきりこの子供が「アンエスカ」だと思っていたタイオスは、目をしばたたく。

 学者めいた風貌の、丁寧な口調ながら冷徹な台詞を発していた男が、王子と一緒に行動をしているらしいアンエスカ。

 では、王子といるはずの人物が、丁寧な口調を使っていた相手は――。

殿下カナンを放せ。さもなくば、斬る」

「カ……」

 思わず、タイオスの手は緩んだ。子供――ハルディール王子は、そっとタイオスの腕から抜け出す。

「彼がお前の名を知っているのは、大して驚くべきことじゃない。ヨアティアと会ったために追われていることは判っているんだから。彼が何かしら、洩らしたんだろう」

「成程。こんな男をあろうことか〈白鷲〉と勘違いした愚者だ。ぺらぺらと得意気につまらぬ話を語ったこと、簡単に想像がつきますな」

 アンエスカは剣を下ろしたが、まだ鞘に納めはしなかった。

「よいか、タイオスとやら。そのお方はシリンドルが第一王位継承者、ハルディール・イアス・シリンドル殿下であらせられる。次に無礼な真似をすれば、即刻、そちの首は胴体から離れることと心得よ」

「……は」

 タイオスは乾いた笑いを洩らした。

「殿下? 王子様だって?」

 腹を空かせた、薄汚いガキが。

「じゃあ俺は、王子殿下に飯を恵んでやったのか?」

 中年戦士は引きつった笑みを浮かべたまま、額に手を当てた。

「感謝している」

 ハルディールは言った。

「実際、空腹だった。アンエスカとはぐれて、掏摸すりにも遭って、無一文」

 おとなびて苦笑を浮かべ、成人前と見える少年は続けた。

「あなたの助けがなかったなら、僕はあのまま行き倒れてヨアティアたちに捕まるというような、間の抜けた最期を迎えたかもしれない」

「そのようなことになる前に、私がお助けしました」

 ふん、とアンエスカは鼻を鳴らした。

「どうやって?」

 ハルディールは肩をすくめた。

「お前は、そうして剣をかまえることはできるけれど、実際の交戦は苦手じゃないか」

「殿下」

 その指摘に男は顔をしかめた。

「本当のことだ」

 ハルディールは肩をすくめると、タイオスを振り返った。

「タイオス。ヨアティアと話したのなら、僕が危険なこと、僕と関わったあなたも危険なこと、お判りだろうと思う」

「判りたくもないがね」

 彼はそう返答した。

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